マフラーを編みながら、ミサキは思った。
――わたしってば、こういうのも得意なのよね。
毛糸は淡いグレー。 派手すぎず、でも地味すぎない色。 誰が巻いても、それなりに“ちゃんとして見える”色を選んだ。
ミサキ「料理もできる、文章も書ける、見た目も悪くない。で、手編みもできる。……なんでもできる女ミサキよ」
そう呟いて、自分で少し笑う。 冗談みたいに言っているけれど、半分は本気だった。
編み針を動かすリズムは一定で、頭は妙に冷えている。 恋に浮かれているわけじゃない。 むしろ逆だ。
ミサキ「……せっかく編んだんだし、誰かにあげたいわよね。クリスマスだし」
でも、彼氏はいない。 このマフラーに“意味”を持たせる相手も、今はいない。
一瞬だけ、ある顔が浮かんだ。
ミサキ「……リクにでも、あげようかしら」
すぐに、その考えを自分で疑う。
ミサキ「でもそれ、変よね。復縁したいなんて勘違いさせたらどうするの」
わたしはもう、未練なんてない。 多分。
勘違いさせる優しさなんて、いちばんタチが悪い。
それでも、マフラーはもう完成していた。 ほどく理由も、しまい込む理由も、見つからない。
ミサキは完成したマフラーをそっと撫でて、息を吐いた。
ミサキ「……クリスマスくらい、いいでしょ」
そう言い聞かせるようにして、 マフラーを紙袋に入れた。
ケーキを選ぶ理由なんて、なくていい
マフラーだけが入った紙袋を手に、ミサキは歩いていた。
本当なら、そのまま編集部へ向かえばいい。 用事はマフラーを渡すだけのはずだった。
……なのに。
ミサキは、気づけばケーキ屋の前に立っていた。
ショーケースの中は、完全にクリスマス仕様。 赤、白、緑。 どれもこれも「誰かと食べる前提」の顔をしている。
ミサキ「……ひとりで食べたら犯罪みたいな見た目ね」
腕を組んで、じっと眺める。 買う理由はない。 でも、立ち去る理由もない。
ミサキ「別に、ケーキ=恋人ってわけじゃないでしょ」
誰に言うでもなく、小さく呟く。 こういう理屈を並べ始めた時点で、少し怪しい。
ミサキ「仕事仲間に差し入れとか。季節の挨拶とか。糖分補給とか」
どれもそれっぽい。 でも、どれもしっくりはこない。
視線が、自然と一つのケーキに吸い寄せられた。
チョコレート多めで、甘すぎないやつ。 派手じゃないのに、ちゃんと美味しそうな顔をしている。
ミサキ「……あれ、好きだったな」
口に出してから、すぐに付け足す。
ミサキ「過去形よ。過去形。データとして覚えてるだけ」
長く一緒にいれば、好みくらい覚える。 それは未練じゃなくて、記憶力の問題だ。
ミサキ「むしろ優秀でしょ。元カレの嗜好を把握してる女」
そう自画自賛してみるけど、心は少しだけざわつく。
もしこのケーキを買って、 もし編集部に持って行って、 もしリクが「一緒に食べよう」なんて誘ってきたら。
ミサキ「……だめだめ。想像が飛躍しすぎ」
首を振って、深呼吸。
ミサキ「マフラーはいいの。あれは“物”。実用品。防寒具」
でも、ケーキは違う。 クリスマスイブにケーキは、どうしたって“一緒に食べる前提”のものだ。
ミサキ「ケーキまで持って行ったら、さすがに意味深すぎるわね」
そう結論づけて、ショーケースから一歩離れる。
……離れる、はずだった。
ミサキ「…………」
もう一度だけ、あのチョコレートケーキを見る。
ミサキ「……買うだけよ。食べる相手は、そのあと考えればいい」
そうしてミサキは、店員に声をかけた。
クリスマスイブ、編集部で聞こえてきた話
編集部のドアを開けると、いつもより静かだった。 年末で、人はまばら。 キーボードの音だけが、やけに響く。
