一人が平気。でも、たまに平気じゃなくなる夜がある

ひとりで過ごすことに、ずいぶん慣れた。

休日にカフェに行っても、ひとり。買い物も映画も、誰かと行かないのがデフォルトになって久しい。

家に帰って、コンビニで買ったスープを温めて、お気に入りの動画を流して、ご飯を食べる。

それで充分。別に不満もない。むしろ、自分のペースで動けるこの感じが、心地いい。


「寂しくないの?」って聞かれるたびに、正直ちょっと面倒だった

「ひとり暮らしって寂しくない?」 「彼氏いないの? ひとりで大丈夫?」

たまに、そういう質問を投げられる。悪気がないのはわかってる。けど、毎回少しだけ答えるのが面倒だ。

なぜ“誰かがいない”ことを前提に、寂しいと決めつけられるんだろう。

もちろん、誰かと一緒にいた時間が恋しいと思う夜だってある。 でもそれは、“今が不幸だから”じゃない。 たまたま、そのときの気分が、誰かの気配を求めているだけ。


寂しさは、不在そのものより「比較」から生まれる

ある日の夜。SNSを開いた。

「彼と初旅行」「付き合って3年目の記念日」「大好きな人と過ごすクリスマス」

そこには、誰かと“並んでいる”写真が並んでいた。

ひとりでいることに慣れたはずの私が、そのときだけはスマホの画面を閉じた。

たぶんそれは、誰かが楽しそうにしてるのがうらやましかったというより、 「私には今、ああいう誰かがいないんだ」って、自分に気づかされたから。

比べなければ、気にならないのに。 見なければ、感じなくて済んだのに。


平気だったはずの夜に、ふいに涙が出そうになる瞬間

それは突然やってくる。

寝る前に読んだエッセイ。 自分の好きな映画のワンシーン。 ふと頭をよぎった、昔のやりとり。

そんな些細なことで、平気だったはずの夜が、平気じゃなくなる。

誰にも言わないけど、 たまに、自分がものすごく“欠けた存在”みたいな気がして、焦る。

誰かとちゃんと向き合えない自分。 傷つくのが怖くて、最初から距離を取ってること。 本当は誰かを求めてるくせに、強がってること。

見ないふりしていた気持ちが、一気に押し寄せてくる。


強がってるわけじゃない。ただ、うまく言葉にできないだけ

「ひとりが楽」って口にするのは、強がりなんかじゃない。

誰かに自分を預ける怖さを知ってるから。 一度誰かと深く関わったあと、戻ってくる“孤独”がどれだけきついかを知ってるから。

だから、あえてひとりを選んでる。 無理して「恋したい」とも言わないし、さみしいとも言わない。

それが、自分を守る方法だった。


でもたまには、誰かの背中を借りて眠りたい夜もある

たとえば、今夜みたいな日。

カーテンを開けたら、夜風が少し冷たくて。 ベッドに入っても、なかなか寝つけなくて。

そんなときは、ちょっとだけ思う。

隣に誰かがいてくれたら、眠れるのかな。 「大丈夫?」なんて、何も聞かずに背中を撫でてくれたら──って。

誰にも言わない。言えないけど。

一人でいることに慣れた私にも、そういう夜はある。


その弱さを、隠さなくてもいい場所があってもいいと思う

「一人でも平気」は、嘘じゃない。ちゃんとそう思ってる。

でも、「たまに平気じゃなくなる」も、同じくらい本当。

強くなったつもりの自分にも、まだ泣きたくなる夜がある。 それを誰かに見せる必要はないけれど、 自分で「そんな自分もいる」って受け止めてあげられたら、少しだけ楽になれる気がする。

そして、そんな夜に読んだ誰かの言葉が、ふと心に残って、 次の日を、少しだけやさしく迎えられるかもしれない。

だから、私はこの文章をここに置いておく。

きっと、誰かの平気じゃない夜にも、届くといいなと思いながら。

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この記事を書いた人

恋愛は後回し。でも分析は得意。冷静だからこそ見える恋のポイントを、ちょっとドライに、でも本音で伝えていきます。
モットーは「期待しない、でも希望は捨てない。」

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