記憶ランドリーの朝
「メモリーランドリー24」──夜明け前から営業している、町で唯一の“記憶専門洗濯店”。
看板には、こう書いてある。
「思い出、まるっと水洗いOK! 未練・黒歴史・元カレ臭、なんでも落とせます」
虹色の猫に変化したナツメは、虹色のしっぽをふりながら扉を押した。
ガラガラと、鈍い音。中は乾燥機の唸りと、どこか甘ったるい柔軟剤の匂い。
「いらっしゃいませ。記憶、何リットルですか?」
受付に立つのは、真っ白な顔をしたAI店員。名札には“モメン”と書かれている。声はやけに優しいが、目の光が一定だ。
「わしはねぇ、昨日の“反省”を軽くすすぎたいだけやねん」
ナツメはバケツを差し出した。中には、やや濁った涙水がたぷたぷと揺れている。
モメンがそれを受け取ると、手早く計量カップで量りながら言った。
「反省モード、ぬるま湯洗いでよろしいですか? 追加で“自尊心柔軟仕上げ”も承っております」
「いらんいらん。柔らかくなりすぎたら、また同じこと繰り返すわ」
ナツメがそう言って、くるりと工場内を見渡す。
そこには、洗濯機がずらりと並んでいた。 それぞれにネームプレートが貼ってある。
- 元カレ脱色コース(15分)
- 未練脱水モード(20分)
- 羞恥心スピン洗い(30分)
- 理想と現実の混合洗い(不具合あり)
その奥では、誰かの思い出が泡立っていた。ピンクの泡が「まだ好きだったのに」とつぶやき、白い泡が「もういいじゃん」と応える。
ナツメは、しばしそのやりとりを眺めながら、ぽつりと呟いた。
「ほんま、みんなよう洗うなぁ。人生、もっかいすすいだら新品になると思っとるんやろか。」
モメンが小首をかしげる。
「新品までは保証しておりません。再利用品質です」
ナツメは鼻で笑った。
「やろな。洗いすぎた人間の顔って、みんな一緒になるんや。皺も、痛みも、においも、よう落ちすぎて」
そう言いながら、洗濯槽のひとつを覗き込んだ。そこには“誰かを忘れたい顔”が、泡の中でゆっくりと溶けていた。
そして、泡の奥から、ナツメを見つめ返す目があった。
“まだ消えたくない”という目。
ナツメはそれを見て、
「ほらな、こういうやつがおるから、この店は儲かんねん」 と呟いた。
その声に、洗濯機の奥がくすっと笑った気がした。
記憶を洗う人々
ナツメが座ったベンチの隣で、白髪まじりの女性が古びた袋を抱えていた。
袋の中では、小さな記憶たちがカタカタと音を立てている。
「それ、洗うんか?」
ナツメが尋ねると、女性は目を細めて笑った。 「ええ、犬の思い出ですわ。死んでもう十年。まだ土の匂いが残ってるんです」
彼女はやさしく袋を撫でた。 その手つきは、過去を撫でているようで、どこか切なかった。
向こうの洗濯機では、スーツ姿の男が携帯を見つめながらボタンを押していた。 “上司に言い返せなかった夜コース”が回り始める。
彼は小声でつぶやく。 「これで、次はもう少しマシな自分になれるだろうか……」
ナツメはそれを見て、にやりと笑う。 「人間ておもろいな。成長したいゆうて、過去を全部洗うんやもんな。 ほら、洗うたびに“自分らしさ”まで色落ちしてるで」
モメンがすかさず反論した。 「お客様の満足度は、色落ち具合に比例いたします」
その横で、学生くらいの女の子が小さなカゴを持っていた。 中には、ピンク色の“既読スルー”が数個転がっている。 「これ、洗ったら返事くるかな……」 女の子は真剣な顔でコインを入れた。
乾燥機が回る。
ガタン、ゴトン。 「……遅い既読は、脳の乾燥運動です」 モメンがそう言うと、ナツメは尻尾で笑った。
「洗うことと、癒えることはちゃうねん。 洗濯ってのは、“痛みの形を変える”だけや。 見た目はきれいでも、糸の奥にしみたもんは残るんや」
