恋愛は押せばどうにかなる。
そんな思想を持つ男性は、絶滅危惧種のようでいて、意外とまだ生息している。
ええ、安心して。
本日、わたしが遭遇しました。
――その名も、アオト。
ことの発端は、ある恋愛系スタートアップ企業への取材だった。
若き広報担当者と真面目な話をしている最中、
横からスッと滑り込んできた影がある。
「あ、僕も少しお話いいですか?」
距離、近い。
声、デカい。
自信、満ち満ち。
そしてなぜか名刺を二枚差し出してくる。
「営業のアオトです。記事、いつも読んでます!」
……ほう。
わたしの記事は連載形式で、しかも最新回はわりと攻めた内容だったのだけれど。
あなた、読んでないわね?
読んでない顔してるわよ?
「恋愛って、結局は熱量だと思うんですよ」
出たわね、“熱量理論”。
「好きになったら、僕は一直線なんです」
電車かしら?
止まる駅、知らないタイプね。
彼は続ける。
「女性って、最終的には押しに弱いと思うんですよ」
……ふぅん。
なるほど。
面白い標本が目の前に現れたものだわ。
わたしは微笑んだ。
ええ、あの“営業トークを全部聞いてあげる女の微笑み”よ。
「押せばどうにかなる、と?」
「はい。自信は最大の武器ですから」
あら。
武器を振り回している自覚はないのね。
可愛いこと。
その瞬間、わたしの中の編集者が目を覚ました。
――ネタになる。
危険度、低。
自尊心、高。
勘違いレベル、中の上。
素材としては、なかなか優秀だわ。
「じゃあ、実験してみる?」
「え?」
「デート。押しの理論、検証してあげる」
アオトの目が一瞬で輝く。
……はいはい。
もう半分、落ちたと思ってるわね。
わたしを誰だと思ってるの?
これは恋じゃない。
取材よ。
そしてあなたは――
本日の研究対象。

デート開始。押しの暴走、開幕
待ち合わせは駅前。
わたしは仕事帰りのテンションで現れた。
つまり、「今日も世界を回してきましたけど?」みたいな顔をしている。
対するアオトは、開始0秒でフルスロットルだった。
「ミサキさん!今日めっちゃ綺麗です!」
はいはい。
「わたしが美人なのは知ってるわ。で、タイミングは?」
「タイミング?」
「褒めるタイミング。まず“こんにちは”が先よ」
アオトは一瞬だけ固まり、すぐ立て直す。
「こんにちは!……で、綺麗です!」
うん。頑張った。
でもね、そういうのを“押し”って呼ぶのやめなさい。ただの反射よ。
彼はわたしのカバンを見て、すかさず手を伸ばした。
「持ちますよ!」
「持たなくていいわ」
「いや、持ちます!」
「持たなくていいって言ったわよね」
「でも男として!」
「男として、わたしの日本語を尊重しなさい」
アオトは笑った。
自分が“距離を詰めてる”と思っている笑いだ。
――違う。
あなたは距離を詰めてるんじゃない。
信号無視で突っ込んでるだけ。
カフェに入る。
席に座るやいなや、アオトはメニューを開きもせず言った。
「ミサキさん、甘いの好きですか?」
「質問が雑ね。好きな甘さと、苦手な甘さがあるわ」
「じゃあ僕が選びます!」
「……選ばないで」
「でも、任せてください!」
「任せない」
「いや、任せて!」
「ねえ、聞いて。いまの会話、全部あなたの“押し”よ」
「押してます?」
「押してるというか、引くを知らない」
アオトは嬉しそうに頷く。
「それが僕の強みなんですよ」
あら。
強みって言葉は便利ね。
迷惑も、勘違いも、全部“強み”に入れられるんだもの。
店員さんが来た。
アオトが即答する。
「僕、ミサキさんの分も頼みます!」
「頼まなくていいわ。わたしは自分の舌を自分で養ってるの」
「でもレディファースト!」
「レディファーストって、レディが先に選ぶ権利のことよ」
アオトは、また一瞬だけ固まり、また笑う。
「ミサキさんって、強いっすね」
「そうよ。だから言ってるでしょ。押してどうにかなる相手じゃないの」
「それが、逆にいいです」
……なるほど。
押してダメなら、“強い女が好き”にスライドするのね。
器用だわ。感心する。
恋愛を変形合体させる男、初めて見た。
飲み物が届いた。
アオトはカップを持ち上げ、軽く乾杯のジェスチャーをする。
「じゃ、まずは距離縮めるところから」
「距離は縮めなくていいわ。会話を深めなさい」
「会話……」
「そう。押す前に、“何を押したいのか”を言語化して」
「えっと、好きだから」
「好きの中身よ」
アオトは、そこで初めて黙った。
ほら。ここ。
押しが止まった瞬間に、あなたの恋の素顔が出る。
わたしはカップを置き、微笑む。
「いい?アオトくん。押すのは簡単。
でもね、押す前にやることがあるの」
「……な、なんですか」
