溶けかけのプリクラで目覚める
目を開けたら、わたしはプリクラ機の中にいた。
光がピカピカと瞬いて、顔に勝手にフィルターがかかる。
まつ毛は2倍、瞳はハート型、肌は蛍光のように白い。
「推され顔やなぁ」と思った瞬間、
顔の輪郭がぐにゃりと溶け、シール紙からはみ出して床に落ちた。
拾い上げた頬のかけらはまだ笑っていて、
「いいね!」と勝手に喋りながら消えていった。
やがて機械から大量のプリクラが吐き出される。
すべての顔がわたし自身やのに、ひとつひとつ微妙に違う。
泣いている顔、怒っている顔、嫉妬で歪んでいる顔……。
「推される」って、結局は顔を剥がされることなんやろな。
扉を開けて外に出ると、鳥居がそびえ立っていた。
そこには「推し神社」と大きく書かれていた。
推し神社への参拝
鳥居をくぐると、参道の両脇にずらりと絵馬がかかっていた。
「推しに会いたい」「推しと目が合いますように」「推しが結婚しませんように」
文字はインクではなく、唇の跡で書かれていた。
絵馬は風に揺れるたびに呻き声をあげる。
「まだ足りない」「もっと見て」「わたしだけの推しでいて」
その声に、わたしの耳がざわついた。
境内の中央に、巫女服を着たミユが立っていた。
ただし彼女の袖は風船になっていて、笑うたびにふわりと空に浮き上がる。
「ナツメさん、推しと恋は似てるけど違うんだよ♡」
彼女は鈴の音みたいな声で囁いた。
「推しは遠くで輝くもので、恋は横に座るもの。混同すると燃え尽きるよ」
彼女の言葉に合わせて、境内の石灯籠からハート型の煙が立ち上った。
「ほぉ……ええこと言うなぁ。けど、遠くの光も近くの影も、どっちも等しく眩しいやろ」
わたしが返すと、煙は一瞬だけドクロに変わって笑った。
溶けかけのプリクラ群像
推し神社の本殿の壁一面に、無数のプリクラが貼り付けられていた。
顔はみな、じんわりと溶け始めている。笑顔が崩れ、瞳が流れ落ち、頬がにじんで床に染みをつくっていた。
わたしが一枚に手を伸ばすと、それは立体化して境内に降り立った。
アカリのプリクラだった。
片側はギャルらしい明るい笑顔、もう片側は泣き顔でぐしゃぐしゃ。
「推しと彼氏、どっちを選ぶ?」と二つの口が同時に問いかける。
彼女の姿はプリクラのようにデコられて、ハートと星がきらめいていたが、触れたら指先に冷たい涙が残った。
その隣に、ケンジのプリクラも現れた。
若い頃の姿で、肩にはギター、手にはビールジョッキ。
「俺もなぁ、昔は誰かの推しだったんだぜ」
と豪快に笑ったが、その笑顔の奥でフィルムが破れ、裏から中年の影が滲み出していた。
「推されるっていうのは、旬のうちだけだぞ。長持ちしない。だからこそ面白いんだけどな」
そう言って、プリクラの端を自分でちぎり取った。
さらに奥からは、ミサキのプリクラが姿を現した。
彼女は文庫本を抱えていて、ページを開くとそこにびっしり「推し」という文字が書き込まれていた。
「推されるために、どれだけ自分を削るか。
──それを演じきれない女は、ただの観客で終わるのよ」
プリクラの中の彼女は微笑んでいたが、その笑顔の縁に小さなひび割れが走っていた。
壁に貼られた無数のプリクラが一斉にざわめいた。
「わたしを見て」「こっちを選んで」「消えたくない」
声が重なり、境内の空気が重く沈んだ。
わたしは思わず鼻で笑った。
「推されるって、フィルムに貼り付けられることやな。
剥がされたら、ただの紙切れ。けど、その紙切れにすがるのが人間なんやろな」
推しの祭壇と怪物
本殿の奥には、巨大な祭壇があった。
その上には「推し怪物」が鎮座していた。
顔は何千枚もの写真で構成され、目や口がシャッター音のようにパシャパシャ鳴り続けている。
近づくと、写真の目が一斉にわたしを見た。
「推しとは誰か?」
声は無数のファンレターを破ったような音で響いた。
わたしは肩をすくめた。
「推しは鏡や。自分の足りん部分を映して、そこに穴をつくる。
そんで人は、その穴に自分を落として楽しんでるだけや」
怪物は笑った。
すると鳥居が逆立ちし、参道の石畳が宙返りを始めた。
参拝者の姿がフィルムになって剥がれ、宙を舞う。
神楽鈴の音は逆再生され、絵馬は空へ吸い込まれていく。
その混乱の中で、ミユの巫女姿がふわりと浮かんだ。
「推しってね、愛されるためにいるんじゃなく、
あなたが生きるために存在してるのかも♡」
そう囁くと、彼女自身もプリクラの紙片になってひらひらと舞い散った。
わたしはひとり、宙返りする境内の真ん中に立ち尽くした。
──推しの正体が問われるたびに、世界がぐにゃりと裏返っていく。
それはまるで、人間が何度も恋を繰り返しては壊していく姿のパロディみたいやった。
推しの定義、ナツメ流
世界がぐにゃりと裏返り、鳥居も絵馬もプリクラも渦を巻いて消えていった。
境内にはわたしひとりだけが残り、空はスクリーンのように白く光っていた。
ポケットを探ると、最後のプリクラが一枚だけ残っていた。
そこには、まだ剥がれ落ちていない「笑っている自分の顔」が映っていた。
わたしはそのプリクラを舐めてみた。味はソーダと涙の混合やった。
──推しとは、恋の予行演習であり、孤独の代用品や。
でも甘いから、人は何度でもプリクラに貼りつけてしまうんや。
剥がされるのがわかっていてもな。
わたしは笑いながら、残ったプリクラを風に放った。
紙片は空ででんぐり返しをして、やがて夜空の星になった。
──ナツメ式「推し神社と溶けかけのプリクラ」 了。

