こいこと。偉人の名言にモノ申す!
今回取り上げるのは、小説家・芥川龍之介の名言。
「われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である。」
――芥川龍之介(小説家)
恋に傷ついたとき、時間が癒してくれる──そんな話はよく聞くけれど、 芥川のこの一言は、もっと冷静で現実的だ。 “理性”では恋を止められない。 でも“忙しさ”なら、恋の痛みをやわらげてくれる――そう言っているのかもしれない。
たしかに、仕事や趣味に没頭しているときほど、恋の傷は鈍くなる。 けれど一方で、「忙しさでごまかしてるだけ」と感じたことがある人も多いはず。
今回は、恋も仕事も知る4人──ミカコ・ケンジ・ナナ・ソウタが登場。 「多忙は救いか?逃げか?」をテーマに、 現代の恋と働き方のリアルを語り合います。
「恋を忘れるほど忙しい」って、幸せなの?
編集部:今回の名言、「われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である」。 芥川龍之介らしい知的な皮肉とも言える一言ですが、皆さんはどう感じますか?
ミカコ:わたし、これめちゃくちゃ共感します。 恋の痛みって、考えすぎると余計に深く刺さるのよね。 仕事に集中してるときって、思考が“未来”に向いてるから、心が回復する。 だから忙しさって、ある意味“心の麻酔”だと思うの。
ケンジ:うん、麻酔って言葉、いいな。 俺も失恋したときは仕事に逃げたよ。 毎日クライアントに頭下げてたら、恋愛のことなんて考える暇がなくなる。 ただ、気づいたら“心まで仕事モード”になってて、恋の感情が鈍くなってたけどな(笑)。
ナナ:あー、それちょっとわかる! 忙しいと確かにラクにはなるんだけど、 恋を忘れられるのって、なんか悲しくない? あたし、恋してる時間のバカっぽさも好きなんだよね。 “恋してる自分”を完全に消したくないというか。
ソウタ:うん、なんか…“恋も多忙も、熱の向きが違うだけ”な気がする。 恋の熱は人に向かってて、忙しさの熱は自分に向かってる。 どっちも生きてる証なんじゃないかなぁ。
ミカコ:ソウタくん、詩人だね(笑) でも確かに、忙しさって“自分のための恋愛”みたいなとこあるかも。 夢中になってるときの自分って、けっこう魅力的だし。
ケンジ:ただなぁ、忙しさに救われるのは一時的だ。 結局どっかで静まったとき、ふっと思い出すんだよ。 “あの人、どうしてるかな”って。 だから俺に言わせりゃ、“多忙は避難所”。永住はできねぇ。
ナナ:ケンジさん、名言出た(笑)! でも確かにそうだよね。 忙しさで逃げても、落ち着いた瞬間にドーンと来る。 だからあたしは、“理性”と“多忙”、どっちも必要派!
編集部:なるほど。 ここまでの話を聞くと、忙しさは“逃げ”にも“癒し”にもなる。 それぞれがどう恋と仕事を両立してるのか、もっと掘り下げていきましょう。
忙しさで救われる恋もある。けど、恋で救われる人もいる。
編集部:では次に、「忙しさ」と「恋」、どちらが人を救うと思いますか?
