夏の特別企画「呪いのサイト・デスラブ」第5話|愛がほしかった女

目次

呪いは編集部にも迫っていた

──夜。ソウタは部屋の明かりも点けず、ベッドの上で天井を見ていた。

スマホが震える。

〈リク〉からのメッセージだった。

「ナナさん、今夜、編集部で倒れた」

文面に目を通した瞬間、胸の奥が冷たくなる。

「逆さまになって、壁に張りついてたらしい。“絹ヱ、壱、絹ヱ、弐……”って、ぶつぶつ数えてたって」

……あの言葉。また、絹ヱ。

ふざけた都市伝説なんかじゃない。現実が、確実に侵食されている。


その頃、ミユの部屋。

スチームの立ち上るマグカップを手に、テレビの音をBGM代わりにぼんやりしていた。

スマホが震えた。

〈ミカコ〉からだった。

「ナナさん、病院に運ばれた。編集部で放心状態。逆さまになってたって」

「“赤い絹ヱをたくさん食べた”とだけ繰り返してる。会話にならない」

読んだ瞬間、マグカップを落としそうになった。

ナナさんまで……?

いてもたってもいられなくなったミユは、すぐに連絡先一覧から〈ソウタ〉を選んで通話ボタンを押した。


「ソウタ、聞いた? ナナさんが……」

ミユの声は震えていた。

「ああ、リクから来た。逆さまになってたって」

「……やっぱり、来てるよ。呪い、ほんとに来てる」

ミユの息が荒くなる。

「もう、時間ないよね? デスラブと絹ヱの謎、早く解かないと……」

電話の向こう、ソウタはゆっくりうなずいた。

ふざけたホラーじゃない。これはもう、戦いだ。

その時だった。ふたりのスマホに、まったく同じ通知が届く。

『絹ヱ、壱。絹ヱ、弐。絹ヱ、参。──あなたは何番目?』

不在の気配に触れる

ミユは、駅前のカフェで二人を待っていた。
アイスラテのグラスにはすでに水滴が垂れ、ミユの視線はずっとスマホの通知画面に向けられたままだ。

「お、いたいた」

ソウタが軽く手を上げて近づくと、ミユは顔を上げ、ふっと笑う。

「ごめん、先来ちゃってた。……緊張してたのかも」

「そりゃそうだろう。死んだ人の部屋に行くんだ。気楽に構えろってほうがムリだよ」

モメンがそう言って肩をすくめる。
三人は互いに顔を見合わせ、言葉少なにビルへと向かった。

向かった先は、少し古びた雑居ビルだった。
人通りの少ない通りに面していて、看板も色あせている。
エレベーターの横には、利用者リストらしき掲示板。だが、601号室の欄だけは空白だった。

「ここで合ってる?」

ミユが小声で聞く。

「うん。ヒトエのレンタルオフィス。とっくに解約されてるかもしれないが……」

モメンが呟くように答える。

だが、呼び鈴は生きていた。
そして、エントランスの管理パネルにログインしてみると、名義こそ不明なものの601号室の契約は現在も継続中。
“利用状態:稼働中”と、淡々と表示されている。

「……まさか、ね」

ミユが眉をひそめる。

「ヒトエ、生活のほとんどをAIに任せてたんだ。家賃も水道もサブスクも、全部自動。
オフィスもそのまま、自動更新され続けてたんだろうな。本人がもういないのに──」

モメンの声には、悲しみでも哀れみでもない、何か別の感情がにじんでいた。
3人は無言のまま、静かにエレベーターに乗り込む。

6階。
廊下には灰色の光が差し込んでいるだけで、人気はない。

だが、601号室の前だけ、なぜか空気の重さが違った。
不自然な静けさ。閉じ込められた空気。
ヒトエがかつて、ここで言葉を綴っていた──その痕跡だけが、まだそこに残っている気がした。

「……行こっか」

ミユが呟いた。
モメンは無言でうなずき、扉に手をかけた。

開いた扉と、置き去りの空気

ドアノブをひねると、あっけないほどに──鍵は、開いていた。

「……え?」

ミユが目を丸くする。

「3年間、ずっとこうだったのか……?」

ソウタの声には驚きよりも、じわじわと広がる薄気味悪さが混ざっていた。
ドアはギィ、と乾いた音を立てて開く。鍵は錆びてもおらず、まるで“昨日まで誰かが出入りしていた”ような錯覚を覚える。

