静かな夜。
編集部の帰り道にあるバー「恋古都(こいこと)」には、変わらぬ灯りがともっている。
木のカウンターにそっと置かれたグラス。
ジャズが低く流れる空間に、ケンジとマリ、そしてソウタが並んで座っていた。
ケンジ:「……ここはさ、何も言わなくても落ち着くんだよな」
マリ:「わかる。会話がなくても、沈黙にちゃんと居場所がある感じ」
ソウタ:「うん……なんかね、安心する。音も、光も、ちょうどよくて」
3人はそれぞれのグラスを持ちながら、時間の流れに身をゆだねていた。
ケンジのグラスには、琥珀色のウイスキー。
マリは深い赤のワインをゆっくりと回す。
ソウタは、ミルクベースの甘いカクテルを両手で包み込んでいる。
ケンジ:「昔はさ、恋って燃えるもんだと思ってたけどな」
マリ:「ふふ。歳を重ねると、“燃える”より“灯る”のほうが心地いいのよ」
ソウタ:「“灯る恋”……なんか、きれい」
ケンジ:「お前、たまに詩人みたいなこと言うよな」
ソウタ:「えへへ。なんかね、ここに来ると、そういう気分になる」
マリがそっとカウンターに目を落とす。
マリ:「……このカクテル、前に誰かが頼んでた気がする。名前、忘れちゃったけど」
ケンジ:(一瞬、目を伏せたあと)「かもしれねぇな。昔、誰かが“味より色が好き”って言ってたっけな」
マリは微笑んだだけで、何も言わなかった。
ソウタはそのやり取りを聞きながら、グラスの縁を指でなぞっていた。
ソウタ:「ねぇ、おふたりは、恋が終わったあとって、どうしてるの?」
マリ:「終わったあと……か。私は引き出しにしまう感じかな。鍵もかけない、でも誰にも見せない」
ケンジ:「そんで、たまにその引き出し開けて、空気だけ吸って閉める。そんなとこだろ」
ソウタ:「さみしくないの?」
マリ:「少しね。でも、寂しさって悪いもんじゃないのよ。ちゃんと過去を愛した証だから」
静かな間が落ちた。 ケンジが新しいグラスに口をつけ、マリがワインの脚をくるりと回す。
ソウタ:「あのさ……この間、編集部で見かけた子がいたんだ」
ふたりが視線を向ける。ソウタは照れたように笑った。
ソウタ:「ひとりで泣いてて。小さく背中丸めて、声も出さないで。
声かけようと思ったんだけど、できなかった」
ケンジ:「そりゃ……お前らしいな」
マリ:「気になってるのね、その子のこと」
ソウタ:「うん……よく知らない。でも、ずっと引っかかってる。
その日から何度も思い出してて……変かな」
ケンジ:「変じゃないよ。恋ってやつは、始まりが静かなほど、長く残るもんだ」
マリ:「想ってるって、もう恋の一部なのよ。言葉にしなくても、ね」
ソウタ:「……そっか」
グラスの中のカクテルが、少しだけ減っていた。
ソウタ:「今日みたいな夜、好きです。……やっぱり、ここって落ち着きますね」
ケンジ:「それが“大人の夜”ってやつさ。言葉じゃなく、空気で会話する」
マリ:「そして、また明日もやっていける気がする。それだけで、充分」
3人はそれぞれのペースでグラスを傾けた。
BAR 恋古都。
言葉にならない想いが、静かに灯る夜。