ナツメ式|飾り羽の港・行き先だけを見ていた少女の話

目次

Ⅰ.飾り羽の港

その港では、人は皆、羽を持っていた。

羽は生まれつきではない。 選び、塗り、磨き、付け替えるものだった。

朝になると、港の通りには羽職人の店が並ぶ。 光沢の強い羽、軽さを売りにした羽、 夜の灯りに映える色だけを集めた羽。

港の人々は、鏡の前で羽を広げ、 今日の船に合うかどうかを確かめる。

この港では、船に乗れるかどうかがすべてだった。 船は人を遠くへ運ぶ。 豊かな航路へ、安定した海域へ、 嵐の少ない未来へ。

だから人々は、船を見る。

正確には、船そのものではなく、 船が掲げる航路図と、積荷の量と、 港に残された噂話を見る。

誰が船長か、 どんな声で笑うのか、 迷ったとき何を選ぶ人なのか―― そういうことは、後回しだった。

港の中央に立つ時計塔の下で、 ひときわ美しい羽を持つ少女が立っていた。

名前はミナ。

彼女の羽はよく手入れされていて、 角度を変えるたびに色が変わる。 軽く、薄く、それでいて強く光る。

港に入ってくる船の灯りが、 彼女の羽に反射するたび、 船乗りたちは一瞬だけ視線を向ける。

ミナはその視線に慣れていた。

彼女は港の柵にもたれ、 入港してくる船を一隻ずつ眺める。

「あの船は航路がいい」 「あれは積荷が少ない」 「あれは噂がよくない」

そうやって、船を選別していた。

その足元、 港の外れの係留柱の上で、 虹色の毛並みをした猫が静かに座っていた。

二足で立ち、 尻尾をゆっくり揺らしながら、 港全体を見下ろしている。

「……相変わらずやな。 この港は、船の“中身”より、 行き先の札ばっか見よる。」

猫――ナツメは、 ミナの羽に一瞬だけ目を向け、 すぐに視線を船へ戻した。

「きれいな羽や。 せやけど、軽そうやな。」

その言葉は、 風に混じって港に溶け、 誰の耳にも届かなかった。

やがて、 港の鐘が低く鳴る。

今夜も、 条件のいい船が入ってくる合図だった。

Ⅱ.条件で船を見る少女

港に、ひときわ明るい灯りをまとった船が入ってきた。

船腹は新しく、 航路図は金の縁で飾られている。 甲板には重そうな積荷が整然と並び、 それだけで「安全」と「成功」を主張しているようだった。

ミナは、思わず羽を整える。

羽職人に言われた言葉を思い出していた。

「いい船に乗りたいなら、 羽は“軽くて光る”ほうがええですよ。」

ミナの羽は、その条件を完璧に満たしていた。

彼女は港の柵から一歩前に出て、 入港したばかりの船を見上げる。

船長の姿が甲板に現れた。

背は高く、 服装は整い、 胸元には航路の証明札が揺れている。

ミナは、船長の顔より先に、 その札に視線を落とした。

航路、積荷、港での評判。 それらを頭の中で素早く並べ替える。

――悪くない。

むしろ、今夜の港では一番条件がいい。

ミナは笑顔をつくり、 羽を少しだけ広げた。

灯りを反射した羽が、 夜の空気にきらりと光る。

船長の視線が、一瞬だけこちらに向いた。

その瞬間を逃さず、 ミナは声をかける。

「素敵な船ですね。 遠くまで行かれるんでしょう?」

船長は一拍置いてから、 無難な笑みを返した。

「ええ。 安定した航路です。」

それ以上の言葉はなかった。

ミナも、それで十分だった。

どんな人なのか、 なぜこの航路を選んだのか、 嵐をどう越えてきたのか――

そういう話を聞く気は、最初からなかった。

港の外れで、ナツメがその様子を眺めていた。

二足で立ち、 前足を組み、 少し呆れたように尻尾を揺らす。

「あんた、 船長の声、聞いたか?」

突然の問いに、ミナは一瞬だけ眉をひそめる。

「……聞いたけど?」

ナツメは首をかしげた。

「ちゃうちゃう。 “音”やのうて、“中身”や。」

ミナは軽く笑う。

「そんなの、あとでわかればいいでしょ。 大事なのは、どこへ行けるかだもん。」

ナツメは、その言葉を聞いて、 港の海面を見つめた。

波は静かだったが、 その奥では、ゆっくりとうねりが生まれている。

「……行き先だけ見て船選ぶと、 風向き変わったとき、 えらい目に遭うで。」

ミナは肩をすくめる。

「大丈夫。 条件のいい船は、ちゃんと守ってくれるから。」

その言葉と同時に、 港の空気がわずかに冷えた。

遠くの空で、 黒い雲が静かに集まり始めていた。

Ⅲ.条件で選ばれる側になる

夜半、港に風が吹き始めた。

