編集部に響くアカリの爆音通話

編集部ってね。
静かなときは、本当に静かなのよ。
キーボードの音しかしない。
コーヒーの匂いだけ漂ってる。
そういう時間も、嫌いじゃない。
……でも。
今日は違った。
アカリ
「えー!うそ!マジで!?待って待って、それヤバくない!?」
編集部に響く声。
しかもデカい。
普通にデカい。
スマホ片手に、アカリが通話している。
最初はまあ、よかった。
若い子だし。
楽しそうだし。
……でも。
長い。
そして。
ずっとデカい。
アカリ
「いやマジそれウケるー!!」
ウケてる。
かなりウケてる。
編集部の空気を全部持っていくくらいには。
ミカコが無言でイヤホンをつけた。
リクがコーヒーを飲みながら遠い目をしている。
ワニオはなぜか観葉植物の影に移動した。
……限界ね。
あたしは立ち上がった。
ナナ
「アカリ」
アカリ
「ん?」
ナナ
「ここ編集部」
ナナ
「居酒屋じゃないのよ」
アカリ
「えっ」
ナナ
「あと声デカい」
ナナ
「会話全部聞こえてるから」
アカリ
「ご、ごめん……」
アカリがスマホを耳から離す。
ちょっとしゅんとしてる。
……。
……あ。
たぶん、ちょっと強かった。
いや。
言ってることは正しい。
正しいけど。
あの顔は、ちょっと刺さった顔だ。
ナナ
「……まあ、ほどほどにね」
少しだけトーンを落として席に戻る。
でも。
もう遅い気もする。
リクがコーヒーを飲みながら、静かに視線をそらした。
……やめなさいその“察してます”みたいな顔。
数時間後。
仕事を終えて帰宅。
バッグをソファに投げる。
ジャケット脱ぐ。
スマホを見る。
アカリから連絡はない。
……いや、別に普通でしょ。
普通なんだけど。
なんかこう。
ちょっとだけ。
胃のあたりに残る感じ。
ナナ
「……言いすぎたかしら」
誰もいない部屋でつぶやく。
……ダメね。
こういうときは。
姉御めしだ。
今夜の姉御めし|気まずさはマヨネーズで流し込む

冷蔵庫を開ける。
……空っぽね。
正確には、酒はある。
でも、まともな食材はない。
まあ、いい。
今日は繊細な料理をする日じゃない。
こういう日は。
雑にうまいもの。
それでいい。
冷凍うどんを取り出す。
レンジへ放り込む。
待ってる間に、袋入りのカット野菜を出す。
キャベツとかレタスとか、色々入ってるやつ。
ナナ
「わたし、野菜は切らないのよ」
誰もいない部屋で言う。
ナナ
「だって最初から切ってあるじゃない」
便利な時代なんだから、使えばいいのよ。
文明を拒否する意味が分からない。
レンジが鳴る。
うどんを取り出す。
熱い。
でも気にしない。
皿にドン。
その上から、カット野菜を袋からそのままザーッと乗せる。
彩り?
知らない。
次。
ツナ缶。
フタを開ける。
油がキラキラしてる。
ナナ
「旨味よ、旨味」
油なんて切らない。
そのままドン。
ツナが崩れようが気にしない。
どうせ口に入れば同じ。
そして。
マヨネーズ。
ぐるぐるぐるぐる。
必要以上にかける。
こういう日は、遠慮しない。
最後にめんつゆ。
ドバー。
……。
ちょっと多い気もする。
でも、今日はこれくらいでいい。
ナナ
「完成」
見た目は。
かなり雑。
いや、正直ぐちゃぐちゃ。
でも。
こういう飯が、一番うまい夜ってあるのよ。
ビールを開ける。
うどんを混ぜる。
マヨとめんつゆとツナ油が全部混ざって、よく分からない色になる。
……。
最高ね。
ナナ
「いただきます」
一口。
……うまい。
味、濃い。
でも今はこれでいい。
アカリのしゅんとした顔が、一瞬だけ浮かぶ。
……。
うどんを大きくすすった。
ナナ
「まあ、明日ちゃんと言えばいいか」
そういうのは。
考え込みすぎると、余計こじれる。
マヨまみれのサラダうどんを食べながら、ビールを飲む。
うん。
悪くない夜だ。
引きずってたのは、たぶんこっちだった

翌日。
編集部に入る。
……ちょっとだけ、空気を探る。
別に怖いわけじゃない。
怖いわけじゃないけど。
まあ。
昨日は、ちょっと強かった気もする。
コーヒーを淹れながら、なんとなくアカリを見る。
普通に仕事してる。
……いや。
普通すぎる。
逆に怖い。
ナナ
「アカリ」
アカリ
「んー?」
軽い。
思ったより軽い。
ナナ
「昨日は……ちょっと強く言いすぎたかも」
アカリ
「え?」
アカリ
「なにが?」
……忘れてる?
ナナ
「電話のやつ」
アカリ
「あー!」
思い出した。
そして。
秒で笑った。
アカリ
「いや、うち普通に声デカかったし!」
アカリ
「あと長かった!」
アカリ
「ミカコさんイヤホンしてたもん!」
……。
気づいてたんかい。
ナナ
「まあ……ならいいけど」
アカリ
「でもちょっとビックリした!」
ナナ
「ごめんって」
アカリ
「でもナナさんってたまにママみたいだよね」
ナナ
「誰がよ」
即答した。
でも。
アカリはケラケラ笑ってる。
昨日の空気なんて、もう残ってない。
……若いわね。
いや。
もしかしたら。
引きずってたの、こっちだけだったのかもしれない。
そのとき。
後ろからワニオの声がした。
ワニオ
「怒った側の方が、あとで一人反省会しがちですからね」
観葉植物の横に立っている。
なんでそこにいるのよ。
ワニオ
「ワニもやります」
ナナ
「知らないわよ」
アカリ
「ワニオまた植物に隠れてるし!」
編集部に笑い声が広がる。
……まあ。
悪くないわね。

