「愛されてるのに、どうして満たされないんだろう?」
ふと、そんなふうに思った夜がありました。
パートナーはやさしいし、生活も安定している。
感謝だってしているし、嫌いになったわけじゃない。
でも、なぜか心にぽっかりと穴が空いたような感覚。
それに気づいたとき、「わたしは贅沢なんだろうか」と自分を責めてしまいました。
でもね、そういう“満たされない気持ち”って、
実は誰にでも静かに訪れるものだと思うんです。
それは、相手が悪いとか、関係が壊れているとか、そういう話ではなくて。
ただ、わたしたちの心が、変化していくものだから。
今日はそんな「愛されているのに、満たされない」感情について、
わたし自身の経験も交えながら、話してみようと思います。
「愛されている」と「満たされている」は違う
「彼はちゃんと連絡をくれるし、記念日も忘れないし、家事も手伝ってくれる」
そう言えるパートナーがいるって、すごくありがたいこと。
でも、心がふと冷える瞬間がある。
そう感じるのは、あなたがわがままだからじゃない。
たぶん、“愛されていること”と“満たされていること”は、別の感情だから。
たとえば──
誰かが忙しい合間に差し出してくれる手土産と、
静かに目を見て「最近どう?」って尋ねられる言葉、
どちらが心に残るかって、人によって違うけれど、
わたしは後者に満たされる。
相手の行動が「愛情の証」だとしても、
わたしたちの心が求めているのは「共鳴」なんだと思う。
ちゃんと見られていること。聴かれていること。
言葉じゃなくて、“まなざし”のほうを、感じていたい。
だから、「愛されているのに、満たされない」ときは、
その“目線のすれ違い”が起きているのかもしれない。
行動と気持ちの重なりに、少しだけズレがあるだけなんだと思うの。
満たされない理由──“心の居場所”がふと空白になる瞬間
満たされなさって、大きな出来事から来るものじゃないことが多いんです。
たとえば、夜ごはんを食べながらなんとなく話していて、
相手がふとスマホに視線を落とす。
その一瞬で、なぜか心がスッと冷えてしまう。
そんな経験、ありませんか?
「一緒にいるのに、どこかに置いていかれてる」
そんな感覚が積もると、心の居場所がふっと空白になることがあるんです。
わたしたちは、「会話がある=つながっている」と思いがちだけど、
ときにその言葉たちがただの日課や確認事項になってしまって、
肝心の“心”が触れ合っていないこともある。
価値観のズレや沈黙の重たさが、
本当はもっと深いところで「わたしを見てほしい」という願いに繋がっているのかもしれない。
でもそれをうまく言葉にできないからこそ、
「満たされない」という曖昧な苦しさとして、
私たちの胸の奥に残ってしまうのだと思うんです。
自分の心に耳を澄ませてみる──責めずに、静かに問いかける
わたしたちは、「幸せそうな自分」でいようとするとき、
心の声を置き去りにしてしまうことがあります。
「こんなことで寂しいと思うなんて、自分が悪いのかも」
「愛してくれているんだし‥‥、もっと我慢しなくちゃ」
──そんなふうに、知らないうちに自分を責めてしまう。
でもね、寂しいと思うことは、決して悪いことじゃないんです。
その気持ちは、誰かを責めるためのものじゃなくて、
「わたしの心が、ここにいるよ」と教えてくれているサイン。
だから、無理に否定せずに、そっと耳を傾けてみてほしい。
「わたしは、何にふれていたいと願っているの?」
「どんなときに、心があたたかくなるの?」
その問いかけは、きっと未来を変える“気づき”につながっていく。
答えがすぐに出なくても大丈夫。
自分の心に寄り添う姿勢が、まずはすべての始まりなのだから。
まとめ──満たされなさの先にある“本当のつながり”へ
愛されているのに、満たされない──
それは、誰かを責める気持ちではなく、
「もっと心を通わせたい」という小さな祈りなのかもしれません。
わたし自身、その感情を抱えて戸惑ったことがあります。
「何も不満はないはずなのに、どうしてこんなに寂しいんだろう」と、
静かに自分を見つめ直す時間を持ったあの夜を、今でも覚えています。
そして気づいたんです。
満たされなさは、わたしの“足りなさ”ではなく、
本当に大切にしたいものに気づくためのサインだったと。
誰かと一緒にいながら、自分の心にもしっかり手を伸ばすこと。
そのバランスを探す過程にこそ、私たちの愛のかたちがあるのだと思います。
どうかあなたも、自分の気持ちをないがしろにしないで。
「もっとこうだったらいいのに」と感じたその心の声を、
やさしく受け止めてあげてくださいね。
それが、いまの関係を見つめ直すヒントになるかもしれませんし、
あたらしい愛のあり方へ進むきっかけになるかもしれません。
あなたの心が、今日も静かにあたたかくありますように。