「夕方の匂いがした」──ソウタが初めて“誰かのために”書いた恋愛小説

編集部のすみっこ、一番窓に近い席。
そこにソウタは、今日もノートを広げて座っていた。

ボールペンの先は、白いページの上で止まったまま動かない。
書きかけの一文だけが、ぽつんと浮かんでいる。

──「おれは、その日、ちゃんと恋に落ちた。」

そこから先が、どうしても続かなかった。

ミユ:ソウタくん、また止まってる〜? 大丈夫?

ソウタ:あ……ミユ。うん、大丈夫……な気はしてるんだけどさ。
なんか、“好き”って書こうとすると、手がふわって止まっちゃうんだよね。

ミユが机の上をのぞき込む。
ノートには、消したり書き足したりした跡がぐるぐると重なっていた。

ミユ:うわ、めっちゃ悩んでるじゃん。
でもさ、ソウタって普段のほうがロマンチックだよ?
夕焼け見て「空、溶けてんな」って言ったの忘れてないからね?

ソウタ:うぅ……ああいうの、文章になると急にヘタに見えるんだよ。
おれの“好き”って、ちゃんと伝わるのかなって思って。

そこへ、コーヒー片手にミカコがやってくる。

ミカコ:青春してるねぇ。
……で、ソウタは何を書こうとして詰まってんの?

ソウタ:えっと……恋愛小説を書こうとしてて。
なんかさ、“誰かのために”ちゃんと恋の話を書いてみたいんだ。

ミカコ:お、いいじゃん。それこいこと。ライターっぽい。
悩んでるなら、その過程ごと記事にすれば?
「ソウタが恋愛小説を書けるまで+本編つき」とかさ。

ミユ:それ絶対おもしろい〜! 読者さんも応援したくなるやつ!

ソウタはしばらく考えてから、ゆっくりとうなずいた。

ソウタ:……じゃあ、おれ、やってみる。
うまく書けるか分かんないけど、ちゃんと最後まで書いてみたい。

こうして「ソウタが恋愛小説を書く企画」が、静かにスタートした。
これは、感覚派ライターが“好き”を言葉にしようとする過程を追う物語でもある。

目次

ソウタ、物語が書けない

翌日。ソウタはまた編集部のすみでノートを開いていた。
昨日よりは書けている。けれど、どこか迷っている筆跡だった。

ソウタ:……んー……ここで、なんか“気持ちが動く感じ”を書きたいんだけど……。

そこへアカリがコンビニ袋を揺らしてやってくる。

アカリ:ソウタくん。お菓子買ってきたよ!
って、あれ? まだ悩んでるやつ?

ソウタ:あ、アカリ……。うん、ちょっとね。
登場人物の気持ちが……なんか、言葉にするとぜんぶちがう感じするんだよ。

アカリ:ほうほう。読ませて?

アカリがノートを見ると、そこには不思議な文章が並んでいた。

──「風がふれた。心のほこりもいっしょに揺れた。」
──「その人の声は、夕方みたいだった。」

アカリ:なんか……めっちゃソウタ! 感覚まるだし!(笑)
でもさ、これって説明より“雰囲気”が伝わるんよ。悪くないと思うけど?

ミカコもそばにやってきて、お菓子をひとつつまみながら言う。

ミカコ:うん。情景はキレイなんだけど、ぜんっぜん状況が分からないね。
「夕方みたいな声」って何?ってなる読者もいると思う。

ソウタ:やっぱりそうだよね……。
おれの“感じたこと”ってさ、人に渡すときにどうすればいいんだろ。

ミユ:(横からぴょこんと顔を出す)
ソウタ〜、それはね、“感じたまんま書く”ってだけじゃ足りないの!
読者さんがイメージしやすいように、ちょっとだけ“丁寧に説明”してあげるんだよ〜。

ソウタ:丁寧に……?
なんか、丁寧にしようとすると、気持ちが逃げちゃうんだよなぁ……。

ミカコ:それはソウタが“気持ちを掴みきれてない”からだよ。
まずは、登場人物が何を感じてるのか、自分でちゃんと把握したら?