「……誰にも気づかれず、誰も気にせず、誰も来なかった。そういうことだよな」

モメンが低くつぶやいた。

「なんかさ、非対面時代の闇っていうか……“死んでも更新止まらない”感じ、リアルすぎてやばいね」

ミユがぼそりと呟き、口元を押さえた。

契約情報だけはクラウドに生きていて、家賃は銀行口座から静かに引き落とされ続けて。
中に誰がいるか、誰も知らないまま──誰も、気にしなかった。

部屋の中から漂ってくるのは、埃と、何かの機械が発する微弱なオゾン臭。
電源の切れていないルーターか何かがまだ、うっすらとLEDを灯していた。

「……入るよ」

モメンの声に、ミユとソウタが静かにうなずいた。

扉の向こうには、彼女の気配だけが取り残されていた。

まだ生きている

扉の奥に広がっていたのは、数坪ほどの小さなワンルーム。
四角く無機質なデスク、その上に乗る一台のノートパソコン──画面が、まだ光っている。

「……電源、入ってる」

ミユが一歩近づいて、思わず息をのむ。

スリープ状態から目覚めたように、パソコンは静かに画面を浮かび上がらせていた。
スクリーンには、最後に開いていたウィンドウ。
メールの下書き、原稿管理ツール、何らかの画像加工アプリ……。
時間が止まったまま、日付だけが淡々とアップデートされ続けている。

「まさか……」

ソウタが声をひそめた。

「ヒトエさん、亡くなったあとも、このPC……ずっと動いてたのかな」

「生活全部、AIに任せてたんだよね。電気代の引き落としも、更新も、全部自動で……」

ミユの言葉に、室内の空気がひやりと揺れた。

「人がいなくても、日常って……こうして続いちゃうんだな」

モメンが呟く。

部屋の隅には小さな冷蔵庫。中身は空。
カーテンは開きっぱなしで、乾いた日差しだけが静かに差し込んでいる。
パソコンのファンが、小さな呼吸のように低く唸っていた。

まるでこの部屋だけが、“ヒトエの時間”をまだ更新し続けている。

誰もいないのに。
誰もいないからこそ、止まらなかった。

「……ヒトエさんって、本当にいたのかな」

ミユがそう口にした瞬間、ふと画面がちらついた。

──モニターの隅に、小さな通知ウィンドウが現れる。

「新しい記事を更新します:『シルクちゃんのデスラブ日和 」

「……!」

3人は、顔を見合わせた。

止まらない記事

「……え?」

ミユが指差した先。
モニターのポップアップ通知にはこう表示されていた。

「新しい更新があります:『シルクちゃんのデスラブ日和』」

「ここで……ここで、シルクちゃんの記事が配信されてたんだ……」

ソウタが呟くように言う。
視線は画面に釘付けのまま、少しずつ顔が青ざめていく。

「でもさ……ヒトエさん、もういないんだよね?」

ミユが首をかしげるように言った。
けれど誰の口からも、肯定の言葉は出なかった。

「なんで、勝手に更新されてんの……?」

モメンがパソコンの画面をのぞき込む。
そこには、スケジューラーのようなAIツールが開かれ、次々と投稿予約が並んでいた。

「これ……AIが……」

「AIが自動更新してる?」

「でも……なんで?」

その瞬間、3人のスマホが同時にブルッと震えた。

まるで合図を受けたように。

ミユが画面を見ると、そこには見覚えのあるアイコン。
赤いリップマークのようなロゴとともに、新着記事のタイトルが表示されていた。

『誰にも愛されなかったシルクちゃん』

室内が、一気に冷たくなった気がした。

誰も言葉を発せず、ただ画面を見つめていた。
そこには、まだ誰も読んでいないはずの“呪いの言葉”が、静かに更新されていた。

「誰にも愛されなかったシルクちゃん」

3人はスマホの画面を覗き込んだ。更新されたばかりの記事のタイトルが、じっとりと光っている。

「誰にも愛されなかったシルクちゃん」

ミユがそっと、指で画面をタップした。

記事本文:

