だがしやナツメ
アカリ、駄菓子屋ナツメに立ち寄る。そこには跳び箱をする店主がいた。
──その日、アカリは学校帰りに迷い込んだ。
見たこともない細道の奥に、くすんだ色の看板。
「だがしやナツメ」
木の扉を押し開けた瞬間、アカリは凍りついた。
跳び箱。いや、跳び箱の上に立ってる男。跳んでる最中だった。
「いらっしゃーい。今日は風が逆立ってるで」
「え、何してんの?」
「店番やがな。跳び箱、見張らなな」
跳び箱を見張る店主・ナツメ。店の棚には、アメ玉・謎のボタン・使用済みのラブレターの写しなど、よく見るとまったく駄菓子じゃないものばかり。
「これ、売ってるの?」
「売ってるし売ってない。恋ってそんなもんや」
アカリはすぐに何かがおかしいと悟った。だけど帰れなかった。
恋は失恋の味
恋の味がするアメ玉。だけど名前は「失恋ドロップ」。
「これ、味は恋らしいで」
ナツメが差し出したのは、小さなドロップ缶。金色に光ってて、開けると桜の匂いがする。
「でも名前、失恋ドロップって書いてあるけど……」
「そうや。恋を味わいたかったら、まずは失恋から始めんとな」
「ちょっと意味わかんないけど、もらう」
アカリはひとつ口に入れた。甘い。けどちょっとしょっぱい。なんだこれ。
「……これ、ほんとに恋の味なのかな」
「味は人によって変わるんや。お前にはまだ、出会いの味かもな」
ナツメは跳び箱の上で仁王立ちしたまま、何かを見つめていた。店の天井には空が描かれている。しかも動いていた。
人生は跳び箱?
恋バナ、なのか。何の話かわからないけど、確かに恋のにおいがした。
「ナツメって、恋したことあるの?」
「あるで。ボールペンと」
「人間じゃないの!?」
「ボールペンのインク、切れてん。最後に出た文字、“またね”やった。切なかったなぁ」
「切ない……のかな……」
アカリは思った。この店では、すべてが変。でも心があったかい。不安なのに、笑ってしまう。
「アカリは誰か好きなん?」
「……たぶん、いる。けど、好きってよくわかんない」
「せやろな。跳び箱も、跳んでからや。怖かったかどうか思い出すのは」
「好きって、跳び箱なの?」
「せやで。失敗したらスネ打つし、成功したらちょっと誇らしい」
アカリは店の奥に跳び箱が並んでるのを見つけた。全部、高さが違う。名前がついていた。
“はじめての告白” “一緒に下校” “ちょっとヤキモチ” “別れ話”
「これ全部、跳ぶの?」
「順番は自由や。人生ってそやろ?」
別れの紙風船
別れの予感がする紙風船。
「これは?」
アカリが指さしたのは、紙風船。けど表面にびっしりと、数字と文字が書いてある。
「“あと6日”って書いてあるんだけど」
「せや、期限付きの片想いや」
「え、それって……終わっちゃうってこと?」
「ちゃう。“期限がある”ってわかってたら、人は丁寧に想うもんや」
アカリは、その紙風船をそっと手に取った。ふわっと風が通って、彼の顔が浮かんだ気がした。
「ナツメ、なんでこんな変なもん売ってるの?」
「変なもんしか売らんと、生きてるって感じせぇへんからや」
閉店はいつか。恋の終わりと似てるから。
「このお店、いつ閉まるの?」
「風が止んだら閉まるで」
「それっていつ……?」
「誰かが“好きやった”って過去形で言ったときや」
「ちょっと怖い……」
「怖くてええねん。怖いままが、いちばん恋に近いからな」
アカリは手にアメ玉を、ポケットに紙風船を入れた。
外に出ると、もう夕暮れだった。振り返ると、お店はなかった。
でも口の中は、まだ甘くてしょっぱいままだった。
あとがき
恋は不条理で、不確かで、まるで跳び箱。
ときどき痛くて、ときどき空が見える。
誰かの思い出が、どこかの駄菓子屋に落ちているかもしれない。
