ナツメ式「未読スルーの迷宮」

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未読999+から迷宮へ

目を覚ましたら、耳の奥でずっと「ピコン、ピコン」と鳴っていた。
枕元のスマホを見ると、通知のバッジに「未読999+」と赤く光っている。
──そんなわけない。わたし、友だち少ないのにな。

恐る恐る画面を開くと、文字の群れが光の粒になって溢れ出した。
「おはよう」「まだ起きてる?」「なんで返事しないの?」
文字は画面から飛び出して、部屋の壁や天井に貼りつき、やがてひとつの廊下をつくった。

気づけば床がメールで敷き詰められている。
スタンプがタイルになり、既読スルーの矢印が矢のように突き刺さっていた。
わたしは吸い込まれるようにその廊下を歩き出した。

「ほぉ……ここが未読スルーの迷宮か」
そう呟くと、通知音がこだまのように反響した。
出口は見えない。ただ無数の「未読」が壁になって、奥へ奥へと続いている。

未読でできた壁

迷宮の壁はすべて、未読メッセージでできていた。
「元気?」の短い文字が積み重なり、レンガのように並ぶ。
その隣には「返事まだ?」の吹き出しが無限コピーされ、アーチ状の天井を支えていた。

わたしが歩を進めると、壁がじわじわと高くなる。
未読が一通増えるたびに、一段積み上がっていくのだ。
足元を見れば、床は「了解!」や「ありがとう」でタイル張りされている。
──だがそのすべてに、既読マークはついていない。

角を曲がると、スタンプばかりの部屋に出た。
うさぎがジャンプしているスタンプ、泣いているクマのスタンプ。
壁に押しつけられて形を失い、ただ表情だけが宙に浮かんでいた。
「表情だけ残して、言葉は沈黙……。なるほど、これがスルーの美学か」
わたしがつぶやくと、スタンプの口が一斉に開いて「既読つけろやぁぁ」と叫んだ。

その声に押され、廊下はさらに奥へ続いた。
どこまで行っても出口はなく、未読が増えるほど壁は厚くなる。
「迷宮とは、つまり積み上げられた“返さなかった気持ち”やな」
わたしは鼻で笑い、さらに暗い通路へ進んでいった。

迷宮に迷い込む影たち

未読の壁の間を抜けると、薄暗い広間に出た。
そこには見知った顔の“影”たちが漂っていた。

最初に現れたのはミユの影。
キラキラとしたエフェクトに囲まれ、スマホを両手で抱きしめている。
「ナツメさーん、既読つけちゃダメ♡ つけたら一気に終わっちゃうじゃん!」
彼女は壁に「未読♡」と落書きをしながら、楽しそうにくるくる回っていた。
未読そのものを恋のドキドキに変えてしまうのが彼女らしい。
壁に描かれた♡はどんどん肥大化し、やがて心臓の鼓動みたいに鳴り響いた。

次に現れたのはアカリの影。
髪をかきあげながらスマホを何度も開いては閉じ、ちょっと困った顔をしている。
「いやー返そうと思ってたんだよね、でもご飯行って、そのあと寝ちゃって……」
彼女は壁にスマホをぶつけては「ごめん!」と書かれた吹き出しを量産していた。
だけどその「ごめん」は未送信のまま壁に貼りつき、迷宮の道をさらに複雑にしていく。

そして最後に現れたのはワニオの影。
スーツを着た哲学者みたいな姿で、両手を後ろに組み、静かに語りだす。
「未読とは、言葉の冷凍保存でございますな。
感情をすぐに出せぬがゆえに、氷の中で眠らせる。
しかし解凍が遅れれば、ただの腐敗となる……」
真面目な口調に、ミユの影が吹き出した。
「ワニオくんってさ、いっつも真面目すぎ!迷宮で解説とか誰も求めてないし♡」
ワニオは困ったように首を振り、なおも丁寧に付け加えた。
「……ただし腐敗した感情も、時に珍味として嗜まれるのでございます」

場の空気は少し笑いに変わった。
だが迷宮の奥では、なおも「ピコン、ピコン」と通知音が止まらなかった。

未読スルー怪物の出現

迷宮の一番奥に着くと、突然、壁がぶるぶる震え出した。
積み重なっていた吹き出しが剥がれ落ち、赤い丸い光だけが残った。
未読バッジ──通知マークの塊が、ずるりと集まり、人型に変形していく。

全身が赤いバッジで覆われた巨大な怪物。
目は数字の「999+」、口は「未読」の文字。
一歩近づくごとに「ピコン!」と音が鳴り響き、影たちの肩がビクリと震えた。

怪物は低くうなった。
「返事をしろ。すぐにだ。言葉を投げろ。わたしを埋めろ」
吐き出される息は既読マークで、床一面に青いチェックが散らばった。

ソウタの影が怯えて声を漏らした。
「おれ、返事しなきゃダメなの……?」
怪物は首をかしげ、数字を切り替えた。
「返事をすれば、また次の未読が生まれる。無限にだ」

──そう、返すほどに未読は増える。
やりとりは終わらず、迷宮は広がり続ける。
「なるほど、これは恋のパラドックスやな」わたしは鼻で笑った。
「未読スルーとは、返事をせんことで終わらせようとする。
 けど返してもまた迷宮が育つ。どっちにせよ出口はないんや」

怪物は「ピコン!」と吠え、さらに大きく膨らんでいった。

ナツメ流・未読スルーの定義

怪物の「999+」の瞳がぐるぐると回転し、迷宮全体が赤く点滅した。
影たちは両耳を塞ぎ、「ピコン」の嵐にうずくまった。

わたしは立ち上がり、怪物に向かって口を開いた。
「未読とは、言葉を未来に預ける冷蔵庫や。
すぐに食べれば栄養になる。
けど放っておけば、凍りついて、最後は劣化して食えんようになるんや」

その瞬間、怪物の体にひびが走った。
赤いバッジが次々と剥がれ落ち、床に散らばる。
落ちたバッジは小鳥になって羽ばたき、通知音が鳥の鳴き声に変わっていった。

ミユの影がぱちぱちと拍手した。
「ナツメさん、いいこと言うじゃん♡」
アカリの影はスマホを見て、照れたように笑った。
「返事って、義務じゃなくて気持ちなんだよね」
ワニオはうやうやしく頭を下げた。
「さすがはナツメ殿、迷宮の出口は比喩にあり、ですな」

光に満ちた迷宮の壁が崩れ落ち、通路の先に空が広がった。
夜が明け、未読は朝焼けに溶けていった。

わたしは肩をすくめ、歩き出した。
「返事をするもしないも、境界を選ぶ自由や。
 ──せやからこそ、人は今日も迷宮に足を踏み入れるんやろな」

──ナツメ式「未読スルーの迷宮」 了。

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