「恋はバグかアップデートか?」──ナツメ・ワニオ・ソウタの不条理カオストーク

 洋食屋「ナツメ」は今日も開いている。
 開店時間は「日が傾いたら」。
 定休日は「オーナーの恋が終わった日」──らしい。
 そんな不確定な店に、ソウタは友人を連れてやってきた。

「……あの、ここがその“例の店”ですか?」
 ワニオは店の外観をまじまじと見つめていた。
 看板の文字は途中でグニャっと曲がっており、「ナツメ」の「メ」だけが上下逆さまだ。

「そう、“洋食ナツメ”。ただし店って言っても、普通じゃない。俺も最初、テーブルが空中に浮いてるの見たときは帰ろうかと思ったし」
「テーブルが……物理法則を逸脱してるんですね。帰るという判断は極めて正しい」
「でもなぜか帰れないんだよ。不思議と、また来たくなる」

 ソウタがドアを押すと、空間の温度が変わった。
 静かなピアノが鳴っているが、曲は途中から急に尺八になる。
 天井には傘。壁にはワニの剥製。メニューは「日替わりバグ定食」──。

「……これは夢の中か、現実の外側か」
「どっちでもいい。ナツメに会えたら、それで今日の目的は達成だから」
「そのナツメさん、どういう方なんですか?」
「うん……言葉で説明すると、たぶん混乱する」
 ソウタが苦笑するや否や、天井の傘がくるくる回って、ゆっくりと降りてきた。
 傘の下から、スーツを着たナツメが静かに登場する。

「──そろそろ“カレー風味の恋”が煮えた頃や思てな」
 そう言って、ナツメは傘からスッと降り立った。
 スーツの下からは、なぜかハート柄のエプロンがのぞいている。

「おまたせや。ほな、今日は誰の恋をかき混ぜたろか?」

目次

ナツメ、空中で登場。店はすでにカオス

「──まずな、座る前に“座ったあと”をイメージすることや」
 ナツメが空中であぐらをかきながら言った。
 テーブルとイスはまだ出てきていない。
 その代わりに、目の前に浮かんでいるのは巨大なプリンだ。

「……あの、このプリンは……」
「座れる。座ってええ。今日のイスは“洋菓子”やから」
「いや、許されてませんよ。物理的にも倫理的にも」
 ワニオが真顔で指摘するも、ソウタは慣れた様子でプリンに腰を下ろした。

「プリンって意外と安定するよ。とくに“反省してる系”のプリンは、重心が低い」
「反省……してるんですか?」
「してる。スプーン折った過去があるらしい」
 ナツメはそれだけ言って、今度は頭から湯気を立て始めた。
 湯気はカレーの香りがしていたが、途中からシトラス系になり、最後は「新刊の匂い」になった。

「ナツメさん、今なにしてるんですか」
「恋愛成分を気化中や。気体にならへんと、ほんまの本音は届かへん」
「物理的に完全に意味不明です……!」
 ワニオはスーツの袖口を確認する。そこに記されたスケジュールは「13:00〜:未知の圧力下にて自我の再構築」となっていた。

「とりあえず、今日は“恋人と結婚相手の違い”みたいな話をできたらと思って来たんですけど……」
 ソウタが本題を投げると、ナツメはぴたりと動きを止めた。

「ほな、始めよか。愛ちゅうもんはな、液体にも気体にもなる。やけど、結婚いうのは固体や。
「名言っぽいけど、急に元素変化の話に!?」

 ナツメはスプーンを天井に投げた。
 スプーンは音もなく弧を描き、ゆっくりと落ちてきて、プリンの中に吸い込まれた。

「それが“出会い”や」
「……もはや会話というより、概念の打ち上げ花火」
ワニオが静かにメモを取っている。
ペン先が震えているのは、おそらく熱のせいではない。

恋愛不要派のワニオに、ナツメが説法(?)

「そもそも僕は、恋愛に意味を感じていません」
 ワニオが姿勢を正して口を開いた。
「感情の不安定性や非合理な判断が連続するだけの行為に、時間とエネルギーを割く理由が見出せないんです」
「……めっちゃ刺さる言い方やな」
 ナツメはプリンのイスに半分沈みながら笑った。

「けどなワニオくん、恋ちゅうもんはな、アホな時間を“意味ある風”に塗りかえるための儀式や」
「意味ある“風”であって、実際に意味があるとは言っていない……」
「せや。恋は“ごっこ”や。“将来を見据えるごっこ”、“この人しかいないごっこ”──せやけどな、ごっこは楽しいんやで?」
「子ども……の遊戯的概念と捉えるべきでしょうか」
「そやそや、“大人の砂場遊び”や」
「なるほど。だとしたら僕は、おそらく“砂場に入る前の安全確認を30分やって、砂を殺菌してから遊ぶ派”ですね」
「……恋、遠いなあ」
 ソウタがぼそっとつぶやいた。

「恋は不安定で、いずれ終わるものだと言う人もいますが」
 ワニオは静かに続けた。
「じゃあ、なぜそれでも人は“付き合いたい”と思うのか。それが僕には、どうしても解せないんです」

「せやな……ワイも昔はそう思てたで」
ナツメが腕を組んで語り出す。
「ワイが初めて恋したんは、“信号待ちの時間が長すぎて年取ったおじいちゃん”に見とれてた瞬間や」
「……え、えっと……それは恋だったんですか?」
「ちゃう、違う。正確には“尊み”や。恋はそのあとに出会う“混乱”や」
「定義がバグってます」
「ワニオくん、“定義”の話し始めたら、それはもう恋やで?」
「うわ、哲学者を騙す商法みたいなセリフ……」

