恋愛をしない人生はアリ?自由と豊かさを選ぶワニオ流考察

ぼくはワニオと申します。
編集部では「恋愛に興味のないゲストキャラ」という肩書をいただいておりますが、それは事実です。恋愛?興味ありません。デート?行きません。プロポーズ?……論外です。

しかし、恋愛をしない人生を歩む中で、ふと哲学的な問いが頭をよぎるのです。
「恋をしない人生には、何が欠けているのだろうか?」と。ライターたちは毎日のように恋や愛を語り、盛り上がっています。その横で私はスーパーの特売チラシを眺め、「白菜が安い」と感動している。なんともシュールな光景です。

もちろん、財布は減らず、休日も気楽。それ自体は快適です。けれど時折、「人間的な営みの一部を取りこぼしているのでは?」と不安になる瞬間もあるのです。
そこで今回は、“恋愛をしない人生の棚卸し”を、少しインテリぶって、でもコミカルに語ってみたいと思います。



目次

恋愛をしないメリット

恋愛をしない人生の最大のメリットは、なんといっても「自由」です。
デートの約束に振り回されることもなければ、記念日を忘れて喧嘩になることもありません。財布の中身は減らず、心のエネルギーも温存されます。ワニのぼくからすれば、まるで湿地帯でのんびり昼寝しているような安らぎです。

また、恋愛をしないということは、自己投資に時間を回せるということでもあります。読書でも筋トレでも資格勉強でも、やろうと思えばいくらでも集中できます。つまり“恋愛エネルギー”を“学びや趣味エネルギー”に変換できるのです。哲学的にいえば、「欲望のエコシステムを最適化している」とでも言いましょうか。

さらに、人間関係のしがらみが少ないのも魅力です。恋人がいなければ義理の親戚づきあいもなく、LINEの既読スルーに怯えることもありません。
ぼくのスマホの通知は「楽天市場からのクーポン」と「水道料金のお知らせ」だけ。ええ、実に平和です。

つまり、恋愛をしないことは「心のミニマリズム」。シンプルで、効率的で、財布にも優しい。──これだけ聞けば、恋愛不要論を掲げてもいい気がしてきませんか?

恋愛をしないデメリット

とはいえ、恋愛をしない人生にもデメリットはあります。
まず最初に直面するのは「孤独」という壁です。人はひとりで完結する存在ではなく、他者との関わりの中で「自分はここにいる」と実感できるもの。つまり、誰かに愛される・必要とされるという経験を避けると、自分という存在の輪郭がぼやけてしまうのです。

また、恋愛はある種の「人間力トレーニング」でもあります。気配り、感情の共有、言葉の選び方──これらは恋愛を通じて磨かれる部分が多い。恋愛を完全に避けると、社会人スキルの一部を欠いたままになるリスクもあるでしょう。
ぼくが会議で「え、それは愛の定義の問題じゃないですか?」と口走って浮いたのも、恋愛経験不足ゆえの事故かもしれません。

そして、人生の物語において「恋愛イベント」を飛ばすと、シナリオが単調になりがちです。RPGでいうなら、サブクエストを全部スキップしてラスボスに挑むようなもの。もちろん攻略は可能ですが、エンディングの感動は少し薄れるかもしれません。

要するに、恋愛をしないことで得られる“自由”の裏側には、“孤独”や“学びの機会損失”という影が潜んでいるのです。ワニのぼくですら、たまに「カップル割引」のポスターを見てしょんぼりするんですから、人間のみなさんならもっと切実でしょう。

恋愛をしない人の心理

恋愛を避ける人には、さまざまな心理背景があります。
たとえば「自由を失いたくない」という気持ち。恋人ができれば、時間もお金もエネルギーも分配しなければならない。ひとりでいる心地よさを知っている人にとって、それは“大きなコスト”に見えるのです。

また「傷つきたくない」という回避心理も強く影響します。過去に失恋の痛みを経験した人はもちろん、まだ経験していない人でさえ、物語や映画を通して「失恋=痛いもの」と学習している。だから、最初から回避するのです。
これはいわゆる「防衛本能」みたいなもの。火に近づけば熱いと知っているから、最初から触らない──それと同じ構造です。

さらに、現代的な理由として「別の目標に集中したい」というケースもあります。キャリア、趣味、推し活。恋愛に割くリソースを別の領域に投資した方が、自分の満足度が高いと判断するのです。
ぼくなんて、恋愛を避けたおかげで冷蔵庫の野菜室を完璧に整理整頓するスキルを身につけました。……これ、誰に評価されるんでしょうね?

