ナツメ式「恋の音量測定局──静寂は愛の周波数」

目次

恋の音量を測る街

この街では、恋の大きさはデシベルで測られる。

朝の通りを歩くと、あちこちで「好き!」という叫び声が響いていた。 建物の壁には音量を表示するメーターが埋め込まれ、 誰がどれだけ“愛しているか”がリアルタイムで数値化されている。

──ミユ 89.3dB (ランキング上昇中!)  リク 64.1dB (抑え気味の愛情と見なされ減点)

ナツメは信号待ちの横断歩道で立ち止まった。 虹色の毛並みが風に揺れ、耳がぴくりと動く。 「恋が音で測れる時代か。……まあ、静かな恋ほど価値が下がるとはな。」

通りの先では、“恋の音量測定局”という建物があった。 ガラス張りの入口に貼られたポスターにはこう書かれている。

【デート前に音量チェック! 平均85dB以上で真剣交際認定】

ナツメは苦笑した。 「愛が大声コンテストになっとる。耳が疲れる恋やな。」

その横で、ワニオが静かに立っていた。 オレンジ色のニットを着て、手には小さな測定器。 「ナツメさん、この街では沈黙は“通信エラー”扱いだそうです。」 「そうか。……ほな、ワニオ、うちらはもう廃棄音源やな。」

ワニオは眼鏡を押し上げた。 「沈黙を翻訳できるAIを研究してる人もいるそうですよ。」 「おお、それはええ。けど、“静かに愛する”って翻訳したらエラーが出るやろな。」

二人は笑いながら歩き出した。 街中に、恋の声が降る。 “愛してる”が風になり、 “ごめんね”が車道の排気に混ざって消える。

ナツメは小さく呟いた。 「ほんまの恋は、耳じゃなくて皮膚で聴くもんやのに。」

音量測定局にて

測定局のロビーは、ほとんど病院のようだった。 白い壁、無機質な光、そして“愛を測りに来た人たち”の列。

受付のカウンターには、AI局員が座っている。 顔の中央に設置されたマイクが、かすかに点滅していた。

「次の方、どうぞ。お二人の“愛の音量”を測定いたします。」

ワニオは一歩下がった。 「ナツメさん、僕は参加しません。爬虫類に恋のデシベルは向いてません。」 「せやな、鳴かへんもんな。代わりに静寂担当で立っとき。」

ナツメがブースに入ると、 天井のスピーカーからやわらかい声が流れた。

「テスト開始。あなたの“好き”をお聴かせください。」

ナツメは一瞬考えて、深く息を吸い、静かに呟いた。 「すきや。」

メーターの針は、ぴくりとも動かない。 スクリーンには冷たい文字が浮かぶ。

【0.3dB:判定不能】

ナツメは笑った。 「人間の恋も、音圧がないと生存できん時代か。」

ブースの外では、カップルが大声を張り上げていた。 「だいすき!」「もっと言って!」「好き好き好き!」 彼らの数値は90を超え、まるでライブ会場のように照明が点滅している。 拍手が鳴り、AI局員が微笑んだ。

「おめでとうございます。愛の認定証をお渡しします。」

カップルは喜びながら去っていったが、 去り際、彼女の顔には少しの疲れが滲んでいた。 彼の声が、まだ鼓膜の裏で響いているのかもしれない。

ワニオが近づいてきた。 「ナツメさん、静かに“好き”と言った人の声は、どこに行くんですか?」

AI局員は淡々と答えた。 「保存対象外です。音量が基準に満たない場合、  “無音データ”として自動廃棄されます。」

ナツメは目を細めた。 「ほうか。無音の恋は、もう存在せえへんのやな。」

AI局員は首をかしげる。 「存在とは、波形のあるものを指します。」

ナツメはブースのマイクに口を寄せて、低く囁いた。 「──それでも届く恋も、あるんやで。」

一瞬、針が小さく震えた。 モニターには見慣れないエラーメッセージ。

【測定不能:感情ノイズ検出】

ワニオは笑った。 「ナツメさん、あなたの声は周波数外なんですよ。」 「せやろな。猫やしな。……けど、それが恋の原音かもしれんで。」

局内に、一瞬だけ静寂が流れた。 人々の叫びが止まり、光がやわらかくなった。 ナツメはしっぽを振り、出口の方へ歩き出す。

「恋の音量なんてな、誰かの耳を壊したあとにしか分からんのや。」

沈黙に恋する人々

測定局を出ると、街の喧騒はひときわ大きくなっていた。 交差点ではスピーカーを抱えた男たちがマイクを握り、 「愛してるフェスティバル!」と叫んでいる。 ビルの壁一面に、恋の音量ランキングが映し出され、 その光が夜空をかき乱していた。

