ナツメ式|称号の街──名付けられて動けなくなった人々

目次

称号管理都市

その都市では、空が常に暗かった。

雲があるわけではない。
無数の広告ホログラムと情報層が重なり、
夜と昼の区別が曖昧になっているだけだった。

街を歩く人々の背後には、
いくつもの光が浮かんでいる。

それはネオンでも、装飾でもない。

「称号」と呼ばれるものだった。

称号は、人の行動によって自動的に生成される。
誰かが不快を感じ、
誰かが傷ついたと判断された瞬間、
都市の中枢が静かに反応する。

そして、その行為に名前が与えられる。

「威圧的」
「配慮不足」
「侵襲的」

それらの言葉は、
半透明の札となって、
本人の背中に浮かび上がる。

称号は音を立てない。
警告もしない。
ただ、そこに在り続ける。

最初、この仕組みは称賛された。

危険な人間が可視化される。
無用な接触を避けられる。
誰も声を荒らげずに済む。

都市は、以前よりも静かになった。

だが同時に、
人々は互いの顔よりも、
背後の光を見るようになった。

称号の少ない者は、安心される。
称号の多い者は、遠巻きにされる。

行動よりも、
意図よりも、
名前が先に判断される街。

シュウは、この都市で暮らしていた。

特別な力も、
目立つ称号も、
まだ持っていない男だった。

その日までは。

最初の付与

それは、事故と呼ぶほどの出来事ではなかった。

シュウは、夜の高架通路を歩いていた。
足元のパネルが淡く発光し、
人の流れを一定の速度に保っている。

誰もが同じ方向へ、
同じ歩幅で進む場所だった。

前方で、ひとりの人物が急に立ち止まった。

シュウは一瞬だけ判断を迷い、
進路を変えず、その横を通り過ぎた。

肩は触れていない。
声も交わしていない。

ただ、すれ違った瞬間、
相手の呼吸が、わずかに乱れた。

それだけだった。

だが、都市はその揺らぎを見逃さなかった。

情報層の奥で、
何かが静かに計測される。

空気が薄く震え、
シュウの背後に淡い光が生まれた。

半透明の札が、
ゆっくりと浮かび上がる。

それは広告よりも小さく、
しかし確実に、見える光だった。

「配慮不足」

シュウは足を止め、振り返った。

札は逃げない。
消えもしない。

彼の影と重なり、
背後に居座っている。

周囲の人々は、
それに気づくと、
ほんのわずかに距離を取った。

誰も声を荒らげない。
誰も指を差さない。

ただ、視線だけが、
彼の背後をなぞる。

シュウは口を開きかけ、
何も言わなかった。

説明するほどのことではない。
そう思った。

「次は、気をつけよう」

彼はそう考え、
再び都市の流れに身を委ねた。

この小さな光が、
行動だけでなく、
思考までも変えていくことを、
まだ知らずに。

ナツメの視線

称号を背負ってから、
シュウの時間は少しだけ遅くなった。

人の流れは同じ速度で進んでいるのに、
彼だけが、一拍遅れて世界に触れているような感覚。

誰も彼を咎めない。
誰も説明を求めない。

ただ、会話の途中で、
相手の視線が一瞬だけ、
彼の背後へ滑る。

その瞬間、言葉が萎む。

シュウは声量を落とし、
身振りを小さくし、
立ち位置を選ぶようになった。

それでも、
称号は薄くも、軽くもならない。

ある夜、
シュウはネオンの切れ目を歩いていた。

情報層の光が届かず、
称号の札が、わずかに揺らぐ場所。

そこで、
彼は奇妙な存在に出会った。

配線の影から、
虹色の毛並みが滲み出ている。

二足で立つ猫だった。

ネオンの光を反射して、
毛並みが七色に変わる。

不思議なことに、
その猫の背後には、
ひとつの称号も浮かんでいなかった。

猫は、
シュウの背中を見て、
ゆっくりと首を傾けた。

「それ、増え始めたら厄介やで」

猫は関西弁で、
ひとりごとのように言った。

「最初はな、
人を守る札やったはずなんや」

シュウは言葉を失った。

猫は続ける。

「せやけど、
名前が増えると、
人は考えんようになる」

「見るんは行動やのうて、
札やからな」

シュウが口を開く前に、
猫はもう背を向けていた。

虹色の毛並みが、
ネオンの隙間に溶けていく。

その場には、
いつも通りの路地と、
シュウの背中の光だけが残った。

だが、
彼の中に、
小さな違和感が芽生えていた。

