ミサキ様が通る!──“いい人止まり”を卒業しなさい

目次

◆ ミサキ様が通る!──編集部に“いい人”が発生しました

編集部って、恋が生まれやすい場所なのよ。
締切とコーヒーと人間関係が煮詰まると、心が勝手に“恋”という現象を生成する。怖いわね。

で、今日の編集部。
発生していました。

“いい人”が。

名前はタカオ。編集部員。初登場。
爽やか、礼儀正しい、気遣い完璧。
人間としては素晴らしい。
ただし恋愛市場では、だいたい“安全圏”に隔離されがち

そして被害者…じゃなかった、対象はミカコ。
うちのドライ女王。
感情を燃やす前に電源を落とすタイプ。

タカオは最近、ミカコにやたらと優しい。

コピー用紙が切れたら補充。
ミカコのデスクの近くにそっと置かれる新しいペン。
「寒くないですか?」と、どこからか現れるブランケット。
……何?手品?それとも特殊能力?

ミカコはと言うと、

「ありがとう。助かる」
以上。

はい終わり。解散。現場撤収。
恋、発生しませんでした。

わたしはその光景を見て、
コーヒーを一口飲みながら思った。

タカオさん、ミカコさんに気がありそうね。
……そしてミカコさんには、たぶん1ミリも響いてない

かわいそう?
うーん。
この世界、かわいそうな“いい人”が多すぎて、
わたしの同情が追いつかないのよ。サーバーが落ちる。

でもね。
ネタとしては最高。

だって、ここからが面白いじゃない。
“いい人”が“恋愛対象”に昇格する瞬間。
もしくは、昇格できずに散る瞬間。
どっちでも、記事になる。

わたし?
もちろん介入するわ。

ええ、ええ。わたしは優しい女よ。
タカオさんを救うために——
じゃなくて、ネタを完成させるために。

……最低?
はい、わたしはミサキです。

タカオがミカコにコーヒーを差し出した瞬間、
わたしは静かに立ち上がった。

“いい人止まり”卒業講座、開講します。

◆ タカオさん、それ“恋”じゃなくて“奉仕”よ?

