ナツメ式|夢の返品窓口 ― 手放すことも愛のかたち

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夜明けの案内状

夜がまだ寝ぼけているころ、ポストに一通の封筒が落ちた。
封を切ると、ほんのりと眠気の香りがした。インクは、まるで夢を煮詰めたような淡い紫。

「夢の返品窓口 ご案内」

ナツメは虹色の毛並みをふわっと逆立てた。
「返品って……夢のどの部分を?」

差出人は書かれていない。ただ、こうあるだけだった。

「満足していない夢をお持ちの方へ。未使用・消化不良・後悔混入の夢、承ります。」

ナツメは首をかしげた。
「夢に満足してるやつなんか、おるんやろか。だいたい途中で終わるか、変なとこで目ぇ覚めるのにな。」

とりあえず封筒を丸めてゴミ箱に入れた。 ところが翌朝、封筒は何事もなかったように机の上に戻っていた。 しかも文字が増えている。

「あなたの夢、まだ返品可能です」

猫は小さく笑った。 「しつこい業者やな……。しゃあない、どんな顔して待ってるんか見に行ったろ。」

虹色の毛が朝日に淡く光る。 現実の輪郭が少しだけにじんで、道の向こうに“眠りと現の境界”が開いた。 ナツメは封筒を尻尾に挟み、ひょいっとそこに足を踏み入れた。

ガラスの街の受付嬢

そこは、透明な街だった。 建物も、通行人も、夢のかけらでできている。 すれ違う人の影がきらりと透けて、思い出の断片が風に舞う。

「夢の返品窓口はこちらでーす」 鐘の音のような声が響く。振り向くと、ガラスでできた受付嬢が立っていた。

全身が薄い硝子で、内側には淡い光が流れている。 話すたびに、その声が街全体に反射して、何度も何度も“返品”という単語だけが木霊した。

ナツメは列に並んだ。前の客は人間の青年で、目の下に眠気の影を落としている。 受付嬢が優しく問うた。

「どの夢を、返されますか?」

青年はうつむきながら答えた。 「初恋の夢です。……見なくてよかったと思いたい。」

受付嬢は頷き、透明な書類を差し出す。 青年がサインをすると、背中の影が少しだけ薄くなった。 風が吹くと、その影が紙のようにふわりと舞って、空に溶けていった。

ナツメは小さく呟いた。 「夢を返したら、思い出まで消えるんかいな。」

受付嬢の笑顔が、カランと鳴った。 「返品とは、そういうものでございます。お客様の“後悔”と引き換えに、“輪郭”が少し失われます。」

ナツメは尻尾を揺らした。 「影、なくなるほど返品したら、どないなるんやろな。」

「その場合は、“夢の供給側”にまわっていただきます。」

街のどこかで、誰かの夢がひとつ、ぽとりと落ちた音がした。

返品カウンターの向こう側

ナツメの番が来た。 ガラスの受付嬢が、きらきらと瞬く瞳で言った。

「返品希望の夢をお教えください。」

ナツメは前足で封筒を取り出し、少し考え込んだ。 「ほな、“追いかけても届かん夢”を返したいな。」

受付嬢はペンを取り出し、夢の明細書のような紙にさらさらと記入する。 「内容を確認いたします。“誰かを好きになる夢”。こちらでよろしいですか?」

ナツメは一瞬、耳を伏せた。 「……そう言われると、返品するのもったいない気ぃしてきたな。」

受付嬢の指が一瞬、止まった。 「返品されない場合、夢は次の利用者に再配布されます。 つまり、あなたの“好き”が、誰かの夢の中で再生される可能性があります。」

ナツメは目を細めた。 「それ、ええことやん。夢がまた誰かを照らすなら。」

「ただし、その夢の“痛み”も一緒に転送されます。」

ナツメは口の端を上げた。 「ああ、そっちがメインか。わしの夢、ちょっとトゲあるからな。」

ガラスのカウンター越しに、受付嬢が静かに微笑む。 「返品完了。あなたの夢は、もうあなたのものではありません。」

封筒がふわりと浮かび上がり、風に乗ってどこかへ飛んでいく。 それはまるで、夜空の中を泳ぐ金魚のように、ゆっくりと消えていった。

ナツメはその光景を見つめながら、小さく呟いた。

「夢は、手放した方が美しいときもある。」

その声は、夢の街に吸い込まれていった。

夢の供給者たち

ナツメが街を出ようとしたとき、背後から微かなざわめきが聞こえた。 振り返ると、ガラスの路地の奥に長い行列ができている。

列の先には、巨大な機械があった。 ベルトコンベアの上には、眠る人々の“影”が静かに流れていく。 機械の上にはこう書かれている。

「夢供給装置 第7号 ― 返品済みの感情を再利用しています」

透明な作業員たちが影を慎重に取り出し、薄い瓶に詰めていく。 その瓶は、ひとつずつ空へ放たれ、雲のように漂って消えた。

ナツメは首をかしげた。 「あれが“供給側”か。……なるほど、こうして人の夢がリサイクルされとるんやな。」

すると、瓶の中のひとつが床に落ち、パリンと割れた。 中からこぼれ出たのは、ナツメがさっき手放したはずの夢――“誰かを好きになる感情”だった。

それは小さな光の魚のように泳ぎ出し、ナツメの尻尾にふわりと絡みつく。

「おまえ、まだ帰りたくないんか。」 ナツメは苦笑しながら、その光をそっと指先で撫でた。 「せやな、わしもまだ、全部捨てきれへん。」

機械の奥で、ガラスの受付嬢が静かに言った。 「返品された夢は、必ず誰かの心に届きます。 けれど、“手放した人”のもとへも、少しだけ残るんです。後遺症のように。」

ナツメは笑った。 「後遺症、か。……わしにはちょうどええ薬やな。」

街のガラスが朝日を反射し、夢の街がゆっくりと透明になっていく。 ナツメは封筒の残り香を嗅ぎながら、現実へ帰る道を歩き出した。

歩きながら、ぽつりと呟く。

「返品も、愛のかたちやね。」

そして、その虹色の背中が完全に現実に溶けた瞬間、 夢の街の入口に、また新しい封筒が落ちた。

「夢の返品窓口 再開しました」

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