 ふたりのやりとりを見ながら、ソウタはプリンのイスで軽く足を組んだ。

「……でも、そういう意味のないものを、“意味あるかも”って思える瞬間って、案外いいもんだよ」
ふっと、ソウタがそう言ったとき、ナツメのエプロンがぱんっと音を立ててポップコーンを吐き出した。
「恋の合図や」
「その演出どこから仕込んでんの!?」

話がずれすぎて、“愛とは何か”に行き着く

「そもそも、“好き”って何なんですか?」
 ワニオの問いかけに、ナツメはパフェのグラスに指を突っ込んだ。
「“好き”はな、氷の上で目玉焼きが踊るくらいのバランスや」
「情報がゼロです」
「つまりやな、“溶けかけの信頼”と“焦げ気味の情熱”が混ざるんや」
「そういう比喩で喋るの、どこで学んだんですか」
「無意識と炒めたら誰でも出る」
「いや、それただの炒めもの……」
 ワニオがぐるぐるとペンを回している。思考が過熱してきた証拠だ。

「愛とはな、日替わり定食や」
 ナツメが皿を出す。乗っていたのは“味のないカツ丼”だった。
「これは……味覚バグってます?」
「いや、味はないけど、噛んだ回数だけ相手のこと思い出せる仕様や」
「いやそれもう恋というより呪いでは……」
 ソウタは苦笑しながら、愛について少しだけ真面目に話した。

「僕は……“愛”って、“一緒にいる理由を探さなくていい関係”だと思う」
「おぉ」
 ワニオが珍しく感心した声を出す。
「理由があると、失ったとき“理由がなくなった”ってことになるけど、最初から理由がなくても続いてるなら、たぶんそれは本物なんだよ」
「それは……理にかなってるようで、すごく感情的ですね」
「だろ?」
「矛盾している。でも……その矛盾の中に、人は安心を見出すのかもしれない」
 ワニオは自分で言った言葉に軽く首をかしげる。
 その姿を見て、ナツメが笑った。

「そや。恋や愛いうのは、矛盾と不安定の上に立っとる不動産や。どこに建てても、いつか傾く」
「なんで不動産に例えるんですか」
「例えの共有財産やからや」
「うまいこと言った顔するの禁止です」
その瞬間、ナツメの椅子が爆発した。
プリンが弾けてハート型の煙を描く。ソウタもワニオも、まったく驚かない。

なぜか全員で“恋愛の定義”をメモに書いて発表する流れに

「じゃあさ、せっかくだし一回書いてみようよ」
 ソウタがメモ用紙を3枚取り出す。
「“恋愛とは○○である”って、一言で書いてみない?それぞれの中にある答えって見えてきそうじゃん」
「……概念の切り出しは危険ですよ」
「大丈夫。恋愛は爆発しないって信じてる」
「さっきプリン爆発しましたけど」
「ありゃ仕様だ」
 ソウタが笑って、ワニオとナツメにペンを渡した。

──3分後。
 テーブルの上に、3枚のメモが並ぶ。

ソウタの定義:「恋愛とは、“無意味に嬉しくなる”こと」
ナツメの定義:「恋愛とは、“季節を裏返したところで見つかる汁気”」
ワニオの定義:「恋愛とは、“社会的効率性の破綻を伴う選択傾向”」

「ナツメさん、まずは……汁気とは?」
「恋の原材料や。煮詰まったあとに残る“こっち側の味”やで」
「だいたい何言ってるか分かりません」
「そやろ?それが恋や」
「うわ、負けた気がする……」
 ワニオが思わず天を仰いだ。
 その視線の先には、“雲のかたちをしたセリフ”が漂っていた。
 そこにはこう書かれている。

 「なんで好きなのか分からないけど、好きだった」

「それや。それが、恋やで」
 ナツメが笑った瞬間、店内の空間が少しだけ明るくなった気がした。

「……ちょっとこの店のこと、好きになってきたかもしれません」
「うん。それも恋の始まりやで、ワニオくん」
「恋の始まりが“物件への情”って、正しいのか……?」
3人の笑い声が、ぐにゃりと曲がった壁に吸い込まれていった。

世界はバグっているけど、恋はその隙間にある

 店の天井がゆっくりと開き、そこから折り紙のような夕陽が差し込んできた。
 ナツメはゆるりとスーツの袖をまくりながら言う。

「そろそろ、今日の恋は煮込みすぎたかもしれへんな」
「今日って、恋を煮込んでたんですか?」
「せや。ぐつぐつ、ぼんやり、だらだらと」
「……いいですね。低温調理っぽくて」
 ワニオの口から、少しだけあたたかみのある言葉が出た。

「まあ俺は、恋って“理解しようとしすぎると逆に分からなくなるもの”だと思ってて」
 ソウタが言うと、ナツメがゆっくりうなずいた。
「恋はな、ピントを合わせたとたん、ボケて見えるもんや。見えんでもええ。感じるもんや」
「それ、“ラブはフィーリング”って言ってるようなもんですよ」
「ちゃう。“ワビはウィスパー”や」
「ますます分からない……」
 ワニオは小さく笑った。

「今日は、ありがとうございました。まだ完全には理解できませんが──」
「せやろな」
「……ただ、“理解しきれない何かに触れる経験”って、大切かもしれないって思いました」
「ワニオ、それはもう恋のはじまりやで」
「いや、それはやっぱり違う気がする」
 けれどどこか、顔が柔らかく見える。

 ワニオが店を出るとき、天井から一枚の紙がふわりと落ちてきた。
 そこにはこう書かれていた。

 「恋はバグです。でもたまに、アップデートしてくれるから手放せない」

ワニオはその紙を黙って折りたたみ、内ポケットにしまった。
次に来たとき、自分はもう少しだけ“バグに寛容”になっているかもしれない。
そんな予感を残して、店を後にした。

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