ナツメは耳をふさいで歩いた。 虹色の毛の間を、声の粒がすり抜けていく。 「うるさい恋は長持ちせえへんのやけどな……」

路地裏を抜けたところに、小さな喫茶店があった。 看板には手書きの文字。

『ミュート喫茶 ─ 声を出さない会話、歓迎』

中に入ると、空気が別の世界だった。 客たちはノートに言葉を書いて見せ合ったり、 指先でテーブルを叩いてリズムを伝えたりしている。 BGMはなく、コーヒーを注ぐ音だけが響く。

カウンターの奥では、ミユによく似た女性が本を読んでいた。 髪に小さなマイク型のピンをつけているが、電源は切れている。

ナツメは席に座ると、メニューを開いた。 「無音ブレンド」「ため息ラテ」「心拍カプチーノ」。 どれも音がしなさそうだ。

店主がカップを置いた。 「静かな恋は、測られませんからね。」

ナツメは微笑んだ。 「せやけど、耳を澄ましたら聴こえるやろ。  心の中で“好き”って言うた音。」

店主は一瞬だけ目を細め、 「それを聴ける人が減りましたね。」とつぶやいた。

店内の壁には、ひとつのスピーカーが飾られている。 コードは切られ、沈黙したまま埃をかぶっていた。 プレートにはこう書かれている。

『最後の“好き”を再生したスピーカー』

ナツメはカップを両手で包みながら、目を閉じた。 「愛してるって言葉、ほんまは静寂の子どもなんやな。」

向かいのテーブルで、 ワニオがノートに何かを書いてナツメに見せた。

『恋は音じゃなく、温度や。』

ナツメは笑って、指でその文字をなぞった。 「せやな。音は消えるけど、温度は残る。」

店内の客がゆっくり立ち上がり、 無音のまま“拍手”を送っていた。 その手のひらの音が、たしかに世界を震わせていた。

外では、相変わらず誰かが叫んでいた。 「聞こえてる!?」「もっと好きって言って!」 ナツメはため息をつきながら呟いた。 「聞こえとるよ。でも、聴けてへんねん。」

静けさのデシベル

深夜の街。 あれほど騒がしかった恋の声が、嘘のように消えていた。

空気が薄い。 “愛してる”と“ごめんね”の粒子が、夜風に混じって遠ざかっていく。 光る看板も落ち着き、残るのはネオンの残響だけ。

ナツメはビルの屋上で座っていた。 ワニオはとなりでコーヒーをすすっている。

「ナツメさん、世界の音量、今0dBだそうです。」 「ええやん。静けさも、よう聴いたら音楽や。」

ナツメは空を見上げた。 そこには、壊れたスピーカーが月の光を反射していた。 月面には“録音中”のマークが点滅している。

「まだ録っとるんか。……誰の恋やろな。」

風が吹く。 街灯がかすかに鳴り、電線の間を“無音の会話”が通り抜けた。 その周波数の中で、ナツメは確かに聴いた。

──“好きだよ”という声。 でもそれは、誰かが叫んだ音じゃない。 静かに、胸の内で揺れた記憶の音。

ナツメは尻尾でアスファルトをなぞった。 そこに波形のような模様が浮かび、風に消えていく。

「なあワニオ、恋って結局なんやと思う?」 「観測不能の振動、ですね。」 「せやな。人間は音で測ろうとしたけど、  本当の恋は、沈黙の中でいちばんよく鳴っとる。」

ワニオは眼鏡を光らせ、空を見上げた。 月の“録音中”ランプが、ふっと消えた。

ナツメが立ち上がり、ポケットからメモ帳を取り出した。 表紙にはこう書かれている。

『静寂=∞dB』

ナツメはくすりと笑った。 「ほんまはな、“好き”って言葉の中に静寂がおるんや。」

ビルの谷間から朝が顔を出す。 街が再び動き出す前の、ほんの数秒。 空気が世界を抱きしめるような、完璧な静けさが訪れた。

ナツメは目を細め、虹色の毛を風に揺らしながら呟いた。

「──恋の音量、いまがいちばんええ感じや。」

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