「好きな人にアプローチできないんです」
リクは、そんな相談を受けることが多い。
告白できない、話しかけられない、距離を縮められない。
理由は人それぞれ違うようで、 突き詰めると、だいたい同じところに行き着く。
リク「怖い、ですよね」
リク「断られたらどうしようとか、 今の関係が壊れたらどうしようとか」
向かいの席で、ワニオはアイスコーヒーをゆっくり混ぜていた。
ワニオ「それは“アプローチできない”のではなく」
ワニオ「“現状を壊したくない”という判断では?」
リク「……たしかに」
リク「でも本人は、それを“自分が弱いからだ”って思ってしまう」
ワニオ「人間は、自分の判断を性格のせいにするのが好きですね」
リクは少し苦笑いする。
リク「今日は、その“好きな人にアプローチできない”って状態を」
リク「勇気とか根性の話にしないで、 もう少し構造的に見てみようと思います」
ワニオ「恋愛に興味のないワニが聞き役でいいのなら」
ワニオ「観察者としては、ちょうどいい立場です」
こうして、 理論で考える男と、 恋に参加しないワニの分析トークが始まった。
ライトプラン 詳細はこちらなぜ好きな人にアプローチできないのか
リク「好きな人にアプローチできない人って、 “何をすればいいか分からない”わけじゃないことが多いんです」
リク「むしろ、分かりすぎている」
ワニオはストローを口にくわえたまま、少し首をかしげる。
ワニオ「分かっているのに、やらない」
ワニオ「それは知識の問題ではなく、 判断の問題ですね」
リク「たしかに、ワニオさんの言う通りです」
リク「多くの場合、“やったらどうなるか”を想像しすぎて、 行動する前に結果まで体験してしまっている」
リク「断られるかもしれない。 気まずくなるかもしれない。 今の関係が壊れるかもしれない」
リク「その全部を一気に背負ってしまうんです」
ワニオ「未来を先取りして、 自分で自分を止めている状態ですね」
ワニオ「まだ起きていない事故の、 反省会だけが延々と行われている」
リクは少し笑ってから続けた。
リク「しかも、その反省会はだいたい一人でやっている」
リク「相手がどう思うかは分からないのに、 “きっとダメだ”という結論だけは確定してしまう」
ワニオ「人間は、不確実な成功より、 確実な失敗を選ぶ傾向があります」
ワニオ「失敗が確定していれば、 これ以上傷つくことはないからです」
リク「だから“アプローチできない”という状態は、臆病さというより、 自分を守るための合理的な選択でもあるんですよね」
ワニオ「なるほど」
ワニオ「行動しないことが、 もっとも低リスクな戦略になっている」
リク「そうです」
リク「問題は、その戦略が“長期的にも正しいかどうか”なんです」
好きな人にアプローチできない。
それは、勇気がないからでも、 魅力が足りないからでもない。
ただ、 “今の自分を守る判断”が、 少しだけ強く働いているだけなのかもしれなかった。
アプローチできない人ほど、真面目で誠実
リク「アプローチできない人って、 自分のことを“恋愛に不向き”だと思いがちなんです」
リク「でも実際に話を聞くと、 むしろ真面目で、相手のことをよく考えている人が多い」
ワニオはグラスを置いて、淡々と言った。
ワニオ「相手を尊重している、という解釈もできますね」
リク「たしかに、ワニオさんの言う通りです」
リク「“嫌われたくない”“迷惑をかけたくない”という気持ちが強いほど、 簡単には動けなくなる」
リク「だからアプローチできない=本気じゃない、 というわけでは全くないんです」
ワニオ「むしろ逆ですね」
ワニオ「どうでもいい相手には、 人間はわりと雑に行動できます」
リク「そうなんですよね」
リク「本気だからこそ、 “失敗したらどうしよう”が重くなる」
ワニオ「誠実さが、 行動のブレーキになっている状態」
リク「しかも、その誠実さを、本人は“自分の欠点”だと思ってしまう」
ワニオ「それは不思議です」
ワニオ「人間は、自分の長所を 短所として扱うのが得意ですね」
リク「たとえば、慎重さ」
リク「恋愛では“慎重=動けない”と見られがちだけど、 本来は大切な能力です」
