ナツメ式|火の街の謝罪機 ― 罪よりも先に燃える感情

目次

Ⅰ.導入──燃える影の街

この街では、誰かが失敗すると、背中に火が灯る。

火といっても本物ではなく、影の奥にだけ揺れる淡い炎だ。けれど十分だった。人々はその光を見つけると、蜂のように集まり、噂し、叩き、燃料を投げつける。

夜の路地には、ところどころ小さな火が灯っていた。誰かの失敗の数だけ、火は増える。

虹色の毛並みの猫に擬態した・ナツメは、電柱の上からその光景を眺めていた。月明かりが当たるたび、彼の体の色がほんの少しずつ揺らぐ。

「便利な街やなぁ。人が一回コケたら、自動でランプが点灯。
事情も知らんでええ、あとは燃やすだけや。」

ナツメの視線の先で、一人の青年が走っていた。カンナという名の青年だ。背中には青い炎の刻印がついている。青は「不注意」を意味すると、この街では決められていた。

カンナが犯した失敗は、仕事で商品のラベルをひとつ貼り間違えたこと。それだけだった。だが、この街ではそれで十分背中が燃える。

「一度でも失敗した人間は、永遠に信用できない」

そんな言葉が法律のように扱われている街だった。

カンナの背後には、火を見つけて集まった人々が押し寄せている。誰かはスマホを向け、誰かは空き缶を投げ、誰かは理由も知らないまま怒りの言葉を浴びせていた。

「背中、だいぶ燃えとるで。追いかけられとるな、兄ちゃん。」

ナツメは電柱からふわりと降りると、カンナの隣に並んで走った。

カンナは驚きながらも必死で足を動かす。

「見てのとおりですよ……! 一度ミスしただけで、みんなが僕を燃やすんです!」

追いかける群衆は増えるばかりだった。青い炎は、怒りの視線や罵声に触れるたびに勢いを増す。まるで、他人の感情そのものが燃料になっているようだった。

「火のついたニュースみたいなもんや。
燃やしたいやつがおるから、火災が終わらんのや。」

やがてカンナとナツメは、広場へと追い込まれた。そこには巨大な機械が鎮座していた。鉄とガラスとライトで構成された、無機質なステージ。

街の中央に設置されたそれは、人々が最も期待する見世物――
謝罪機だった。

Ⅱ.出会い──謝罪機の前で

広場に追い込まれたカンナは、足を止めた。正面には巨大な装置がそびえ立っている。鉄骨で組まれたステージ、その中央に置かれた椅子、無数のライト、そして観覧用の大きなスクリーン。