つまり、恋愛をしない人の心理には「自由の確保」「リスク回避」「自己投資」という三本柱がある。決して“恋愛に無縁な人”ではなく、“恋愛をあえて避けている人”なんです。選択の結果として恋愛が外れているだけ。
この視点を持つと、「恋愛をしない=欠落」ではなく、「ひとつの生き方」と見えてくるはずです。

恋愛をしない人生を豊かにする工夫

恋愛を選ばない人生だって、十分に彩り豊かにできます。むしろ「自分で選んだ生き方」だからこそ、工夫次第でいくらでも価値を見出せるんです。

まず大切なのは人とのつながりを持つこと。恋人がいない=孤独ではありません。友人、同僚、家族、趣味仲間。そうした人間関係を大事にすれば、孤独感はずっと薄まります。恋愛に限定しない関係性の中で、信頼や安心を育むことができるんです。

次に自分を深める投資。資格取得や語学学習、運動習慣、読書や芸術に触れること。恋愛がもたらす“ドキドキ”は得られないかもしれない。でも、その代わりに得られる「自己成長の実感」は大きな財産です。恋愛に時間を取られないからこそ、思い切って長期的な挑戦ができるというメリットもあります。

さらにおすすめなのはひとり時間を満喫する工夫。カフェで過ごす時間、映画館での一人鑑賞、旅行先で自分のペースで歩く楽しみ。恋人と行けばシェアできる喜びがあるけれど、ひとりで行けば「完全に自分だけの自由」がある。これを贅沢と呼ばずして何と呼ぶでしょう?

そして、ちょっとユーモラスに言うなら「恋愛しない人生は、趣味に本気で浮気できる人生」でもあります。推しアイドルに全力を注いだり、家庭菜園に魂を込めたり、ゲームで世界を救ったり。恋人に嫉妬されることもなく、堂々と“浮気”ができるわけです。

つまり、恋愛をしない人生を豊かにするには、人との絆・自己投資・ひとり時間の贅沢・趣味への全力。この4つを意識するだけで、驚くほど人生が色づきます。恋愛だけが人生のスパイスじゃない、他にもいくらでも香辛料はあるんです。



恋愛をしない人が周囲から受ける視線とどう向き合うか

恋愛をしない生き方を選ぶと、必ずといっていいほど周囲の視線にさらされます。
「まだ彼氏(彼女)いないの?」「結婚は?」──まるで定期点検みたいに繰り返されるこの質問。恋愛しない人にとっては、ちょっとした拷問です。

ここで大切なのは「相手は悪気がない」と理解すること。世間の大多数は「恋愛=幸せの証」と信じています。だから確認したくなるだけ。つまり、彼らは「点検マニュアル」を読んでるだけなんです。あなたに個人的な悪意があるわけじゃない。

とはいえ、不意に突き刺さる質問は痛いもの。そこで有効なのはユーモアを交えた切り返しです。たとえば「恋愛より冷蔵庫の野菜と向き合ってる方が長続きしますよ」と笑って答えれば、相手も「あ、この人は自分の道を選んでるんだ」と理解しやすい。

また、もうひとつの視点は「説明しすぎない勇気」。わざわざ「恋愛しない理由」をプレゼンする必要はありません。理由を語るのは自由だけど、理解してもらうことを目的にすると、逆に消耗します。シンプルに「そういう生き方なんです」で十分。説明責任は自分の幸せに対してだけあればいいんです。

そして最後に忘れちゃいけないのは「味方を持つこと」。同じ価値観を持つ友人、恋愛にとらわれない生き方を肯定してくれる人。そうした人たちの存在があるだけで、外部からの視線は怖くなくなります。群衆の目に対して「まあ、好きに見てなはれ」と余裕で言えるんです。

つまり、周囲の視線との付き合い方は「悪意ではなく慣習」「ユーモアで受け流す」「説明しすぎない」「味方を持つ」。この4つを押さえれば、恋愛を選ばない生き方はぐっと楽になります。
人生という舞台の主役は、あくまで自分自身。観客のざわめきに振り回される必要なんてないんです。

まとめ

恋愛をしない人生は、決して「寂しい」や「逃げ」だけではありません。
そこには自由・自己投資・ひとり時間の贅沢といった独自の豊かさがある。もちろん、周囲からの視線や社会的なプレッシャーもありますが、それをどう受け止めるかで心の軽さは変わります。

大事なのは「恋愛をするかどうか」より「自分の選択に納得しているか」。他人の基準に合わせて無理に恋をする必要はないし、逆に恋愛を選んだからといってそれがゴールでもありません。人生はマルチステージ。ひとつの選択が永遠に続くわけではなく、いつでもアップデート可能です。

もし「恋愛をしない」と決めたなら、そのぶん他の領域で自分を楽しませてあげればいい。趣味でもキャリアでも、冷蔵庫の野菜室の整理でも、なんだって立派な人生の彩りです。
そしていつかまた恋愛を選びたくなったら、そのとき始めればいい。それだけの話。

つまり──恋愛をするもしないも、あなたが自分で選んだ時点で、それはもう立派な“勝ち”なんです。
観客に拍手を求める必要はない。舞台の主役はいつだって、あなた自身なのだから。



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