市場には、答えが並んでいた
その市場では、魚も果物も売られていなかった。
代わりに並んでいたのは、「答え」だった。
木箱の上に丁寧に並べられた札には、こう書かれている。
「これが正解」
「迷わないための答え」
「考えなくていい答え」
答えにはそれぞれ値段がついていた。
短い答えほど高く、長い説明が必要なものほど安かった。
人々は箱を覗き込み、安心した顔でお金を払っていく。
「これでいいんだな」と、誰かに確認するように。
市場の隅では、説明の長い答えが売れ残っていた。
文字が多く、行間があり、読むだけで少し疲れる。
その前に、一匹の虹色の猫が立っていた。
二足で立ち、尻尾をゆっくり揺らしている。
ナツメは、売れ残った答えを一枚手に取って、首を傾げた。
「……これ、重たいやろ」
「持つ前から、肩こるわ」
猫の声に気づく者はいなかった。
人々はみな、軽くて持ちやすい答えを求めて、前だけを見ていた。
軽い答えほど、よく売れた
市場の中央には、ひときわ人だかりができていた。
そこでは、声の大きな商人が答えを売っている。
「迷ったらこれ!」
「誰でも使える!」
「今日から正しい!」
商人の答えは、どれも一文で終わっていた。
理由は書かれていない。
条件も、例外もない。
それでも人々は競うように手を伸ばす。
短い答えを握りしめると、胸を張って市場を歩き出す。
「これが正解らしいよ」
「間違ってないって書いてあった」
その言葉は、誰かの口から誰かへと渡り歩き、
いつの間にか“空気”のように漂いはじめた。
一方、隅の棚では、長い答えが静かに崩れていく。
紙が湿り、文字が読みにくくなっていた。
ナツメはその様子を見て、鼻を鳴らした。
「軽いもんほど、遠くまで飛ぶんやな」
「中身なくても、風には強いわ」
ナツメが足で床を叩くと、
軽い答えの紙がふわりと宙に舞った。
人々はそれを追いかける。
誰も、なぜ飛んだのかは気にしなかった。
答えを持たない者
市場の外れに、立ち尽くしている人がいた。
手ぶらで、何も握っていない。
彼は棚の前を何度も往復し、
答えを手に取ろうとしては、やめていた。
長い説明の紙を読もうとすると、
背後から、ため息のような声が落ちてくる。
「まだ迷ってるの?」
「そんなの、もう終わった話だよ」
誰かが短い答えを掲げる。
それは、合言葉のように機能していた。
答えを持つ者同士は、すぐに分かり合える。
同じ紙を持っているだけで、仲間になれる。
答えを持たない者は、
ゆっくりと、視界の外に追いやられていく。
彼は声を上げなかった。
ただ、説明の長い紙を見つめている。
文字は多く、行間も深い。
読み終えるまでに、時間がかかりそうだった。
ナツメは、その隣に腰を下ろした。
「それ、時間かかるやろ」
「せやけどな、急がん答えもあるんや」
彼はナツメを見たが、
猫の姿をしていることには、特に驚かなかった。
市場では、
答えよりも先に、
理解が終わってしまうことがあった。
答えが軽くなりすぎた日
ある朝、市場はいつもより騒がしかった。
声が重なり、答えがぶつかり合っている。
「昨日はこれが正解だった」
「いや、今朝は違うって書いてあった」
「それ、もう古いらしいよ」
短い答えが、あちこちで掲げられる。
同じ言葉なのに、意味が少しずつ違っていた。
人々は答えを確かめ合うが、
誰も理由を持っていない。
「これを信じろって言われた」
「みんな持ってるから大丈夫だと思った」
市場の空気が、ざわつき始める。
軽い答えが、軽すぎて、
手の中で向きを変えてしまう。
やがて、同じ答えを持っていたはずの人々が、
互いを睨み合うようになる。
「それ、本当に同じ答えか?」
「書いてある意味、違わないか?」
紙が破れ、文字がこすれ、
答えは読み取れなくなっていく。
ナツメは、少し離れた場所からそれを眺めていた。
「軽すぎるもんはな」
「信じる前に、もう形変わってまうんや」
市場には、
答えは溢れているのに、
誰も安心できない時間が流れ始めていた。
持ち帰られなかったもの
混乱が続いたあと、市場は少しずつ静まっていった。
答えを売る声は減り、
紙切れは地面に散らばっている。
人々は、手に持っていた答えを見下ろし、
それから、そっと置いて立ち去った。
短い答えは、
もう誰のものでもなかった。
棚の隅に残っていたのは、
説明の長い紙だけだった。
湿り、端が折れ、読みづらくなっている。
それを手に取る者は、ほとんどいない。
ナツメは、その紙を一枚拾い上げ、
軽く息を吹きかけた。
文字は消えなかった。
読むのに、時間がかかるだけだった。
「答えな」
「軽すぎてもあかんし」
「重すぎても、持てへんのや」
ナツメは紙を折りたたみ、
胸の内側にしまうような仕草をした。
「せやから」
「持ち歩ける分だけで、ええんや」
市場を出るとき、
ナツメは振り返らなかった。
その街ではその日から、
答えを買う人が減り、
立ち止まって考える人が、少しだけ増えた。
正解は、
相変わらず売られていない。
ただ、
急がなくていい時間だけが、
市場の外に残っていた。

