「サバサバしてるよね」って、よく言われる。
たぶん、それは間違ってない。
でも——それが全部でも、ないんだよね。
泣かない。
悩みを打ち明けない。
恋でも仕事でも、人に頼らない。
そうやって生きてきたら、「強い人」って思われるようになった。
でも本当の私は、そんなに強くない。
ただ、そう見せてきた理由がある。
誰にも迷惑かけたくなかっただけ。
自分のことで誰かを困らせたくなかっただけ。
だから今日も、笑ってる。
「大丈夫だよ」って顔して。
サバサバキャラって、楽なんだよね
「サバサバしてるね」って言われること、昔からよくあった。
最初はそれが褒め言葉だと思ってたし、自分でもそう思い込もうとしてた。
感情をあまり出さずに、冷静で、ドライで、あっさりしてて。
何かを言われても「気にしてないよ」って笑って流して、
怒るよりも、泣くよりも、何もなかったふりをして。
そうしてる方が、楽だったんだよね。
本当は怒ってる日もあったし、傷ついて寝込んだ夜もあったけど、
「そんなの、誰も知りたくないでしょ」って自分に言い聞かせてた。
誰かに「大丈夫?」って聞かれるよりも、
自分が「大丈夫?」って聞く側にまわる方がずっと気が楽だった。
弱さを見せるより、誰かの支えになる方がラク。
期待されないし、がっかりされることもない。
「守られる」って、どこか不安になる。
いつか壊れたらどうしようって、そんなことまで考えちゃうから、
だったら最初から“守る側”でいる方が安全だった。
誰かに甘えること。
それって、すごく勇気がいるし、相手を信じるってことでもある。
でも私には、その“信じて任せる”ってことがずっと怖かった。
だからサバサバしてるって思われてる方が、気楽だった。
「悩みとかなさそう」「男っぽい性格で付き合いやすい」って言われると、
本音は複雑でも、なんとなく嬉しいふりをしてしまう。
本当は、そんなにドライじゃない。
でも、そういう顔でいた方が、きっと生きやすいと思ってた。
「サバサバしてるね」って褒め言葉?
「サバサバしてるね」って言われるたび、
「でしょ〜」って笑って返してきた。
そうやって受け流すのが、いちばん楽だったから。
でも心のどこかでは、いつも引っかかってた。
それって本当に褒め言葉なの?って。
たしかに、「サバサバした性格」は
男女問わず付き合いやすいと思われることもあるし、
人間関係においてメリットも多いのかもしれない。
でも一方で、「この人、深入りしないタイプなんだろうな」って、
勝手に距離を置かれてる気がすることもあった。
恋愛でも、よく言われた。
「モテそうだよね」とか、「男友達多そう」とか。
たしかに、相談されることは多かったし、
「ナナになら話せる」って言われるのは嬉しかった。
でも、恋愛経験はそれなりにあっても、誰かと本気の恋に落ちたこと、少なかったかもしれない。
どこかで「ナナはそういうの求めてなさそう」って、
勝手に判断されてた気がする。
気づけば、「甘えられなさそうな人」になってた。
「重い女」にならないように振る舞ってきた結果、
誰からも本気で向き合ってもらえないって、皮肉な話だよね。
褒め言葉としての「サバサバしてるね」は、
ときに、“自分の都合がいいように解釈されてる”だけだったりもする。
こっちは、ちゃんと心を使ってるのに。
誰かを好きになって、落ち込んで、迷って、笑ってるのに。
「そういう感情を持たなそう」って勝手にラベルを貼られると、
なんだか、自分が透明人間になったみたいで、寂しくなる。
「サバサバしてるね」。
たしかに、それは私の一部かもしれない。
でもそれだけじゃないってこと、たまには誰かに気づいてほしかった。
本当は、めんどくさい女なんだ
「めんどくさい女って思われたくない」
それが、ずっと私の中にあるブレーキだった。
恋をすると、すぐに不安になる。
LINEの返信がちょっと遅いだけで、「嫌われたかも」ってぐるぐる考えちゃうし、
既読スルーが続けば、スマホをにらみながら眠れなくなる夜もある。
でもそんな姿を見せるのが、怖かった。
「重い」とか「束縛」とか、そんなふうに思われたくなくて、
笑って「全然気にしてないよ〜」って言ってた。
本当は、気にしてた。
すごくすごく、気にしてた。