アカリ:そうそう! キャラの気持ちがハッキリしたら、自然と文章も揃うから。

三人のアドバイスを聞きながら、ソウタはゆっくりうなずいた。

ソウタ:……そっか。おれ、まず“気持ち”をちゃんと決めてなかったかも。
じゃあ今日は……キャラの気持ちを、ちゃんと考えてみるよ。

ノートに新しいページを開き、ソウタは小さくつぶやいた。

ソウタ:「……好きって、なんだろ。」

その言葉は、物語を作るためというより、
まるで自分自身に向けた問いのようだった。

ソウタが書いた恋愛小説
『夕方の匂いがした』

最初に気づいたのは、声だった。

夕方の校庭みたいな匂いのする声。
風がひとつ抜けるたびに、その声の温度が少しだけ変わる。
はじめて聞いたはずなのに、どこか懐かしい感じがした。

その日、おれはいつもより少し遅い時間に帰っていた。
夕方って、光の粒がゆっくり落ちてくる時間帯で、
街は一番優しく見える。だれも急いでなくて、だれも怒ってない。

そんな時間に、横断歩道の向こうで君を見つけた。

白いシャツの腕をまくって、風を読むみたいに空を見ていた。
髪が揺れて、光に触れた部分だけが、ふっと透明になった。

「夕方だね」

たぶん、普通の人だったらもっと気の利いたことを言うんだと思う。
でもおれは、思ったことをそのまま言うしかできなくて。

すると君は、少し驚いた顔をして、すぐに笑った。

「そうだね。君は、この時間が好きなの?」

その“君”が、どんな意味なのか考える前に、
心臓がひとつ跳ねて、胸の奥をあたためていった。

おれは正直に言った。

「うん。夕方って……なんか、人の本音がこぼれやすい感じがするんだよね」

君は「へぇ」と言って、足元の影を見つめていた。
影は長く伸びて、道路の白線をゆっくり飲み込んでいた。

「じゃあさ」

君は少しだけ、おれのほうを見た。

「君はいま、本音を言える時間?」

ふいに吹いた風が、君のシャツを揺らした。
夕焼けが、その揺れた部分だけをオレンジに染めた。

おれは、息を吸って、吐いて、また吸って。

「……うん。たぶん」

「じゃあ、聞いてもいい?」

「うん」

君はほんの少しだけ顎を上げ、おれの目を見る。
夕方の光と君の視線が混ざって、世界がゆっくり動いた。

「どうして、そんなに優しい目で見るの?」

心臓の音が聞こえるほど静かだった。
車の走る音も、人の声も、遠くへ流れてしまった。

その静けさの中で、おれはようやく気づいた。

ああ、これが恋に落ちる瞬間なんだ。
ちゃんと、自分で分かるんだ。

言葉が口の中に浮かんでくる。
焦げた夕日の匂いみたいな、すぐ消えそうな言葉。

「……たぶん、おれ、君のことが好きなんだと思う」

君は驚いたあと、ゆっくり笑った。
その笑顔は、夕方よりも柔らかくて、
光よりも正直で、どんな風よりもあたたかかった。

「そっか。なんか、いいね。夕方って」

その返事が正解かどうかなんて、おれには分からない。
でも、目の前の景色が少しだけ鮮やかに見えた。

おれは思った。

――恋って、風が変わるみたいに始まるんだ。

その日の夕方の匂いは、たぶん一生忘れない。

執筆を終えて──ソウタの本音

小説を書き終えたあと、ソウタはしばらくペンを見つめていた。
言葉を全部使い切ったような、でもまだ胸のどこかがふわふわしているような、そんな顔だった。

ミユ:ソウタ〜! 読んだよ、夕方のやつ!
なんかさ……キュンってした〜〜!

ソウタ:え、ほんとに? ……よかったぁ。
なんか、自分の気持ちをそのまま書いたら、ちゃんと伝わるのかなって不安でさ。

ミカコもコーヒー片手にやってきて、いつもの無表情で言う。

ミカコ:うん。“状況は曖昧なのに情景だけ鮮明”っていう、ソウタらしさ全開だったね。
でも、ちゃんと気持ちが読めた。意外とすごいじゃん。

ソウタ:……へへ。ありがとう。なんか、嬉しいや。

アカリもページをぱらぱらめくりながら、目を細めた。

アカリ:ソウタくんってさ、言葉には出さない気持ち、めっちゃ持ってるよね。
それ、こうやって文章に出したら……なんていうか、いいなぁって思った。

少し照れくさそうに頭をかくソウタ。

ソウタ:……なんかさ。“好き”って、書こうとするとむずいんだね。
風の匂いとか、光とか、声の温度とか……そういうの全部まざってて。
それを言葉にすると、ぜんぶこぼれちゃう感じがした。

ミユ:でもね〜、ソウタは“こぼれたところ”が魅力なんだよ。
ちゃんと伝えようとしてるの、読んだら分かったもん。

ソウタ:……そっか。うん。なんか、そう言われるとちょっと安心する。

少しだけ息を吐き、窓の外を見つめる。

ソウタ:書いてみて分かったんだけど、
恋って……“触れたら消えそう”なものなのに、
ちゃんと心に残るんだね。

その言葉に、ミユもミカコもアカリも静かにうなずく。

ソウタ:これからも、ちょっとずつ書いてみようと思う。
上手くできなくても……なんか、“好き”を言葉にするって、いいなって思ったから。

夕方の光が差し込む編集部で、ソウタは新しいページを開く。
それはまだ何も書かれていないけれど、 きっとまた、彼にしか描けない恋が生まれる。

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