ミサキ「……あ、リク」
デスクに座っていたリクが顔を上げる。 少し驚いたような、でもいつもの穏やかな表情。
リク「おつかれ。珍しいね、この時間」
ミサキ「ええ。ちょっと寄っただけ」
紙袋を持ったまま、数秒だけ間が空く。 ミサキはその沈黙を、自分で切った。
ミサキ「……これ、使いなさい」
紙袋を差し出すと、リクは一瞬きょとんとした顔をする。
リク「え、俺?」
ミサキ「そう。マフラー」
中を覗いて、リクは目を丸くした。
リク「手編み?」
ミサキ「そう。でも深い意味はないわよ」
少しだけ語気を強めて、続ける。
ミサキ「せっかく編んだんだから、誰かが巻かないともったいないでしょ。 あたしが持ってても意味ないし」
肩をすくめて、笑ってみせる。
ミサキ「寒いんだから、使いなさいよ。リク」
リクは少し照れたように笑って、マフラーを手に取った。
リク「ありがとう。助かる」
それで、十分。 ……そのはずだった。
少し離れたところで、ユウトの声がした。
ユウト「リク、今夜って例のライターさんと会う日だよな?」
ミサキは、書類に目を落としたまま、耳だけを向ける。
リク「うん。 昔から知り合いの編集者さんがいてさ。 “一度会ってほしいライターがいる”って言われて」
ユウト「へぇ」
リク「食事する場所まで、もう予約してあるみたいで。 断りづらくてね」
少しだけ苦笑して、続ける。
リク「だから、行ってくるよ」
ユウトは一瞬考えてから、軽く笑った。
ユウト「相手、女性でしょ? それ、クリスマスデートみたいなもんじゃないか」
リク「いや、そういうつもりじゃ……」
ミサキ「……」
心の奥で、ちゃんと音がした。 でも、顔には出さない。
ミサキ「それなら、なおさらよ」
顔を上げて、マフラーを見る。
ミサキ「デートなら、ちゃんとおしゃれしなさい。 首元スースーさせて行くの、相手に失礼でしょ」
リク「え、でも……」
ミサキ「いいから。使いなさい」
強めに言って、話を切る。
ミサキ「じゃ。用事あるから」
これ以上ここにいたら、 “余裕のある女ミサキ”が保てなくなりそうだった。
ミサキは振り返らずに、編集部を出た。 背中に何か言葉が飛んできた気がしたけれど、 聞こえなかったことにした。
夕方の公園で、あいつに会う
編集部を出ると、空はまだ明るかった。 夕方特有の、少しだけ色の薄い光。
ミサキ「……まだこんな時間か」
家に帰るには早い。 かといって、どこかに寄る気分でもない。
気づけば、ミサキは近くの公園に足を向けていた。 ベンチも、遊具も、いつもと変わらない。
ミサキ「……変わらないのって、逆に腹立つわね」
ベンチに腰を下ろして、息を吐く。 さっきまで張っていた何かが、少しだけ緩む。
ミサキ「別に落ち込んでるわけじゃないのよ。 想定内だし。 むしろ順調。そう、順調」
誰に言うでもなく、言い切る。
そのとき、少し離れたところから声がした。
ワニオ「こんにちわ」
ミサキ「……こんにちわ」
振り返ると、そこにワニオがいた。 特に意味もなさそうに、ベンチの近くを歩いている。
ミサキ「あなた、最近よく公園にいるわね」
ワニオ「散歩に適しています」
ミサキ「その姿で?」
ワニオ「この姿だからです」
ミサキは思わず、小さく笑った。 理由は分からないけれど、肩の力が抜ける。
ワニオ「今日は、まだ明るいですね」
ミサキ「ええ。中途半端な時間」
ワニオ「人間は、その時間帯に考え事をしがちです」
ミサキ「……統計でも取ってるの?」
ワニオ「体感です」