「タカオさん」

わたしは、ミカコのデスクから三歩離れた位置で呼び止めた。
ちょうど彼が、空になったマグカップを回収しようとしていたところ。

……給仕か。

「はい?」

素直。いい返事。
でもね、その素直さが問題なのよ。

「ミカコさん、好きでしょう?」

直球を投げると、人はだいたい固まる。
タカオも例外じゃなかった。

「えっ……いや、そんな……」

出たわね。
“そんな”って言う男、だいたい本気。

「別に否定しなくていいの」
「編集部は恋愛禁止じゃないし」

「ただね」
わたしは声を少しだけ落とす。

「今のままだと、あなたは“いい人”で終わるわよ?」

タカオの表情が一瞬曇る。

「……やっぱり、そう見えますか」

「見えるどころか、完成してる」

コピー用紙補充。
差し入れ。
気遣いフル装備。

「あなたね、優しさを前面に出しすぎなの」

「え、でも優しい方が……」

「優しいは最低条件。武器じゃないのよ。」

わたしは自分の言葉に、内心ちょっとだけうなずく。
……はい、名言ポイント。自画自賛。

「ミカコさんに今どう見られてると思う?」

タカオは少し考えてから、小さく答えた。

「頼れる……人?」

「違うわ」

便利な人よ。」

グサッと刺さる音がした。
たぶん幻聴じゃない。

「恋はね、便利さじゃ始まらないの」

「ちょっとした緊張とか、
“あれ?”って思う瞬間が必要なのよ」

タカオは黙ったまま、わたしを見ている。

……逃げないのは評価できる。

「ねえタカオさん」

「ミカコさんに、自分の“欲”を言ったことある?」

彼は首を横に振った。

「だって、迷惑かもしれないし……」

ああ、出たわね。
“迷惑かもしれない”思考。

「嫌われたくないの?」

「……はい」

「だから“いい人”でいるの?」

沈黙。

わたしは少しだけ笑う。

「嫌われない代わりに、
選ばれもしないわよ?」

空気が少しだけ重くなる。

……うん。いい。
この重さ、記事にできる。

「卒業する?」

タカオはゆっくりとうなずいた。

「……したいです」

わたしは満足げにコーヒーを一口飲む。

よし。
レクチャー、いきましょうか。

◆ いい人をやめる3つの処方箋

「まず一つ目」

わたしは指を一本立てた。

無償の奉仕をやめなさい

タカオが目を丸くする。

「え、でも気づいたらやってしまっていて……」

「気づいてるなら止められるわよ」

「優しさはね、“ここぞ”で使うから効くの」

「常時発動してたら、
それはもう空気清浄機なの」

……自分で言ってちょっと面白い。
わたし、今日キレてる。

「二つ目」

一回くらい断りなさい

「えっ!?」

「ミカコさんが“これお願い”って言ったら、
一回は“今ちょっと手が離せません”って言うの」

「嫌われますよ……」

「いいえ」

「“あ、この人にも都合があるんだ”ってなる」

「恋は対等からしか始まらないのよ」

タカオは考え込む。

「三つ目」

欲を言語化しなさい

「欲……?」

「“一緒に帰れたら嬉しいです”でもいい」
「“今度二人でご飯行きたいです”でもいい」

「でも、“なんでもいいです”は禁止」

「あなたは人間なの。家具じゃない。」

……あら、また名言出たわね。
今日は豊作。

タカオは少し深呼吸してから言った。

「……やってみます」

「そう」

「ただし」

わたしはにっこり微笑む。

「成功するとは言ってないわよ?」

タカオの顔が一瞬引きつる。

「卒業ってね」
「合格とは違うの」

「“いい人でいるのをやめる”だけで、
もう半分は成功なのよ」

さて。

実践の時間ね。

◆ そして、タカオは“いい人”を脱ぎ捨てた

その日の夕方。

ミカコがデスクで作業をしている横に、タカオが立った。

わたしは三歩離れた場所で見守る。
ええ、取材です。盗み聞きじゃない。取材。

「ミカコさん」

声が少しだけ低い。
お、意識してるわね。

「なに?」

ミカコはモニターから目を離さない。

「今度……ご飯、どうですか」

間。

ああ、いいわよその間。
ちゃんと“欲”を言った。
家具卒業。

「今ちょっと立て込んでるのよ」

ミカコはキーボードを叩いたまま答える。

「来週なら……」

「来週も忙しい」

……早い。
展開が早い。
これは嫌な予感しかしない。

タカオは一瞬黙った。

ここで引いたら元の“いい人”。
押しすぎたら事故。

「じゃあ、落ち着いたら教えてください」

よし。
押しすぎない。
いいバランス。

ミカコはやっと顔を上げた。

「うーん」

この“うーん”はね、
だいたい未来がない。

「タカオくんはさ」

はい来た。
“くん”呼びは距離の証明。

「ほんとにいい人よね」

……完封。

タカオの背中がわずかに固まる。

「でも」

あら?

「恋愛対象って感じじゃないのよ」

ストレート。
ド直球。
ミカコ、容赦なし。

タカオは少し笑った。

「そっか」

声は、思ったより落ちていない。

……あら。

ちゃんと受け止めた。

ミカコはそれ以上何も言わず、
また作業に戻った。

タカオは静かに席へ戻る。

わたしは彼の前に立った。

「ミカコさんには響かなかったみたいね。タカオさん、ごめんね♡」

我ながら最低な慰め方。

タカオは苦笑した。

「やっぱり、俺いい人止まりですね」

「違うわ」

わたしは首を横に振る。

「今日は“いい人”じゃなかった」

「ちゃんと欲を言った」

「断られたけど」

「でもね」

それは“便利な人”の終わりよ

タカオは少しだけ目を見開いた。

「恋が始まらなかっただけで」
「あなたは前より、ちゃんと人間よ」

……ちょっといいこと言ったわね、わたし。

編集部の夜は静かに更ける。

“いい人止まり”は卒業未遂。

でもね。

未遂でも、前進。

ミサキ様が通る。
恋は成就しなくても、物語は完成するのよ。

日帰り際。

タカオが、少し照れた顔で言った。

「……ミサキさん」

「今日は、ありがとうございました」

きちんと目を見て言う。
逃げない。
言い訳もしない。

「お礼に、今度ご飯ごちそうします」

——へえ。

(恋愛対象外には頼れる感じなのね)
(わたしが対象外って、ちょっと心外なんだけど)

内心で毒づきながら、わたしは微笑む。

「お礼なんて大げさよ」

「でも、ご飯は行く」

タカオ

「いい店知ってるんですよ」

(素直ね。そこは嫌いじゃない)

「卒業祝いってことにしておきましょう」

恋は始まらなかった。
ミカコには響かなかった。

でも。

さっきまで“便利な人”だった男が、
今はちゃんと“覚悟を持った人”に見える。

優しい。
気遣いもできる。
少し不器用。

(悪くないわね)

わたしはバッグを肩にかける。

「タカオさん」

「次は“いい人”じゃなくて、“あなた”で来なさい」

彼は少しだけ真顔になって、うなずいた。

完封負けの夜。

でも、何も始まらなかったわけじゃない。

——恋かどうかは、まだ分からないけれど。

ミサキ様が通る。
散った恋の隣には、いつも小さな余白がある。

◆ 卒業未遂と、少しだけ頼れる横顔

その日の帰り際。

タカオが、静かに言った。

「……ミサキさん」

「今日は、ありがとうございました」

目を逸らさない。
照れているけど、逃げていない。

「お礼に、今度ご飯ごちそうします」

——へえ。

(恋愛対象外には、余裕あるのね)
(わたしが対象外って、それはそれで心外なんだけど)

内心で軽く毒づきながら、わたしは微笑む。

「お礼なんて大げさよ」

するとタカオは、少しだけ口角を上げた。

「美味しい店、知ってるんですよ」

「静かで、落ち着いてて」
「ちゃんと料理が美味しいところ」

押しつけがましくない。
でも、提案はする。

……あら。

さっきまで“いい人”だった男が、
ほんの少しだけ“選ぶ側”の顔をしている。

(悪くないわね)

「案内してくれるの?」

「もちろんです」

即答。

その瞬間、タカオの輪郭が少し変わった気がした。

優しいだけじゃない。
頼りがいも、ほんの少し。

恋は始まらなかった。
ミカコには響かなかった。

でも。

“便利な人”だった男は、
今、ちゃんと“選択する人”になっている。

わたしはバッグを肩にかける。

「タカオさん」

「食事期待しているわよ」

彼は少しだけ照れながら、うなずいた。

完封負けの夜。

でも、物語は続く。

ミサキ様が通る。
散った恋の隣には、次の選択肢が転がっている。

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