自分の感情に正直になることって、
思ってた以上に勇気がいる。
だって、弱さを見せたら、相手が引くかもしれないって思うから。
私の中の“めんどくさい女”は、恋をするたびに騒ぎ出す。
「なんで返信遅いの?」「私のこと、ちゃんと好き?」って。
でも、それを表に出せないから、無理に押し殺す。
気づいたら、サバサバキャラっていう仮面で、
“本音を言わない自分”が出来上がってた。
たぶん、私だけじゃないと思う。
「サバサバしてる」って言われてる人の中には、
本当は誰かにめんどくさいくらい愛されたい人、たくさんいるんじゃないかな。
だから、言っちゃうね。
本当は私、めんどくさい女なんだ。
でもね、そんな自分のことを
ちょっとずつ認めていけたらいいなって、最近は思うようになった。
「ちゃんと弱音を吐く」って、勇気がいる
「なんでもひとりでできそうだよね」
「強いよね、ナナって」
そうやって言われるたびに、ちょっとだけうれしくて、でもちょっとだけ、寂しくもあった。
ほんとは、大丈夫じゃないときなんて山ほどあって。
誰かに話したい夜も、甘えたい瞬間も、いくらでもあった。
でも、「強い私」でいなきゃいけない気がして。
誰にも見せないように、泣きたくなる気持ちを押し込めてた。
「サバサバキャラ」は、盾みたいなものだったんだよね。
傷つくくらいなら、最初から何も期待しない。
本音を出して、引かれるのが怖いから、笑ってごまかす。
そんなある日、ぽろっとこぼれた弱音に、誰かが言ってくれたんだ。
「それ、無理してない?」って。
びっくりした。そんな言葉をかけられるなんて思ってなかった。
気づいたら、声も出せないまま、涙だけが出てきて。
あの瞬間、ようやくわかったんだ。
「ちゃんと弱音を吐く」って、すごく勇気がいるけど、
受け止めてくれる人がいれば、それで十分なんだって。
強く見えるだけじゃなくて、弱さもある人間として、
まるごと受け入れてもらえるって、思っていいんだよね。
それでも私は、今日もサバサバしてる
あの日、弱音を吐いて泣いたあとも、私は劇的には変わらなかった。
次の日も、そのまた次の日も、やっぱり「大丈夫そうな人」として振る舞ってた。
でも、ちょっとだけ、自分を許せるようになった気がする。
「強がってる自分」も、
「本当は不安でいっぱいな自分」も、
どっちも私なんだって、ようやく思えるようになってきた。
昔は、感情を見せたら負けだと思ってた。
恋でも、仕事でも、プライドを盾にして、自分を守ってた。
でも今は、少しずつ変わってきた気がする。
自分を守るためじゃなく、ちゃんと人と向き合うために、
ときには素直になるのも、悪くないって思えるようになった。
もちろん、いきなりは無理。
今でもとっさに「平気だよ」って言ってしまうし、
誰かに甘えるのは、まだちょっと照れくさい。
でも、ほんの少しずつ、心の扉の開け方を覚えていけばいい。
それがきっと、大人になるってことなんだと思う。
「サバサバしてるよね」って言われたら、今まではうなずくだけだったけど、
これからは、ちょっと笑ってこう返そうかな。
「そう見えるだけだよ。たぶんね」って。
まとめ
「サバサバしてるよね」って言葉の裏で、
本当はどれだけの感情を隠してきたんだろう。
泣きたい日も、甘えたい夜も、
全部飲み込んで「平気なフリ」をしてきた自分。
でも、それって強さだけじゃない。
弱さを見せることが怖かっただけ。
そして、その怖さにちゃんと向き合えたとき、人は少しずつ変われるのかもしれない。
誰だって、自分を守るために“何かのキャラ”を演じてる。
それが「サバサバ」だったり、「明るい人」だったり、「冷静な人」だったり。
でも、どんなキャラの下にも、ちゃんと本音はある。
もし、あなたの周りにも「強そうに見える人」がいたら、
少しだけ、立ち止まってみてほしい。
その人の笑顔の奥にも、
気づかれたくない涙や、届かない言葉があるのかもしれないから。
そしてもし、あなた自身が「サバサバキャラ」に疲れているなら、
無理に変わらなくていい。
でも、ほんの少しだけ、自分の心にやさしくなってあげてほしい。
「サバサバしてるよね」って言葉が、
あなたを縛るものじゃなく、あなたをほどくものになりますように。