ワニオはミサキの隣ではなく、少し離れた位置に立った。 妙に距離感を守る。
ワニオ「空の紙袋ですね」
ミサキ「ええ。さっき、処分したから」
ワニオ「処分?」
ミサキ「人に使ってもらうって意味」
ワニオ「それは、処分というより有効活用です」
ミサキ「でしょう? わたし合理的なの」
ワニオ「不合理な心境の人は、よくそう言います」
ミサキ「なにそれ」
しばらく、ふたりとも黙る。 夕方の公園は、ちょうどいい静けさだった。
ワニオ「……お腹は空いていますか?」
ミサキ「え?」
ワニオ「この時間帯は、空腹を感じやすいです」
ミサキ「……あなた、ほんとに察しないわね」
ワニオ「察する必要はありますか?」
ミサキ「……ないかも」
ミサキは少し考えてから、立ち上がった。
ミサキ「ねえ、ワニオ」
ワニオ「はい」
ミサキ「少し歩きましょう」
ワニオ「歩行は好きです」
理由を聞かれないのが、ありがたかった。 説明しなくていいのが、いちばんの救いだった。
ふたりは並んで、公園を出た。 空はまだ、少しだけ明るいままだった。
ケーキの行き先が決まる
公園を出て歩きながら、ミサキはふと思い出した。
ミサキ「……そうだ。これ、あるのよ」
さっき買ったケーキの箱。 紙袋とは別に、ちゃんと持っていた。
ワニオ「甘そうな箱ですね」
ミサキ「箱のコメントいらないわよ」
ワニオ「では中身にします。何ですか?」
ミサキ「ケーキ。クリスマスっぽいやつ」
ワニオ「なるほど。季節行事用の糖分」
ミサキ「言い方」
ワニオはケーキの箱を見て、少しだけ首をかしげた。
ワニオ「それは、誰かと食べる前提の食品ですね」
ミサキ「……うるさいわね。知ってるわよ」
ワニオ「ひとりで食べると、余りますか?」
ミサキ「余らないけど、気持ちが余るの」
言ったあとで、自分の発言に少しだけ笑ってしまう。 今日は変なことを口にしやすい日らしい。
ミサキ「……ねえワニオ。これ、あげる」
箱を差し出すと、ワニオは受け取らずに一拍置いた。
ワニオ「なぜ私に?」
ミサキ「いるでしょ。クリスマスっぽいもの」
ワニオ「私はクリスマスに興味がありません」
ミサキ「知ってる。だからちょうどいいのよ」
ワニオ「……理屈がよく分かりません」
ミサキ「わたしもよく分かってないわ。だから渡すの」
ワニオは少しだけ考えて、素直にケーキを受け取った。
ワニオ「ありがとうございます。では、どこで食べますか?」
ミサキ「え、今食べる前提?」
ワニオ「ケーキは食べるために存在します」
ミサキ「それはそうだけど」
ワニオ「歩きながら食べるのは推奨されません」
ミサキ「急にまとも」
ワニオ「食事をする場所に行けば、椅子と皿があります」
ミサキ「あなた、便利ね」
ワニオは胸を張った。
ワニオ「私はワニです」
ミサキ「自慢するところそこ?」
ミサキは少しだけ考えてから、肩をすくめた。
ミサキ「……じゃあ、ご飯でも行く?クリスマスイブでも入れる店あるでしょ」
ワニオ「承知しました」
“行く”と言った瞬間、気持ちが少しだけ軽くなる。 説明も、正当化も、今日は要らない。
夕方の街は、どこもクリスマスの匂いがしていた。 人は多いのに、空だけが妙に広い。
ミサキ「……あーあ。クリスマスって、ほんと面倒」
ワニオ「面倒な行事ほど、定着します」
ミサキ「真理を言うな」
ワニオはケーキの箱を抱え直して、のんびり歩く。
ワニオ「では、行きましょう」
ミサキ「ええ。行きましょう」
ミサキは自分でも驚くくらい、自然に笑っていた。
クリスマスイブ。 予定なんてなかったはずの夕方が、少しだけ“形”になっていく。
・ミユ編は今夜公開