ミカコ:私は、“忙しさに救われた経験”がある。 失恋したとき、誰かにすがるよりも、仕事に没頭してたほうがマシだった。 スケジュールを埋めていくうちに、少しずつ心が回復していくのよ。 なんか、日々のタスクが“恋のリハビリメニュー”みたいで。
ナナ:それ、あたしの真逆だ(笑)。 忙しいと恋がしたくなるタイプ。 仕事ばっかしてると、「誰かに会いたいなぁ」って気持ちがふくらむんだよね。 疲れてるときほど、恋のエネルギーで生き返る感じ。
ケンジ:わかる。 忙しさで恋を忘れるのは簡単だけど、 恋で“忙しさを乗り切れる”ときもある。 若いころ、現場が地獄みたいな日々でも、 好きな人と一杯飲むだけで次の日また頑張れたもんだ。
ソウタ:……“多忙”ってさ、外の世界の音を大きくすることだと思うんだ。 “恋”は逆に、内側の音を大きくする。 だから、多忙は現実の中で助けてくれて、 恋は自分の中を助けてくれる、そんな気がする。
ミカコ:なるほど。いいこと言うじゃん。 そう考えると、どっちも“生き延びる手段”なんだね。 たぶん芥川も、恋に苦しんでる自分を“忙しさ”で鎮めようとしたのかも。
ケンジ:あー、それあるな。 芥川って繊細だったし、恋にも脆いタイプだったんだろう。 “理性”じゃ感情を止められないから、“忙しさ”で自分を守る。 なんか、男としてわかるよ。
ナナ:あたしは逆に、「忙しさで逃げる恋」ってちょっとズルいと思うな。 ほんとは向き合いたいのに、 “忙しいから”って理由を使って自分をごまかしてるだけのときもあるじゃん?
ミカコ:それはある(笑)。 忙しさを言い訳にして、恋から逃げてる人っている。 でも、その逃げ方が悪いとも言いきれないんだよね。 恋を失っても、生きてくためには現実にしがみつくしかないときもあるから。
ソウタ:うん……。 “恋をやめるために忙しくなる”って、 たぶん“愛してた証拠”なんだと思う。 だって、本当にどうでもよかったら、忙しくしてまで忘れようとしないでしょ。
ケンジ:おお、言うねぇ。若いのに沁みるじゃねぇか。 そう考えたら、“多忙”ってのは恋の終わりじゃなくて、次の始まりなのかもな。
編集部:恋に救われる人もいれば、忙しさに救われる人もいる。 どちらを選ぶかは、そのときの自分次第――そんな答えが見えてきました。
では最後に、この名言をそれぞれの視点で言い換えてみましょう。
“多忙”も“恋”も、人を生かすための燃料。
編集部:それでは最後に、芥川龍之介の名言「われわれを恋愛から救うものは、理性よりもむしろ多忙である。」を、それぞれの言葉で言い換えてもらいましょう。
ミカコ:「忙しさは、恋の痛み止め。けど効きすぎると、心まで鈍る。」 多忙って、恋を忘れたいときの特効薬。 でも飲みすぎると、人を愛する感覚まで麻痺しちゃう。 恋と仕事、どっちも“感じる力”がなきゃ意味がないのよ。
ケンジ:「恋を癒すのは仕事じゃない。時間をちゃんと使うことだ。」 忙しくしてりゃ忘れた気になれるけど、それは“処理”だ。 ちゃんと心を使う時間を作ること。 それができれば、恋も仕事もどっちも裏切らねぇ。
ナナ:「恋を救うのは、多忙でも理性でもなく、次の恋だと思う!」 忙しくても恋したいし、恋してても仕事したい。 どっちも本気でやるのがあたしのスタイル。 “燃え尽きるまで恋したい”って思えるくらいが、人生ちょうどいいんだよね。
ソウタ:「忙しさは恋の静かな弟。どっちも人を動かす力がある。」 どっちも“生きてる実感”をくれる。 恋が止まったら、忙しさに助けてもらえばいいし、 忙しさに疲れたら、恋を思い出せばいい。そんな感じが好きだな。
編集部:それぞれの言葉に、“生き方”がにじみ出ていました。 忙しさも恋も、使い方次第で人を救うし、壊すこともある。 芥川の言葉は、いまの時代にも確かに響いています。
理性じゃ止められない恋も、忙しさならそっと包める。
芥川の言葉は、恋に疲れた人の心を、少しだけ現実へ引き戻してくれる。 「理性」では冷たすぎるけれど、「多忙」なら優しく距離を取れるからだ。
恋を忘れるために忙しくなる人もいれば、忙しさの中で恋を思い出す人もいる。 忙しさは、恋を消すものじゃなくて、恋を整理する時間をくれる存在なのかもしれない。
恋も仕事も、どちらも人を動かすエネルギー。 どちらが勝つかではなく、どちらに救われたか―― その答えは、あなた自身の中にある。

