善人オークション開場
重厚な赤い絨毯。
天井のシャンデリアが、呼吸みたいにゆっくり揺れている。
黒いスーツの人間たちが、番号札を握りしめて座っていた。
ここは、善人が売られる場所だった。
ここの善人とは、顔立ちの話ではない。
性格でもない。
ましてや魂でもない。
この会場で売られる善人は、
使いやすさだけで値段が決まる。
壇上には金の縁取りの演台。
そこに立つのは――虹色の毛並みの猫だった。
ナツメは小さな鐘を持ち、
客席を見渡した。
「ほな、始めよか」
「本日も、ええ善人そろってるで」
「みんな、財布の準備できとるか?」
「心は置いてきてや。邪魔やから」
会場のあちこちで、笑いが漏れた。
上品な笑いだった。
他人事の笑いだった。
ナツメが鐘を鳴らす。
カン、と乾いた音が響いた。
「ロットNo.001――」
「怒らない彼氏・改良型」
スポットライトが一点に落ちる。
壇上の横に置かれた檻が、ゆっくりと開いた。
中から青年が出てくる。
黒縁メガネ。
柔らかい笑顔。
姿勢は丁寧で、目線は少し低い。
首には札がぶら下がっていた。
怒り:初期搭載なし
謝罪:自動生成
自己主張:オプション(別料金)
青年は客席に向かって、深く頭を下げた。
「……本日はお忙しい中、ありがとうございます」
「ご期待に添えるよう、努力いたします」
その声は、よく通った。
よく通りすぎて、どこにも引っかからなかった。
ナツメは演台を軽く叩いた。
「はいはい、ええ子や」
「この子な、浮気されても“話し合い”で済ますで」
「不機嫌も、受け止めるで」
「『俺が悪かったよ』は、口癖や」
「しかもな――」
「怒らんのに、優しい顔は維持する。すごいやろ」
客席がざわつく。
番号札が、少しだけ上がる。
ナツメは楽しそうに続けた。
「ほな、入札開始や」
「スタートは――」
「三十万円から」
青年は微笑んだまま、目を伏せた。
その足元に、薄い影が落ちている。
影だけが、少しだけ震えていた。

値段が上がるほど軽くなる
「三十」
「五十」
「八十」
番号札が上がるたびに、
会場の空気が軽くなっていく。
善人は高値で買われる。
それは常識だった。
この会場では、善人は“資産”だった。
ナツメは鐘を鳴らしながら、客席を煽った。
「お、ええやん」
「怒らん男は希少やで」
「最近はすぐ怒るし、すぐ傷つくし、すぐ被害者なるからな」
「この子はちゃうで」
「黙って、飲み込む」
観客が笑う。
笑いはふわっと浮いて、
すぐに消えた。
青年の首に下がった札が、微かに揺れた。
苦情:受理します
反論:いたしません
感情:別途ご相談ください
「百二十!」
「百五十!」
「二百万!」
一気に跳ねた。
その瞬間、カイは気づいた。
青年の足元の影が、少し薄くなっていた。
照明のせいではない。
影そのものが、軽くなっている。
どこかに吸われるみたいに。
檻の外に出た青年は、ずっと笑っている。
笑顔の角度も、まぶたの開き方も、
寸分違わず“優しい”ままだ。
カイは自分の番号札を見下ろした。
来ただけのつもりだった。
興味本位のつもりだった。
でも、ここにいる時点で、
すでに片足を踏み入れている。
ナツメが、客席に向かって言った。
「ええか」
「善人はな、高いほどええんや」
「安い善人は、ただの不用品や」
「けど高い善人は、ブランドや」
「ブランドはな、持っとるだけで気分がええ」
カイの隣の席で、
女が囁いた。
「怒らない人って…安心するのよね」
「私、もう怒られるの疲れたから」
その言葉はやわらかいのに、
どこか硬かった。
カイは青年を見る。
青年は頷き、また一度深く頭を下げた。
「ご安心ください」
「僕は、怒りません」
「あなたの正しさを、守ります」
その瞬間、影がもう一段薄くなった。
まるで、正しさの代わりに何かを払っているみたいに。
ナツメが鐘を鳴らす。
「二百万、他おるか?」
「おらんのか?」
「ほな――」
カン、と音が鳴る直前。
青年の口が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
笑顔ではない形だった。
次の瞬間、もう笑顔に戻っていた。
「二百万で落札」
ナツメが言った。
「おめでとうさん」
会場が拍手をした。
拍手の音は、乾いていた。
気持ちよく、軽く、空っぽだった。
青年は拍手の中で、ゆっくり歩いた。
背中は真っ直ぐで、
顔は優しく、
影は薄い。
カイは思った。
値段が上がるほど、善人は軽くなる。
そして、軽いものほど、
人は欲しがるのかもしれない。
追加出品 ― 都合のいい善人たち
拍手が止むと同時に、
次の檻がゆっくりとせり上がった。
ナツメは尻尾で巻物をめくる。
「ロットNo.002」
「察してくれる女・最新版」
檻の中には、若い女性が立っている。
姿勢はやわらかく、視線は相手に合わせて揺れる。