増える名前

それからというもの、
都市の空気は、さらに静かになった。

静かだが、穏やかではない。

称号は増えていた。

「配慮不足」の隣に、
「距離感不明」
「無自覚」
「圧を与える可能性」

札は細かく分かれ、
それぞれが弱い光を放っている。

ひとつひとつは小さい。
だが、重なると、
背中がやけに重く感じられた。

シュウは、
人と話す前に、
必ず相手の背後を見るようになった。

称号の数。
色の濃さ。
重なり具合。

それらを無意識に計算し、
言葉を選ぶ。

いつの間にか、
行動よりも、
名前のほうが先に目に入る。

あるとき、
シュウは通路で転びかけた人を見た。

反射的に、
手を伸ばしかける。

だが、その人の背後に浮かぶ札が、
彼の動きを止めた。

「接触注意」
「誤解誘発」
「善意の押しつけ」

シュウは、
手を引っ込めた。

人は倒れたが、
誰も近づかない。

しばらくして、
自動搬送ドローンが来て、
何事もなかったように処理した。

シュウの胸が、
ひどくざわついた。

だが同時に、
どこかで安心している自分にも気づいた。

何もしていない。
だから、
新しい称号は増えていない。

彼は初めて、
この都市が求める「正しさ」を、
理解してしまった。

何もしない街

都市は、ついに完璧になった。

争いは起きない。
声を荒らげる者もいない。
触れ合いは、ほとんど消えた。

人々は互いに十分な距離を保ち、
称号の数を確認しながら、
無難な動線だけを選んで歩く。

助けない。
話しかけない。
関わらない。

それが、この街で最も安全な振る舞いだった。

ある日、中央広場で異常が起きた。

巨大なスクリーンが一斉に暗転し、
都市中枢の音声が流れた。

「新規称号の付与を停止します」

理由は説明されない。
期限も示されない。

人々は立ち止まり、
互いの背後を見た。

称号は、そこにある。
だが、増えない。

その瞬間、
街は奇妙な静けさに包まれた。

誰も、次の行動を知らなかった。

何をすれば正しく、
何をすれば間違いなのか。

名付けられない行動は、
選べなかった。

シュウは、
初めて背中の重さを忘れ、
周囲を見回した。

倒れたままの人。
立ち尽くす人。
視線を逸らす人。

札がなくても、
誰も動けなかった。

そのとき、
広場の隅に、
虹色の影が現れた。

ナツメだった。

「名前が止まったら、
みんな、手も止まるんやな」

ナツメは、
どこか寂しそうに笑った。

「人を傷つけんように、
名前を増やしたはずやのに」

「気づいたら、
人に触れんようにする街になっとる」

ナツメは、
シュウの背中を見た。

称号は、まだそこにある。
だが、少しだけ薄くなっている。

「ほんまに怖いんはな」

「傷つけることやない」

「傷つくかもしれんから、
何もせんことや」

ナツメはそう言い残し、
光の層へ溶けていった。

シュウは、
迷いながら、
一歩だけ前に出た。

札は増えなかった。

名付けられない行動

称号が停止してから、
都市はすぐには変わらなかった。

背中の札は残っている。
消えもせず、
新しくもならない。

人々は、
それを確認する癖だけを、
しばらく捨てられずにいた。

だが、ある日から、
小さな異変が起き始めた。

倒れた人に、
誰かが水を置いた。

名前はつかなかった。
称号も増えなかった。

それでも、
その行動は、
確かに起きた。

別の日、
立ち尽くす人に、
声をかける者が現れた。

正しいかどうかは、
誰にもわからない。

だが、
名前がなくても、
手は伸びた。

シュウは、
自分の背中を振り返った。

「配慮不足」
「距離感不明」

札は、まだそこにある。

けれど、
それらは以前ほど、
重く感じなかった。

シュウは歩き出す。

誰かの前で立ち止まり、
少しだけ迷い、
それでも、進む。

称号は増えない。

だが、
いつかまた、
増えるかもしれない。

この都市は、
完璧にはならない。

それでも、
名付けられない行動が、
今日もどこかで生まれている。

シュウは、
その不確かさを抱えたまま、
ネオンの街へと紛れていった。

背中の光を、
完全に信じることも、
完全に無視することもせずに。

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