きみと夢を描くことを決めた日─リクの恋日記・最終話

目次

夢と恋のあいだで

カフェの窓際席。コーヒーの香りが、ほんの少しだけ落ち着かせてくれる。

リクはノートPCを閉じたまま、手帳を見つめていた。

──記事が書けない。

思えば最近、ミサキの活躍ばかりが目についていた。

こいこと。編集部でも評価され、読者からの反応も上々。彼女の記事には確かな熱量があった。

一方の自分は、嫉妬と劣等感に苛まれながら、何度も記事を書いては消していた。

(……僕は、なにやってるんだろう)

「彼女の活躍を喜べないのは、器が小さい証拠だ」

「ライターとしての自分に自信がないだけだ」

そんな言い訳が頭をぐるぐる巡っていたが、それらを否定する一つの想いが心に残っていた。

──でも、こんなに愛しい人は他にいない。

感情に振り回される自分を情けなく思いながら、それでもやっぱり、ミサキが好きだった。

だからこそ向き合いたい。

逃げるのはもう終わりにしよう──そう、リクはようやく決意した。

すれ違うふたり、揺れる心

ある日、編集部のチャットルームがにぎわっていた。

──
「ミサキさんのコラム、すごい反響だね」
「切り口が面白いし、読者の声も多い!」
「やっぱり“名言にモノ申す”シリーズにミサキさん参加してもらってよかったな〜」
──

リクは画面の前で固まっていた。喜ばしいはずなのに、胸の奥に棘のような違和感が残る。

(……よかった。本当に、よかったんだ)

そう思いたい。でもその言葉に、どこか嘘が混じっている気がした。

ここ最近のミサキは、まるで水を得た魚のようだった。
企画会議でも堂々と意見を述べ、冗談を交えながら場を明るくしていく。

かつては自分がそうしていた──そう思ってしまう自分が、情けなかった。

「……俺、なにやってるんだろう」

ひとりごちる声が、虚しくこだました。

この頃のリクは、記事がまったく書けていなかった。
書こうとするたびに、頭が真っ白になってしまう。

なぜだろう。焦り? 嫉妬? 劣等感?
ミサキの活躍を見て、自分が小さく思えてしまうのが怖かった。

(ミサキは、僕なんかよりずっと……)