洗濯機の中で泡が弾ける。 そのたびに、小さな声が漏れた── 「だって、ほんとは消したくなかったんだもん」 「でも、放っておいたら腐るでしょ」
ナツメは目を細めた。
「ほんま、人生って洗剤まみれやな」
その背中の毛が、少しだけ青色に変わった。
脱水中の記憶たち
洗濯機の回転音が少しずつ高まっていく。
ガタン、ゴトン、ゴウウン──。
ナツメは、その音の中に“誰かの声”を聞いた。
「……痛い。回りすぎやろ」
「でも、忘れてもらえるなら、それでええやん」
「ちゃうねん。忘れられることと、無かったことにされるんは違う」
洗濯槽の中で、泡が形を変えながら話している。 それは“洗われている最中の記憶たち”の会話だった。
ナツメはしゃがみこみ、ガラス越しに覗き込む。 中では、いくつもの顔がぐるぐると回っていた。 恋人の笑顔、仕事の失敗、泣きながら食べたカップ麺。
「おーい、生きとるかー?」
そう呼びかけると、泡の中から声が返ってきた。 「……ナツメやん。あんた、また来たん?」
ナツメは目を細める。 「おう。今回は“反省すすぎ”だけのつもりやったけどな。 どないや、あんたら。ちょっとはマシになったか?」
泡の一つがふくらみ、泣き笑いのような表情を作った。 「マシとかないねん。 あんたがすすいでくれても、また誰かの頭ん中にこびりつくんや」
ナツメは小さく笑った。 「そらそうや。記憶ってのは、“落ちない汚れ”でこそ、ええ味出すもんや」
そのとき、洗濯機の表示が点滅した。 【脱水エラー:思い出が再発しています】
モメンが慌ててやってくる。 「お客様、旧恋愛データが自己増殖を……!」
洗濯槽の中から、ピンク色の糸が飛び出した。 糸はぐんぐん伸びて、ナツメの腕に絡みつく。
「こら、あんたら。人のバケツまで引っ張るな」
泡が笑う。 「ナツメも、誰か忘れたいんちゃう?」
ナツメは目を伏せ、尻尾の先で糸をほどいた。 「忘れたいもんはある。けど、忘れきったら、詩も出てこんのや」
洗濯機が“キュイーン”と鳴って、回転を止めた。 ドアの隙間から、しずくがひとつ落ちる。
そのしずくは、まるで“思い残し”のように、床で光っていた。
ナツメはバケツを差し出し、それをすくい上げた。 「……よし、今日のすすぎはここまでやな」
ナツメの詩的まとめ
ランドリーの外に出ると、朝が始まっていた。 空はまだ眠そうで、雲のすき間から細い光が漏れている。
ナツメは肩にバケツをかけ、虹色の毛並みをふわりと揺らした。 風が通るたび、その色は少しずつ変わる。 青は冷静、黄は皮肉、赤は微笑──どれも混ざって、ちょうど“人間色”。
モメンが扉の向こうから声をかけた。 「本日もご利用ありがとうございました。 次回は“現実逃避のすすぎ直しコース”はいかがですか?」
ナツメは片手を振りながら笑う。 「また今度や。現実は、もうちょい手荒く洗うのが好きなんや」
足元のアスファルトには、乾きかけの“記憶のしみ”が点々と残っていた。 近づくと、そこから小さな声がした。 「まだ、消えたくない」
ナツメはしゃがみこみ、尻尾の先でそっと触れた。 「人は忘れることで生き延びる。けどな── 忘れすぎたら、生きとることまで洗い流してまうんや。」
その言葉に、風がひとすじ吹いた。 遠くの排水溝に、ランドリーのすすぎ水が流れていく。 光を反射して、まるで小さな川のようだ。
ナツメは立ち上がり、バケツを軽く振る。 そこには、ひとしずくだけ濁らない涙が残っていた。 ナツメはそれを見つめ、ゆっくりと呟く。
「この涙、きっとまだ乾かんでええやつや。」
朝の光が、ナツメの毛並みに虹を映した。
そして、その姿は風に溶けるようにして消えていった。
──ナツメ式 『記憶を洗うランドリー』 了。