ワニオ「危険を避け、 関係を壊さないための感覚ですから」
リク「そう」
リク「問題は、その慎重さを どう使うか、なんです」
好きな人にアプローチできない。
それは、 恋愛が下手だからではない。
相手を軽く扱えないほど、 真面目で誠実なだけなのかもしれなかった。
アプローチできるようになるには、何を変えればいいのか
リク「ここまでの話を踏まえると」
リク「“アプローチできない”を解決する方法は、 勇気を出すことでも、性格を変えることでもないと思うんです」
ワニオ「行動の定義を、 見直す必要がありそうですね」
リク「たしかに、ワニオさんの言う通りです」
リク「多くの人は、“アプローチ=告白”だと思っている」
リク「だから、いきなりゴールを想像してしまって、 動けなくなる」
ワニオ「開始と終了を、 同じ行為だと誤解している状態ですね」
リク「そうです」
リク「本来、アプローチってもっと小さいものなんです」
リク「挨拶を少し丁寧にするとか、 会話を一往復増やすとか」
リク「相手の反応を“確認する行為”に近い」
ワニオ「成功させるための行動、ではなく」
ワニオ「情報を集めるための行動ですね」
リク「まさにそれです」
リク「アプローチの目的を “付き合うこと”に設定している限り」
リク「一歩踏み出すたびに、 失敗のリスクが大きくなってしまう」
ワニオ「目的が重すぎると、 行動が凍結するのは自然です」
リク「だから、目的を変える」
リク「“好意を伝える”じゃなくて、 “関係の温度を測る”くらいでいい」
ワニオ「温度が上がれば、 次の行動が合理的になります」
ワニオ「下がった場合も、 それは失敗ではなく、状況の把握です」
リク「そうなんです」
リク「断られる、というより “まだ早かった”とか “今はその段階じゃなかった”というだけ」
ワニオ「人間はそれを“敗北”と呼びがちですが、実際には、 判断材料が増えただけですね」
リク「アプローチできるようになるために必要なのは、自分を変えることじゃない」
リク「行動に期待しすぎないこと、だと思います」
アプローチは、 勇気の証明ではない。
関係を一気に動かすための賭けでもない。
ただ、 相手との距離を測るための 小さな確認作業なのかもしれなかった。
ワニオ式・アプローチの再定義
少し間を置いて、ワニオがぽつりと言った。
ワニオ「そもそもですが」
ワニオ「人間は、なぜ“好きになったら動かなければならない” と思い込んでいるのでしょうか」
リク「……確かに」
リク「言われてみると、不思議ですね」
ワニオ「好意は感情です」
ワニオ「感情が生まれた瞬間に、 行動義務が発生するという規則は、 どこにも存在しません」
リクは少し考え込む。
リク「でも、動かないと後悔しそうで」
ワニオ「それは“動かなかった後悔”ではなく」
ワニオ「“想像し続けた時間の長さ”が生む疲労では?」
リク「……なるほど」
ワニオ「想像は、 最もエネルギーを消費する行為です」
ワニオ「行動していないのに、 心だけが何度も失敗を体験している」
リク「だから、実際には何も起きていないのに、 もう疲れてしまう」
ワニオ「ええ」
ワニオ「ですから、 アプローチとは」
ワニオ「勇気を証明する行為でも、 好意を提出する儀式でもありません」
ワニオ「想像をやめ、 現実を一つ確認するための行為です」
リク「現実を確認する」
ワニオ「はい」
ワニオ「相手がどう反応するかを、 頭の中ではなく、 実際の世界で知るための手段」
リク「そう考えると」
リク「アプローチって、 ずいぶん静かな行為ですね」
ワニオ「静かでいいのです」
ワニオ「騒がしいのは、 だいたい想像のほうですから」
リクは、少しだけ肩の力を抜いた。
リク「好きな人にアプローチできない人は」
リク「もう十分、 心の中で動いてきた人なのかもしれませんね」
ワニオ「ええ」
ワニオ「次に必要なのは、 大きな一歩ではなく」
ワニオ「想像を一つ減らすこと、です」
好きな人にアプローチできない。
それは、立ち止まっている証拠ではない。
慎重に、 大切に、 感情を抱えてきた証拠だ。
もし動くとしたら。
それは、 勇気を振り絞る瞬間ではなく、 想像を手放す瞬間なのかもしれなかった。

