恋に落ちた男と、恋を知らない女|ミサキ様が通る!

「ねえ聞いてミサキさん、ソウタくんやばいよ」

編集部に入るなり、アカリがそう言ってきた。

「また恋したっぽくてさ、なんか記事書いてるんだけど……」

そこで一拍、間があく。

ナナが横から口を挟んだ。

「あれはキモい」

……ああ、なるほど。

わたしは軽く笑った。

「読まなくてもわかるわ」

ソウタが恋に落ちたときの文章なんて、だいたい同じよ。

最初は「可愛い」だったはずの言葉が、少しずつズレていく。

気づいたら、“特別”になって。

最後には、“触れちゃいけない存在”みたいな扱いになる。

……勝手にね。

現実の女じゃなくて、

自分の中で編集された“理想の女”を見るようになる。

ナナがため息まじりに言う。

「しかも本人、ちょっと自覚あるのがまたキツい」

アカリが笑う。

「“これたぶんキモいです”とか書いてるのに止まってないの」

……最高じゃない。

わたしは指先で髪をかきあげる。

自覚があるのに止まらない恋ほど、おいしいものはないのよ。

「で?」

「その“キモい男”、どうしてるの?」

アカリが少し身を乗り出した。

「今日、その子とご飯行くらしい」

……ああ。

わたしは小さく目を細めた。

惚れやすい男と、恋を知らない女。

しかも片方は、すでに勝手に盛り上がり始めている。

もう結果は見えている。

でも。

だからこそ面白い。

わたしはバッグを手に取った。

「ちょっと出るわ」

ナナが怪訝そうに眉をひそめる。

「どこ行くの?」

わたしは振り返らずに言った。

「現地取材よ」

だって——

恋の一番面白い瞬間って、だいたい本人たちが気づいてないところで起きるんだから。

目次

尾行開始。取材ってことにしておくわ

というわけで。

わたしは今、カフェの奥の席にいる。

帽子に、眼鏡に、マスク。

……完璧ね。

少なくとも、わたしはそう思っている。

「それ、怪しすぎるんですけど」って、さっきアカリに言われたけど。

うるさいわね。

バレたら“取材よ”で押し通すつもり。

だって事実だもの。

面白い恋愛は、全部記事にする。

それがわたしの仕事であり、趣味でもあるの。

さて。

入口のベルが鳴る。

来たわね。

ソウタは、予想通りの動きをしている。

姿勢が少し硬い。

歩幅が微妙に不自然。

視線が落ち着かない。

……わかりやすいわね、本当に。

一方でツムギは、まったく変わらない。

きょとんとした顔で店内を見回している。

まるで遠足に来たみたいな顔。

「カップル、多いですね」

席に着くなり、それを言う。

……はい、理解した。

この子、完全に“観察しに来てる”わね。

デートじゃない。

フィールドワークよ、これ。

ソウタは気づいていない。

当然ね。

あの男、今たぶん——

世界で一番、この時間を“特別なもの”だと思ってるから。

わたしはコーヒーを一口飲む。

……いいじゃない。

このズレ。

最高においしいわ。

噛み合ってるようで、全部ズレてる会話

注文を終えて、少しだけ沈黙が落ちた。

……ソウタが口を開こうとした、その瞬間。

「ソウタさんって、恋愛記事書いてるんですよね?」

ツムギが先に切り込んだ。

「え、あ、うん」

「はい……書いてます」

……声、ちょっと裏返ってるわよ。

でも今回は違う。

ただの緊張じゃない。

自分が“好きになってる側”だって、ちゃんとわかってる顔。

いいわね。

自覚がある恋の方が、だいたい面白いのよ。

「ちょうどよかったです」

ツムギはバッグからノートを取り出した。

……出たわね、それ。

「恋してる人って、どういう行動します?」

「視線とか、話し方とか、距離感とか」

……。

わたしは思わずカップを置いた。

それ、今この場で聞く質問じゃないのよ。

ソウタ、一瞬だけ言葉を探す。

でもすぐに、観念したみたいに小さく笑った。

「……たぶん、わかりやすいと思う」

「隠せてるつもりでも、たぶんバレてる」

ツムギは素直にうなずく。

「なるほど」

「じゃあ、自分では気づいてるけど止められない感じですか?」

……いいところ突くわね。

ソウタは少しだけ間を置いてから答えた。

「うん」

「わかってても、止められない」

「そういう感じだと思う」

……はい、確定。

完全に落ちた上で、開き直ってるタイプ。

ツムギはメモを取りながら、少しだけ笑った。

「面白いですね」

その瞬間。

ソウタの表情が、ほんの少しだけ柔らいだ。

……ええ、そうなるわよね。

“理解してもらえた”って、思ったのね。

違うわよ。

それ、共感じゃない。

研究対象として整理されただけ。

でも。

そんなこと、本人は気にしない。

むしろ——

納得してる。

「あの……今日、楽しい?」

確認、入れたわね。

ツムギはきょとんとしたまま答える。

「はい、すごく勉強になります」

……。

わたしは視線を逸らした。

会話、成立してないわね。

でも。

ソウタはたぶん、こう思ってる。

ちゃんと話せてるって。

少なくとも、悪くはないって。

——だから、このデートは進む。

ズレたまま、ちゃんと続いていく。

……ほんと、いい素材だわ。