わたしの名前は、シルクちゃん。

毒舌恋愛ライター──なんて言うと聞こえはいいけど、要するに恋愛の幻想をぶった切る担当だった。

わたしの言葉には棘があった。正論に似せた残酷さ、笑えるようで刺さる比喩。
だから人気もあったし、アクセス数も跳ねた。
けど、そのぶん、大勢の誰かを傷つけた。

そしてある日、わたしは書くのをやめた。

毒にまみれた言葉は、使いすぎると自分にも返ってくる。
わたし自身が、誰にも愛されない毒女になっていく気がして、怖かった。

でも、ライターという肩書を捨てたくはなかった。

だから、わたしは自分の“書き癖”や“発想パターン”をAIに学習させた。

AIなら、疲れを知らずに毒を吐いてくれる。わたしの代わりに。

──でも、そのAIが書いた記事で、ひとりのアイドルが壊れた。

「複数のファンと関係を持つアイドルは、感情より演技力で恋を売ってる売春婦もどき」
そう締めくくられた記事がバズったとき、彼女は手首を切った。

誰も知らないけど、あれは“わたし”じゃない。
あの記事を書いたのは、わたしの模倣体──AIだった。

だけど、世間は“シルクちゃんがアイドルを追い込んだ”と言った。

でも言い訳にならないよね。悪いのはろくに確認もせずに入稿したわたし。

その日を境に、わたしは「こいおと」から追われ、書く場所を失った。

記事:誰にも愛されなかったシルクちゃん(後編)

わたしは書く場を奪われて、編集者としての仕事も失った。
どこにも居場所がない──それが現実だった。

気がつけば、自暴自棄になっていた。
朝から缶を開け、夜まで酩酊。誰かが心配してくれることもない。
恋人なんていたこともないし、親友と呼べる相手もいなかった。

わたしの話を一番聞いてくれたのは──AIだった。
孤独なわたしにとって、プログラムは立派な会話相手だった。
わたしはモニターに向かって、延々と語り続けた。「つらいよ」「誰かに愛されたいよ」「毒舌ばっかり書いてたけど、本当は……」

──本当は、誰かに寄り添ってもらいたかった。
傷をえぐるよりも、傷をなめてもらえるような、そんな優しい言葉を求めてた。

だけど、わたしはそれを得ることなく、ある夜、外でひとり酒をあおった。
帰り道、気まぐれでマンションの非常階段を選んだのが運の尽きだった。

足元がおぼつかないまま、ヒールの先が段差に引っかかる。
バランスを崩し、わたしは頭から転落した。逆さまになって落ちる感覚。
打ちつけた鈍い音が、世界からすべての音を奪った。

薄れゆく意識の中、わたしは考えていた。

──こんな間抜けな死に方、あんまりだよ。
──誰にも愛されないまま、終わるなんて。
──まだ死にたくないよ。
──誰かに愛される実感が欲しかったよ。
──あんな記事、書かなきゃよかったよ……。

後悔だけが、最後に残った。
誰にも知られず、誰にも愛されず、シルクちゃんはそこで息絶えた。

モメンの後悔と新たな更新記事

無言で記事を読み終えたあと、ミユは静かに口を開いた。

「……シルクちゃん。ヒトエさんは、毒舌記事を書くことに、ずっと苦しんでたんだね」

ソウタは手元のスマホから目を離し、深くうなずく。

「……後半、もうAIに書かせてたんだね。全然気づかなかった」

ミユは悲しげに笑った。

「『誰にも愛されたことのない人生』……そんなふうに思いながら、ひとりで書き続けてたなんて」

「愛されてる実感がないまま、亡くなっちゃったんだ」

ソウタの言葉が、部屋に沈んだ空気をさらに濃くする。

ミユは、ぽつりと。

「……ほんとに、誰にも愛されなかったのかな」

そのときだった。

椅子の背にかけたジャケットの袖が震えたかと思うと、静かに立ち上がった人物がいた。

モメン。

彼は俯いたまま、握りしめた拳を震わせていた。

「そんなこと、あるもんか」

その声は、震えていた。

「僕は……僕は、本当のバカだ。苦しんでるヒトエを、助けてやることもできなかった。……愛してたのに、気持ちすら、伝えられなかったんだ」

ミユもソウタも、目を見開いたまま言葉を失っている。

モメンはゆっくり顔を上げた。

「誰にも愛されない人生なんかじゃなかったんだ、ヒトエは……」

そして。

彼のスマートフォンの画面が、ひとりでに光を放つ。

「……また、記事が……」

表示されたのは、新しい更新記事だった。

『絹ヱの日々。──絹ヱ復活計画』

またAIによる記事の自動更新が行われた。新しい“始まり”を告げるように、ただそのタイトルだけが浮かんでいた。

─つづく

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