カフェでひとり、コーヒーを飲んでいた。
原稿を一本仕上げたあとの、静かなご褒美時間。
すると、遠慮がちに声が落ちてきた。
「あの……もしかして、ミサキ様ですか?」
……様?
顔を上げると、そこには少し緊張した様子の女子が立っていた。
長い黒髪、きちんとしたワンピース。
でも目だけが、異様に輝いている。
大学生くらいに見える。
「ミサキ様が通る!、毎回読んでます」
ああ、その“様”ね。
「特にアオト回……最高でした」
わたしはカップを置いた。
「押せばどうにかなると思ってる男を、あんなふうに余裕でいなすなんて」
「あれを読んで、決めたんです」
……決めるの早くない?
彼女は深呼吸して、まっすぐわたしを見る。
「わたし、ミサキ様の弟子になりたいです」
……はい?
「強い女になりたいんです。
欲しいものを、ちゃんと“選べる”女に」
その言い方。
ただのファンじゃないわね。
「あ、自己紹介まだでした」
彼女は慌てて頭を下げる。
「ツムギっていいます。近くの大学に通ってます。」
そして、少し誇らしげに続けた。
「わたしの座右の銘は、これです」
強欲と書いてミサキと読む。
……やめなさい、本人目の前よ。
「だからわたしも決めました」
小さく拳を握る。
「欲張りと書いてツムギです。」
かわいい顔して、なかなか言うじゃない。
でもその目は、冗談じゃなかった。

わたしは師匠じゃない
「弟子って、気軽に言うわね」
わたしはコーヒーをひと口飲んだ。
「わたし、道場開いてないのよ?」
ツムギはきょとんとした顔で首を振る。
「でもミサキ様は、強いじゃないですか」
……雑ね。
「強いって何?」
「押されないところです」
即答。
「アオト回もそうですけど、ミサキ様は主導権を渡さない」
「欲しいものを選ぶ側でい続けてる」
……ちゃんと読んでるわね。
でも、わたしは首を振る。
「勘違いしないで」
「わたしは師匠じゃない」
「強い女の作り方なんて、体系化してないわ」
「わたしはただ、欲しいものを欲しいって言ってるだけ」
ツムギは一歩前に出た。
「それを学びたいんです」
……熱量、高いわね。
「具体的に何を?」
ツムギは少しだけ考えて、答えた。
「怖がらない方法」
……あら。
「欲しいって言うの、怖いんです」
「嫌われるかもしれないし、重いって言われるかもしれないし」
「でもミサキ様は、怖がらない」
その目は、さっきより静かだった。
ただの熱狂じゃない。
本音。
わたしはカップを置く。
「怖くないわけじゃないわよ」
「ただ、怖さより欲望を選んでるだけ」
ツムギは、まっすぐわたしを見る。
「その選び方を、教えてください」
……押されてるの、どっちかしら。
強欲の第一歩は、小さい
「わかった」
わたしは椅子にもたれた。
「じゃあ、課題を出すわ」
ツムギの背筋が、ぴんと伸びる。
素直ね。嫌いじゃない。
「今日中に、“欲しい”をひとつ口にしなさい」
ツムギが瞬きをした。
「……欲しい、を?」
「そう」
「大きな夢じゃなくていい」
「告白でも起業でも革命でもない」
「小さな欲望でいい」
わたしはカップを指でなぞる。
「席を変えてほしい、とか」
「そのケーキも食べたい、とか」
「本当は帰りたくない、とか」
「なんでもいい」
ツムギは黙った。
さっきまでのキラキラが、少しだけ揺れる。
「……それだけで、強くなれますか?」
「なれないわよ」
即答。
「でもね」
「強欲は“選ぶ筋肉”なの」
「いきなり重いもの持ち上げたら、腰やるでしょ?」
ツムギが小さく笑う。
「まずは軽いものから」
「怖さより、欲望を選ぶ練習」
「それができない人が、“強い女”は名乗れない」
ツムギはゆっくり息を吸った。
そして、うなずく。
「やります」
あら、早いわね。
「でもひとつ言っておく」
わたしは目を細める。
「それができたからって、わたしの弟子にしてあげるとは限らない」
「弟子って言葉、重いのよ」
ツムギは、少しだけ笑った。
「じゃあ、まずは“仮入門”で」
……言うじゃない。
「欲張りと書いてツムギですから」
その目は、冗談じゃなかった。
欲しいのは、あなたの隣です

「欲しいもの、決まりました」
ツムギは、迷いなく言った。
早いわね。
ケーキか、席か、それとも帰る時間か。
「なによ」
わたしは軽く顎を上げる。
ツムギは一歩近づいた。
そして、まっすぐにわたしを見る。
「ミサキ様の隣が欲しいです」
……は?
カフェの空気が、一瞬だけ止まった気がした。
「背中を見るだけじゃ足りません」
「追いつきたいんじゃない」
「隣で歩きたいんです」
あら。
さっきまで“弟子にしてください”と言っていた子が、ずいぶん大きく出るじゃない。
「隣って、簡単に言うわね」
「そこ、空席じゃないのよ?」
ツムギは、少しだけ笑った。
「空いてないから、欲しいんです」
……重いわね。
でも、その目は真剣だった。
熱狂じゃない。
媚びでもない。
覚悟の顔。
「ミサキ様みたいになりたいんじゃないんです」
「ミサキ様と、同じ景色を見られる位置に立ちたい」
わたしは言葉を失った。
男には押されないわたしが、
女の真っ直ぐな欲望に、ほんの少しだけ押されている。
……言うわね。
でも。
嫌いじゃない。
「欲張りと書いてツムギ、だったわね?」
「はい」
「その欲望、途中で引っ込めたら許さないわよ」
ツムギは、力強くうなずいた。
「引っ込めません」
その瞬間、わたしは思った。
――この子は、弟子になるかもしれない。
――それとも。
――いつか、わたしの席を奪いに来るかもしれない。
隣は、空いてない
「で、どうなんですか?」
ツムギが、恐る恐る聞く。
「わたし、仮入門ですか?」
……気が早いわね。
「入門って言った覚えないわよ」
「わたし、道場やってないって言ったでしょ」
ツムギは少しだけしゅんとした。
でも、その目は消えていない。
「じゃあ……隣、空いてませんか?」
あらあら。
まだ言うのね。
「空いてないわ」
即答。
「そこ、わたしのバッグがあるもの」
ツムギが笑う。
「じゃあ、押しのけます」
……言うじゃない。
「欲張りと書いてツムギですから」
「欲しい位置は、取りにいきます」
わたしは立ち上がる。
「まずは、わたしを押しのけられるだけの女になりなさい」
「簡単じゃないわよ?」
ツムギは、にこっと笑った。
「簡単なこと、やりたくないです」
……面白い。
「ついてきなさい」
「でも勘違いしないで」
「隣に立てるかどうかは、わたしが決める」
ツムギは一瞬だけ首をかしげた。
「いえ」
「隣に立てるかどうかは、わたしが決めます」
あら。
舐めてくれるわね。
でも、嫌いじゃない。
――ミサキ様が通る!新展開。
わたしの隣を欲しがる女が現れた。
弟子になるのか。
ライバルになるのか。
それとも――。
欲張りな物語は、これからよ。


