お気に入りのお店で「常連」になった瞬間
お気に入りのお店って、恋に似てると思うんです。
ふと立ち寄ったカフェや雑貨屋さんが、自分だけの秘密基地みたいに感じられて、通うたびに少しずつ心がほぐれていく。
「ここは僕を受け入れてくれる」っていう安心感があって、ちょっとした恋の始まりに似た温度をくれるんです。
でもある日、お店の人に笑顔で言われました。
「いつも来てくださってありがとうございます、もう常連さんですね」
その瞬間、胸がポッとあたたかくなると同時に、どこかソワソワしたんです。
好きな人に「君って私のこと好きだよね?」って言われた瞬間みたいな。
嬉しいけど、なんだか自由が少し減っちゃうような、そんな不思議な感覚でした。
常連扱いされると行きにくくなる心理
「常連さんですね」って言葉。
たぶん、店員さんにとっては親しみや感謝の表現なんですよね。
でも僕の心には、少しだけくすぐったいような、逃げ場を失うような気持ちが広がりました。
それまでは「ただ好きだから来ていた」だけなのに、
常連扱いされた瞬間、「また来なきゃ」っていう小さな義務感が芽生える。
恋に例えると、ただ一緒にいる時間が楽しかったのに、
「付き合ってるんだから、こうしてくれるよね?」と暗黙のルールが加わったような。
人間って、名前をつけられると、その枠に収まりたくなる生き物なんだと思います。
「常連」という肩書きに似合う自分でいなきゃ、と勝手に背筋を伸ばしてしまう。
それは嬉しい半面、自由だったはずの居場所に、ちょっと窮屈な影を落とすんです。
もしかしたら、恋人って呼ばれることも同じかもしれません。
ただ好き合ってるだけのときより、「恋人」という肩書きがついた途端に、
ふたりの間に“らしさ”や“べき論”が入り込んでくる。
「常連」と「恋人」、言葉の響きは違うけど、感じるプレッシャーはちょっと似てるのかもしれません。
ソウタの考えすぎる体験談
あるとき、近所のパン屋さんに通いすぎて、店員さんに「今日はクロワッサンじゃなくてメロンパンですか?」って言われたことがあるんです。
その瞬間、僕は「え、僕の行動、全部見られてたの!?」ってドキッとしました。
ただパンを買ってただけなのに、なんだか心の中まで読まれたみたいで。
それからはパンを選ぶときに、妙に意識するようになっちゃったんです。
「昨日もクロワッサンだったし、今日は違うのにしなきゃ」とか、
「常連らしく振る舞わなきゃ」なんて、余計な計算が頭をよぎる。
本当は気まぐれで好きなものを選べばいいだけなのに。
恋愛でも似たことってある気がします。
相手に「○○くんっていつも優しいよね」って言われた瞬間、
その優しさをキープしなきゃいけないプレッシャーに変わってしまう。
「いつもの君」でいることを期待されると、ふっと自由が小さくなるんです。
でも、不思議ですよね。
プレッシャーを感じても、そのパン屋さんにはやっぱり行きたくなる。
相手に「優しい人」って思われても、本当はちょっと不器用でも、やっぱりそばにいたい。
そうやって、窮屈と安心がいつも同居してるのが、僕にとっての“常連”であり“恋”なんだと思います。
特別扱いが自由を奪うとき
「常連さん」って呼ばれるのは、言葉だけ見れば嬉しいこと。
でも、その言葉の裏には「あなたはこういう人ですよね」という小さなラベルが貼られているような気がするんです。
ラベルを貼られると、人はついそこに合わせてしまう。
本当は気分で変えてもいいのに、「らしく」いなきゃと思ってしまうんです。
恋人関係も同じで、たとえば「あなたって頼りがいがあるよね」と言われると、
その一言が嬉しい反面、弱音を吐きにくくなることがある。
「優しい人」って言われたら、たまには不機嫌になりたい日もあるのに、我慢してしまう。
特別扱いは心をあたためてくれるけれど、ときにそのぬくもりが檻になることもあるんだと思います。
「好き」という言葉もそう。
甘く響くけれど、その一言が「この人のためにいつも笑顔でいなきゃ」という無意識のルールを生むことだってある。
自由って、誰からも見張られない場所にあると思っていたけれど、
ほんとうは“信頼されながらも、変わっていいと許されること”なのかもしれません。
常連でも、恋人でも、そのときの自分を自然に受け入れてもらえる関係。
それがいちばん居心地のいい“特別”なんだと感じます。
自分のペースで生きる常連と恋
お店に通うことも、恋をすることも、本来はもっと自由でいいはずなんですよね。
「常連だからこうしなきゃ」とか、「恋人だからこうあるべき」とか、
自分に勝手にルールを課すと、せっかくの心地よさがちょっと窮屈になってしまう。
僕が学んだのは、「常連扱いされても、自分のペースで通えばいい」ってことです。
クロワッサンばかり選んでもいいし、行きたいときにだけ行けばいい。
それでお店が受け入れてくれるなら、その関係はほんとうに居心地のいいものになる。
恋も同じで、「優しい自分」でいられない日があってもいいし、
「頼りがいのある人」でいられないときがあってもいい。
それを許し合える相手となら、肩書きやラベルがあっても、自然と続いていくんだと思います。
お気に入りのお店も、恋する相手も。
大切なのは“常連だから”とか“恋人だから”じゃなくて、
「この瞬間の自分がここにいて心地いい」って思えること。
その感覚を大事にすれば、窮屈さもユーモアに変えられる。
だから僕は、これからもふらっとお店に立ち寄るし、恋にもきっとふらっと落ちていくんだと思います。
だって自由に漂える場所こそ、いちばん長く居られる居場所だから。