そんな思考に気づいて、リクは首を振った。

ミサキのことは本当に大切だ。心から、愛しいと思っている。
だけど、同じくらい大切なものがある。

──書くこと。

彼女のことも、書くことも、どちらも抱えたい。
でも、どちらも中途半端に抱えたら、自分は壊れてしまうかもしれない。
そして、彼女を傷つけてしまうだろう。

「どちらかを選ばなくちゃいけないんだ」

胸の奥で、確かな声がした。
リクはゆっくりと立ち上がった。向き合う時が来た。

ミサキの葛藤、そしてミカコとの夜

こいこと。編集部の空気が好きだった。

アイデアを出し合って、笑って、誰かの恋に真剣になって。
そんな現場の一員として動き始めた自分を、ミサキはときどき“夢の中の自分”のように感じていた。

企画書にはどんどん「ミサキ枠」の案が増えていく。
記事も好評で、ナナからは「正式メンバーにならない?」という声までかかっていた。

──だけど。

廊下で出会ったリクは、いつもどこか疲れた目をしていた。
気づかないふりをしても、心のどこかがチクリと痛む。

「わたしが書く限り、リクはきっと、もっと苦しむ……」

そんな思いが、日に日に膨らんでいく。


その夜。ミサキは、BAR「恋古都」にいた。

カウンターにはミカコがひとり、グラスを傾けていた。

「……あの人、大丈夫ですかね」

不意に漏れたミサキの声に、ミカコが目を細める。

「リクのこと? まあ、あの子はまっすぐすぎるからね」

「わたし、こいこと。に入りたいってずっと思ってたんです。
書くのも好きで……でも今、すごく複雑で」

ミカコは、グラスをテーブルに置いた。

「ミサキちゃん。人ってさ、“何かを得るとき”に、
無意識に“何かを置いていく”もんだよ」

「両方は持っていられないってことですか?」

「いや、そうじゃない。本当に両方欲しいなら、
そのために苦しんで、歯を食いしばって、時間をかけて手に入れるって道もある」

「でもね、それが“相手を傷つけること”とセットだったら……
やっぱり、考えなきゃいけない。自分の幸せってなんだろうって」

ミサキは、じっとグラスの中を見つめていた。

「あたしが思うに、夢を叶えることと、恋を守ることって、
似てるようでまったく違う力を使う。両立させるのが難しいのは、
どっちも“心の全部”を使うからよ」

ミカコは、静かに言った。

「どちらも本気なら、どちらかを選ぶ覚悟も必要。
……本当に大切な方を選びな、ミサキちゃん」

ミサキは、その言葉を胸の奥に刻んだ。
やがて、涙がこぼれそうになるのを、そっとまつげで受け止めながら――

「……ちゃんと話さなきゃ」

決意と共に、カウンターを立った。

BAR「恋古都」にて、最後の選択

リクとミサキは、静かなバーのカウンターに並んで座っていた。
グラスの中の氷が、カラン、と控えめな音を立てる。

しばらく沈黙が続いたあと、リクがゆっくりと口を開いた。

「君のこと、本当に好きなんだ。
でもそれ以上に、僕は君の才能に嫉妬して、焦って、自分を見失っていった」

「記事が書けないのは、君のせいじゃない。
ただ、僕はまだ“強くない”。好きな人と同じ場所で、平然と走り続けられるほどには……」

ミサキも、小さく笑ってうなずいた。

「わたしもね、ずっと怖かったの。
この幸せが、いつか誰かの悲しみに変わってしまうんじゃないかって」

「あなたが苦しそうに笑うたび、自分の夢が罪みたいに思えた」

リクが、グラスをテーブルに置いた。

「ミサキ。僕は、君の夢を応援したい。
そして僕自身も、もう一度“書くこと”と向き合いたい」

ミサキの目が、うっすらと潤んでいた。

「わたしも同じ。恋も夢も、大事にしたいって、ずっと思ってた。
でもね、両方を抱えていたら、いつかどちらも壊してしまう気がしたの」

ふたりは、そっと目を合わせる。

「これからは、恋人じゃなくて――」

「――“ライター”として、手を取り合おう」

リクが少し笑って言った。

「僕ら、きっと“伝えたい人間”なんだな」

ミサキも、ほっとしたように笑った。

「うん。愛よりも、言葉を信じたくなる夜もある……そんな人間同士なんだよ」

ふたりは、もう一度グラスを掲げた。
静かな乾杯が、ふたりの新しい関係のはじまりを告げていた。

編集部での再会

数日後。

こいこと。編集部の打ち合わせスペースに、ミサキの姿があった。
タブレット片手に真剣なまなざしで企画会議に参加している。

正式に、こいこと。のライターとして迎え入れられたのだ。

その空間に、リクが入ってきた。

「……おはよう」

「おはよう、リク」

ふたりは自然に挨拶を交わし、同じテーブルに着いた。
仕事仲間として──新しい関係のはじまりだった。

会議が終わったあと、ふたりは少しだけ言葉を交わした。

「君がここに来たのは、きっと運命だったんだろうね」

リクの声には、もう迷いはなかった。

「僕の役目は、君をここに連れてくることだったのかもしれないな」

ミサキは少しだけ笑って、目を伏せる。

「それなら、ちゃんと報われたね」

その声には、あたたかさと、そしてほんの少しの哀しみが混ざっていた。

ふたりは視線を合わせ、言葉にはしない“何か”を、そっと分け合った。

そしてまた、それぞれの道へと戻っていった。

エピローグ:ミサキの部屋にて

夜。静まり返った部屋の中。

ミサキのデスクのそば、壁にかけられた小さなボードには、「こいこと。」のメンバー紹介や過去の記事をプリントアウトしたものが整然と貼られている。

ミサキは椅子に腰を下ろし、そのボードを見上げて微笑む。

「……わたしって、本当にこいこと。に夢中だな」

その声に応えるかのように、パソコンの画面が静かに明るく灯る。

画面には新しい記事案のメモが並んでいた。

  • 「豪華クルーズ旅行で恋バナ」
  • 「名言にモノ申す。超毒舌回」
  • 「ミサキとアカリのドキドキぶっちゃけトーク」

ミサキは小さく息を吸い、口元に笑みを浮かべながらつぶやく。

「夢が叶ったんだから、楽しい記事書かなくちゃ♡」

──しかし、画面の光が、どこか滲んで見える。

ミサキの目元には、いつのまにか一粒の涙がこぼれていた。

そして、誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。

「夢は叶ったけど……恋は、終わったな……」

涙は静かに、頬を伝う。

リクの恋日記─完

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