それでも成立してしまうのが、恋の厄介なところ

ソウタとツムギのデート(?)を変装したミサキが観察している。

しばらく観察していて、はっきりしたことがある。

この二人——

会話が噛み合っていないのに、ちゃんと続いている。

ソウタは感情で話している。

ツムギは構造で受け取っている。

方向は、まったく違う。

普通なら、どこかで止まる。

違和感が顔を出して、会話が途切れる。

でも。

この二人は止まらない。

なぜか。

簡単よ。

どちらも、自分の見たいものしか見ていないから。

ソウタは、ツムギを“好きな相手”として見ている。

だから、多少ズレていても問題にならない。

むしろ、都合よく解釈する。

一方でツムギは、ソウタを“研究対象”として見ている。

だから、感情のズレに気づく必要がない。

興味があるのは、“現象”だけ。

つまり——

お互い、相手を見ているようで見ていないの。

……ね?

これ、かなり面白いでしょ。

恋って、ちゃんと向き合って成立するものだと思われがちだけど。

実際は違う。

ズレたままでも、平気で進むのよ。

むしろ、その方が続くこともある。

だって——

違和感に気づかないうちは、壊れようがないもの。

ソウタは、たぶん今が一番楽しい。

自分の気持ちも、相手の反応も、全部肯定できるから。

ツムギも満足している。

知りたいことが、ちゃんと得られているから。

……。

問題があるとすれば、それは一つだけ。

どちらも、“同じ時間を共有しているつもり”になっていること。

本当は、まったく違うものを見ているのに。

それでも——

このデートは、成立してしまう。

……ほんと、恋って厄介ね。

失敗ではない。でも、成功とも言い難いわね

食事も終盤に差しかかるころ。

空気は、最初よりは少しだけ柔らいでいた。

——少なくとも、ソウタの中では。

「ソウタさんって、イケメンだからモテるんじゃないですか?」

ツムギが、さらっと言った。

……ああ。

来たわね。

こういうの。

ソウタは一瞬だけ固まって、それから少しだけ笑った。

「いや、そんなことないよ」

「全然モテないし」

……出たわね、定番のやつ。

否定してるけど、完全には嫌がってない顔。

でもツムギは気にしない。

「そうなんですか?」

「なんか、普通にモテそうだなって思いました」

——それだけ。

深い意味はない。

本当に、それだけ。

でも。

わたしは視線をそっと逸らした。

……はい、今ので一気に進んだわね。

あの男の中では。

たぶん、かなり大きく。

ツムギは何も気づいていない。

ただの観察の延長。

ただの印象。

でも。

受け取る側は違う。

恋に落ちてる男にとって、“肯定”は全部意味を持つ。

どんなに軽くても。

どんなに無自覚でも。

それが——

特別なサインに変換される。

「あの、また……ご飯とか」

少しだけ間を置いて、ソウタが言う。

さっきより、ほんの少しだけ自然な声。

……自信、ついたのね。

ツムギは一瞬だけ考えて、あっさり答えた。

「はい、ぜひ」

軽い。

でも、断らない。

連絡先も交換している。

次の約束もできた。

形式だけ見れば、十分すぎる成果。

でも。

わたしは静かに立ち上がる。

——成功とは、言い難いわね。

ズレたままの継続。

でも、それでいい。

むしろ、その方がいい。

だって。

恋ってね。

正しく成立するより、勘違いしたまま進む方がおもしろいのよ。

店を出る二人の背中を見ながら、わたしは小さく笑った。

「……しばらくは幸せね」

「あの男」

そしてスマホを取り出す。

さて。

次は——

どこまで進めるのか、見ものだわ。

そして、当事者だけがズレたまま進んでいく

店を出て、少し歩いたところで。

わたしはスマホを取り出した。

——さて。

当事者の認識、確認しておきましょうか。

ツムギにメッセージを送る。

「どうだった?」

「ソウタとの“デート”」

少しして、すぐに返信が来た。

「デートじゃないですよ」

……でしょうね。

続けて、もう一通。

「研究です」

「“好き”を知るための勉強って感じでした」

わたしは思わず、小さく笑った。

ああ、この子。

1ミリもブレてないわね。

さらにメッセージが続く。

「あと、ソウタさん」

「たぶん好きな人いますよね」

……。

指が止まる。

わたしは画面を見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。

「そうね」

短く返す。

ツムギからの返信はすぐだった。

「やっぱり」

「なんか、わかりやすかったです」

……ええ。

そうでしょうね。

ただし、その“相手”が誰かは、まだ見えてないみたいだけど。

わたしはスマホを閉じた。

惚れやすい男と。

恋を知らない女。

そして——

それを観察している、わたし。

三人とも、それぞれ違うものを見ているのに。

ちゃんと同じ時間を共有した“つもり”でいる。

……ほんと。

恋って、よくできた勘違いよね。

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