首元の札。
機嫌察知機能:常時稼働
言語不要:対応可
自己欲求:自動抑制
女性は微笑んだ。
「大丈夫?」
「何も言わなくてもわかるよ」
客席の何人かが、深くうなずく。
ナツメが解説する。
「この子な、LINEの“…”の揺れで感情読める」
「既読秒数で不安も察知や」
「しかもな、自分の不安は飲み込むで」
「便利やろ?」
番号札が次々と上がる。
「四十!」
「七十!」
「百!」
女性は笑顔を崩さない。
だがその足元の影は、
青年のそれと同じように、
すこしずつ薄くなっていく。
カイは目を逸らしかけて、逸らせなかった。
ナツメが小さく笑う。
「察するっちゅうのはな」
「優しさちゃう」
「訓練や」
落札。
また拍手。
続けざまに、次の檻。
「ロットNo.003」
「都合のいい親友」
少し疲れた顔の青年。
スマートフォンを握っている。
いつでも通話可
あなたの恋愛最優先
自分の予定:調整済み
「今日ヒマ?」
「うん、空いてるよ」
カイの喉が、かすかに鳴った。
入札はゆるやかだった。
値段は上がるが、
先ほどの二件ほどではない。
ナツメが肩をすくめる。
「親友はな、恋人ほど高値つかへん」
「使い捨てやからな」
会場に、くぐもった笑い。
カイの手の中の番号札が、
汗で少し湿っていた。
ナツメは、客席をぐるりと見渡す。
「善人はな」
「怒らん、察する、待つ」
「この三拍子で高騰する」
「逆に言えばや――」
ナツメの目が細くなる。
「怒る、求める、去る」
「これ全部、価値下落要因や」
その瞬間、
会場の奥の檻に、
まだ札のついていない人影が立っているのを、カイは見た。
ラベルは白紙。
その人影は、笑っていなかった。
売れ残りの価値
ナツメは、白紙の札をぶら下げた檻を指差した。
「ロットNo.999」
「自分のために怒る人」
檻の中の人物は、微動だにしない。
笑わない。
うなずかない。
謝らない。
首に下がる札は、まだ真っ白だった。
ナツメが、わざとらしく説明する。
「この子な」
「嫌なもんは嫌言うで」
「理不尽は拒否するで」
「無理なら、去るで」
会場が静まる。
ナツメは続ける。
「しかもな」
「自分の幸せを、他人に丸投げせぇへん」
誰も笑わなかった。
カイは周囲を見渡す。
番号札は膝の上。
誰も持ち上げない。
「スタート価格は――」
ナツメが間を置く。
「一万円」
沈黙。
「五千でもええで」
「三千でも」
「千円スタートにするか?」
それでも、誰も動かない。
カイの喉がまた鳴る。
隣の席の女は、眉をひそめた。
「扱いづらそう」
「面倒くさそう」
ナツメが、鐘を鳴らさずに言った。
「善人はな」
「愛されるために削られた彫刻や」
「完成するころには、誰の形でもない」
壇上の青年と女性は、すでに連れて行かれている。
影の薄いまま。
白紙の札の人物だけが、
まだそこにいる。
ナツメが、客席を見回す。
「あんたらが欲しいのは善人ちゃう」
「反抗せぇへん家具や」
誰も笑わない。
ナツメは、白紙の札を外した。
そこに、新しい文字を書く。
人間
「売れ残りやな」
「でもな」
「売れへんもんは、壊れへん」
鐘は鳴らなかった。
善人オークションは、静かに閉幕した。
カイの手の中の番号札は、
いつのまにか、白紙になっていた。
落札後の展示室
オークションが終わっても、
会場はまだ明るかった。
落札された善人たちは、
地下の「展示室」に運ばれる。
そこは静かな空間だった。
ガラスケースの中に、怒らない彼氏が立っている。
察してくれる女が微笑んでいる。
都合のいい親友がスマートフォンを握っている。
彼らは売れたあとも、
ずっと“善人の姿”を保っていた。
ガラス越しに、落札者たちが覗き込む。
「この人なら安心」
「この人なら裏切らない」
「この人なら怒らない」
安心は高級品だった。
しかし安心は、
一方通行だった。
怒らない彼氏の口が、少しだけ動く。
「……少しだけ、悲しいです」
だが音声は出力されない。
設定でオフになっている。
察してくれる女の目が、
一瞬だけ曇る。
だがそれも、すぐに自動補正される。
都合のいい親友は、
「大丈夫だよ」と口の形を作り続けている。
カイはガラスの前に立ち尽くす。
ナツメが背後に現れた。
「どうや?」
「満足か?」
カイは答えない。
ナツメは展示室の天井を見上げる。
「善人はな」
「買われた瞬間に、使われる」
「使われた瞬間に、消耗する」
ガラスケースの下には小さな注意書き。
※感情の消耗は保証対象外です
ナツメは尻尾でそれを隠した。
「善人が壊れたらな」
「また来ればええ」
「次の善人が入荷する」
カイの番号札は、まだ白紙だった。
ナツメが静かに言う。
「なぁ」
「次は、あんたが出品される番かもしれへんで?」
展示室のガラスに、
カイの顔が映る。
そこには、
まだ値段のついていない人間が立っていた。