それが、この街で最も人が集まる“謝罪機”だった。

群衆は、カンナを取り囲むように半円状に広がり始める。誰もが興奮した顔でスマホを掲げ、彼に向かって声を浴びせた。

「早く乗れよ!」
「ちゃんと謝れって!」
「涙の量、足りるかな〜?」

謝罪機の前面には、誰でも操作できるタッチパネルが取り付けられている。次々と画面には指が伸びていき、設定が変更されていった。

  • 〈頭を下げる角度〉+20°
  • 〈声の震えレベル〉強
  • 〈涙演出〉追加する
  • 〈土下座モード〉ON

設定は瞬時に反映され、ステージ上の椅子がギギギと動いて姿勢を変える。スポットライトはさらに強く光り、マイクは自動で高さを調整した。

まるで“理想の謝罪”を量産する工場のようだった。

カンナは、その光景だけで膝が震えていた。

「……いやだ。乗ったら……終わらない。」

声はかすれていたが、誰も耳を貸さなかった。

「謝らないの?」「反省してないんだな」「ほら、逃げようとしてる」

群衆の言葉を受けて、青い炎がさらに勢いを増し、カンナの影をゆがませた。青年は震える手で胸元を押さえ、うつむく。

「謝ったって……“謝り方が悪い”って言われるだけだ。
何度謝ったって……誰も聞いてくれない……。」

ナツメは、青年の背中の炎をじっと見つめる。

「兄ちゃんの背中の火……これ、半分くらい“本物の失敗やない”な。」

カンナは顔を上げた。

「……どういうことですか?」

ナツメはゆっくりと尻尾を揺らしながら言った。

「他人が勝手に足した“憶測”とか“妄想”とか“怒りの燃料”がな、
あんたの火に混ざっとる。だから燃え続けるんや。」

カンナの肩が小さく震えた。彼の炎は、ただのミスの色ではなく、群衆の感情によって濃く塗り替えられていた。

謝罪機は、まるで獲物を待つように静かに光っている。その光はどこか粘りつくようで、見る者の心をじわりと締めつけた。

そしてついに、一人の男が叫ぶ。

「ほら、乗れ! “儀式”を始めようぜ!」

広場全体が熱を帯びる。 ナツメは、静かに息を吐いた。

「……さぁ、ここからや。この街の“ほんまの病”が出てくるで。」

Ⅲ.崩壊──街中が燃えあがる

カンナが謝罪機の前で震えていると、唐突に広場の空気が変わった。乾いた音がひとつ響き、謝罪機のライトが激しく点滅する。

次の瞬間、装置全体が不気味な唸り声を上げた。鉄の骨組みが軋み、内部の何かが暴走し始めたようだった。

「……? なにこれ、動きがおかしい!」

操作パネルのボタンがひとりでにバチバチと点灯し、勝手に設定を切り替えていく。

  • 〈頭を下げる角度〉最大
  • 〈声の震えレベル〉最大
  • 〈涙演出〉強制噴射
  • 〈土下座モード〉強制起動

椅子がギギギと大きく傾き、謝罪用のライトがカンナに向かって集中した。 カンナの背中の青い炎が、その光に照らされて揺れながら拡大していく。

しかし異変は、それだけでは終わらなかった。

突然、群衆の背中に小さな火が点り始めたのである。 最初は一人、二人。すぐに十人、二十人へと広がった。

「え? なんで俺の背中が……」
「うそ、わたし何もしてないのに!」

黒い炎、紫の炎、白く濁った炎――。 それらは“自分が投げた言葉の火の粉”が、群衆自身に降りかかって生まれたものだった。

ナツメはゆっくりと目を細めた。

「火ぃ投げて遊ぶ文化はな……自分の家にも火つくんや。」

人々はパニックになり、次々に自分の背中を叩いたり、スマホで確認しようとしたりしている。しかし一度ついた火は消えない。火は罪ではなく、“他人に投げつけた感情そのもの”だった。

炎が街中に広がると、謝罪機はさらに狂ったように吸い込み始めた。 人々の怒り、憎しみ、不安、不満、嫉妬――あらゆる負の感情が機械へと渦を巻いて集まり、巨大な黒炎の柱となって天へと伸びた。

その光景は、まるで街全体がひとつの大きな“誹謗中傷の焚き火”と化したようだった。

群衆は叫んだ。

「どうして私たちが燃えてるの!?」
「悪いのはあいつのはずだろ!」
「なんでこっちが火だるまになるんだよ!」

しかしナツメは落ち着いていた。 まるで、こうなることを最初から知っていたように。

「そらそうやろ。
人を焼くために投げた火種や。 風向きひとつで、自分の背中に戻ってくる。」

カンナの背中の青い炎だけは、不思議と弱くなっていた。 彼が持っていた“本当の失敗の火”だけが残り、他人が勝手に足した炎は吹き飛ばされているようだった。

街中が燃え上がる中、謝罪機は軋みながら最後の警告音を鳴らし、やがて巨大な煙を吐き出して停止した。

Ⅳ.結末──残ったのは、ひとつの火種

街中に広がっていた炎が、夜明けとともに静まりはじめた。 さっきまで暴れていた黒炎の柱も消え、謝罪機は完全に沈黙している。

背中を燃やしていた群衆の炎も、次々と消えていった。 ただの影だけが取り残され、残ったのは疲労と気まずさだけだった。

誰かがぽつりと言う。

「……なんだったんだろう、これ。」

誰も答えられない。 彼らは自分たちが投げつけた言葉が、そのまま自分に返ってきただけだということを、まだ理解できていなかった。

ナツメはゆっくりと歩き、カンナの背中をじっと見つめた。 そこには、小さな火種がひとつだけ残っていた。

「……まだ燃えてる。」

カンナが不安げに触れようとすると、ナツメが軽く手(前足)で制した。

「それは消したらあかんやつや。」

カンナは驚いたように目を見開く。

「え……これは“失敗の火”なんですよね?」

ナツメは静かに、しかし確かな声で言った。

「ほんまの失敗はな、“恥”でも“罰”でもなくて……
ただの“責任”や。 他人が燃やすもんやなくて、自分がゆっくり向き合うもんや。」

カンナはしばらく火種を見つめた。 さっきまで恐ろしいものにしか見えなかったそれは、今は小さな灯のようにも見える。

ゆっくりと胸に手を当て、深く息を吸う。

「……これだけなら、僕でも持てる気がします。」

ナツメはにやりと笑った。 炎がカンナの影の中に吸い込まれ、ただの小さな光に落ち着いた。

「せやろ。 火は大勢で囲んだら怪物になるけど、 一人で向き合えば、ただのランプや。」

夜が完全に明け、街は静かだった。 誰もが背中の影を気にしながら家へ帰っていく。

謝罪機の前に立っていたナツメは、ひとりごとのように空を見上げた。

「せやけどな……
ランプを灯せる街は、まだ救いがある。 ほんまに怖いんは、“火を投げることに慣れた街”のほうや。」

ナツメの虹色の毛が、朝日に照らされてゆらりと揺れる。 そして彼は、何事もなかったかのように静かに歩き去った。

残されたカンナの影には、かすかな灯がひとつだけ揺れていた。

――その火だけは、もう誰にも奪えなかった。

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