最初は気づかないほどの微風だったが、 次第に海面がざわめき、 船の索が低く鳴りはじめる。

港の見張り塔から、鐘が短く鳴った。

嵐の合図だった。

船乗りたちは慌ただしく動き出す。 甲板では積荷が固定され、 船長たちは声を張り上げて指示を出す。

ミナは、さきほど目をつけた船の近くに立っていた。

灯りはまだ明るく、 航路図も証明札も、夜の中で確かな存在感を放っている。

――この船なら、大丈夫。

ミナはそう信じていた。

だが、船長の表情はさきほどと違っていた。

穏やかな笑みは消え、 目は冷静に、 人と荷を同じように測っている。

「嵐が来る。 条件を満たさない者は降りてもらう。」

その言葉に、港が一瞬静まった。

条件。

ミナの胸に、その言葉が引っかかる。

船長は続ける。

「軽すぎる者は危険だ。 重さのある積荷を優先する。」

ミナは思わず、自分の羽を見下ろした。

薄く、軽く、 光を反射するためだけに作られた羽。

嵐の風を受けた瞬間、 羽はばたばたと音を立てて揺れた。

船長の視線が、ミナに向く。

その目には、 さきほどの関心も、好意もない。

「……その羽じゃ、嵐を越えられない。」

ミナは言葉を失った。

代わりに、別の少女が前へ出る。

ミナよりも羽は地味で、 色も落ち着いているが、 内側に重さのある羽だった。

船長は迷いなく、その少女を選ぶ。

「そっちのほうが、条件に合っている。」

条件。

その言葉が、 ミナの中で何度も反響する。

彼女は初めて気づいた。

自分がこの船を見ていたときと、 船長が自分を見る目が、 まったく同じだったことに。

――航路。 ――積荷。 ――重さ。

そこに、人としての彼女はいなかった。

嵐の風が強まる。

ミナの羽の装飾が、 一枚、また一枚と剥がれ落ちる。

光は消え、 ただの骨組みだけが残った。

船は出航の準備を整え、 ミナを残して、静かに港を離れていく。

その背を、 ナツメが港の外れから見送っていた。

「……条件で選ばれたもんはな、 条件で切られるんや。」

嵐の中、 ミナは一人、 港に立ち尽くしていた。

Ⅳ.羽を外すという選択

嵐は夜明け前に去った。

港には、濡れた木材の匂いと、 引きちぎられた幌の残骸が残っている。

出航した船は、もう見えなかった。

ミナは港の石段に腰を下ろし、 自分の羽を見つめていた。

光沢は失われ、 飾りはすべて落ち、 残っているのは、細い骨組みだけだった。

それは軽く、 風に吹かれれば、またどこかへ飛ばされそうだった。

ミナは、ゆっくりと羽の留め具に手をかける。

外そうとした、その瞬間、 ためらいが生まれた。

羽を外せば、 もう選ばれない。

港の灯りに照らされることも、 船から声をかけられることも、 なくなるかもしれない。

だが、羽をつけたままでも、 もう同じ場所には立てない。

条件で選ばれる世界に戻れば、 また条件で切られるだけだ。

ミナは、静かに息を吸い、 羽を外した。

羽は、音もなく石段に落ちる。

体が、重くなった。

だがそれは、不思議と嫌な重さではなかった。

そのとき、 近くの係留柱の上から、 柔らかな声が落ちてきた。

「……やっと地面踏めたな。」

ミナが顔を上げると、 虹色の毛並みをした猫が立っていた。

ナツメは、 ゆっくりと歩き、 ミナの前に降り立つ。

「羽を飾るのが、悪いわけやない。」

ナツメは、港の奥を指さす。

「せやけどな、 羽だけで飛ぼうとしたら、 行き先は風任せになる。」

ミナは、視線を落としたまま言う。

「……わたし、 船を見てたつもりで、 条件しか見てなかった。」

ナツメは小さく頷く。

「船もな、 人を見るふりして、 条件で人選ぶこともある。」

ナツメの尻尾が、ゆっくり揺れる。

「同じや。 条件で始まる関係は、 条件で終わる。」

港に、朝の光が差し込む。

新しい船が、 また遠くに姿を見せていた。

だがミナは、 立ち上がらなかった。

船を見ず、 船の音を聞かず、 ただ港の地面を踏みしめる。

その足取りは、 まだ不器用で、 どこへ向かうかも決まっていない。

それでも、 風には流されなかった。

ナツメは、港を見渡しながら、 ぽつりと言った。

「船を見るな。 条件を見るな。 人を見たらええ。」

ミナは、初めて小さく笑った。

その笑顔は、 港の灯りよりも地味で、 けれど確かに、重さを持っていた。

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