「あなたが押してるのは、わたしじゃない。
“自分の不安”よ」
アオトの表情が、ほんの少しだけ揺れた。
――はい。ネタ、採れました。
そしてここからが本番。
押し理論、解体ショーの時間です
カフェの空気が、ほんの少しだけ静かになった。
さっきまでアクセル全開だったアオトが、
初めてブレーキを踏んだ顔をしている。
「……自分の不安、ですか?」
「そうよ」
わたしはコーヒーを一口飲む。
「押せばどうにかなるって思ってる人ほど、
“止まったら終わる”って怯えてるの」
アオトは黙ったまま、わたしを見る。
珍しい。
今は割り込んでこない。
「あなたがやってるのはね」
「距離を縮めることじゃない」
「沈黙を怖がって埋めてるの」
「え……」
「“好きです”を連打するのは簡単」
「“どう思ってる?”を連発するのも簡単」
「でもね」
「相手のペースに合わせるのは、難しい」
アオトは腕を組んだ。
「でも、待ってたら取られるじゃないですか」
出たわね、“取られる理論”。
「恋はバーゲンセールじゃないのよ」
「先着順でもないし、早押しクイズでもない」
「あなた、勝ちたいだけでしょ?」
アオトは一瞬だけ言葉に詰まった。
図星。
「勝ちたいって思ってる間はね」
「相手は“人”じゃなくて“目標”になる」
「目標にされたら、逃げるわよ」
わたしは身を乗り出す。
「ねえ、アオト」
「わたしを落としたいの?」
「……はい」
「じゃあ聞くわ」
「わたしの何が好き?」
間。
「えっと……強くて、綺麗で……」
「テンプレね」
「それは“わたし”じゃなくて、
あなたの理想の女性像よ」
アオトは視線を落とす。
押せばどうにかなる男が、初めて押さない。
いい兆候。
「本当に強い人はね」
「押すか引くかを選べる人」
「あなたは今、押すしか選択肢がない」
「それ、強さじゃないの」
「焦りよ」
アオトは、ゆっくり息を吐いた。
「……俺、焦ってますか」
「ええ」
「かなり」
正直に言う。
わたしは優しくない。
でも、必要以上に傷つけもしない。
「押すのをやめたら、どうなりますか」
いい質問。
「相手が動く余白ができる」
「恋はキャッチボールよ」
「ドッジボールじゃない」
アオトが小さく笑った。
「……今日、ちょっとだけ負けた気がします」
「負けてないわ」
「戦い方を間違えてただけ」
そしてわたしは、静かにカップを置く。
「さて」
「ここからどうする?」
押すのか。
それとも。
アオトの次の一手で、この男の格が決まる。
押さない男と、押されない女

沈黙が、テーブルの上に落ちた。
さっきまでアオトは、その沈黙を全力で潰していた。
でも今は違う。
彼はカップを持ち上げ、ひと口飲んだ。
そして、言った。
「……じゃあ、押さないで聞きます」
おや。
「ミサキさんは、どういう人が好きなんですか?」
質問の温度が、下がった。
熱量じゃない。
ちゃんと“方向”がある。
「そうね」
わたしはわざと少し考える。
「押してこない人」
アオトが苦笑する。
「それ、俺じゃないですね」
「今日まではね」
わたしは身を乗り出す。
「恋愛は攻略ゲームじゃないの」
「ラスボス倒してエンディング、みたいな発想やめなさい」
「わたしはステージじゃない」
「わたしはプレイヤーよ」
アオトの目が、少しだけ変わる。
対等に見始めた目。
「……じゃあ、今日の俺はどうですか」
いい質問ね。
「前半は圧迫面接」
「後半は、ようやく会話」
「改善の余地あり」
アオトは笑った。
「次はもう少し、静かに行きます」
「次がある前提なの?」
「あります」
即答。
でも今の“あります”は、押しじゃない。
ただの宣言。
……悪くない。
「わたし、簡単に落ちないわよ?」
「落とす気で来ません」
おや。
「じゃあ?」
「ちゃんと話せるようになってから、また誘います」
ふふ。
さっきまで“今すぐ距離縮めたい男”だったのに。
わたしは立ち上がる。
「今日の評価、出してあげる」
「素材としては満点」
「男としては、追試」
アオトが笑う。
「厳しいっすね」
「わたしを誰だと思ってるの?」
わたしはバッグを肩にかける。
「押せばどうにかなると思ってる男は多いけど」
「押されてどうにかなる女は、わたしじゃない」
そして、振り返る。
「でもね」
「押さずに来られるなら、話は別」
アオトは軽く会釈した。
追いかけてこない。
肩にも触れない。
距離を守る。
……成長、早いじゃない。
カフェを出たわたしは、スマホにメモを残す。
“押しは量、余裕は質。”
いい素材だったわ、アオト。
さて。
この記事を読んで、
「わたしも強くなりたい」と言い出す女が出てくる頃ね。
――ミサキ様が通る!
恋は料理。火加減を知らない男は、焦げるだけ。




