優しさがつらい夜に─リクの恋日記・第7話

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彼女の才能に、僕は追いつけない

最近、記事を書くのが怖い。

どう書いても納得がいかないし、提出したあとも胸がざわつく。

編集部から戻ってくる原稿には、これまで見たことのない数の赤字がついていた。

「リクさん、らしくないですね」

「どこか、よそよそしいっていうか……」

ユウトさんやナナさんのように、読み手の心を掴む文章が書けていない。

そんな声を聞くたび、自分の中の何かが静かに崩れていく気がした。

ソウタと帰り道が一緒になったとき、なんとなく相談してみた。

「最近、ミサキの記事、編集部で話題だよね」

ソウタはふわっと笑いながら、

「うん、すごく真っ直ぐって感じ。こいこと。にぴったりじゃん?」

と無邪気に返してきた。

ユウトさんにコーヒーを淹れてもらったときも、

「ミサキさんって、すごく努力家なんだなって思うよ。リク、いい子と付き合ってるな」

って笑われた。

そうなんだよ。わかってる。

ミサキはいい子で、努力家で、才能もあって――僕にはもったいないくらいの人なんだ。

だから、なのかもしれない。

僕の中にどす黒い感情が生まれるのは。

比較なんてしてはいけないのに。

応援しなきゃいけないのに。

彼女が評価されればされるほど、

自分の存在が無力に思えてしまう。

「最近の記事、なんか迷ってる感じだね」って、ミユにも言われた。

……バレてるんだ。みんなに。

それでも、ミサキはいつも優しかった。

「いまは不調なだけ。リクの文章が素敵なの、私は知ってる」

そう言ってくれるたび、心が少し救われる。

でも同時に、惨めにもなる。

優しさが、痛い。

僕は、彼女の支えになれているのだろうか。

……本当に。

編集部に馴染むたび、リクとの距離が気になった【ミサキ視点】

こいこと。編集部に遊びに行くのが、最近ちょっとした楽しみになっていた。
自分の居場所じゃないのは分かっているけれど、あの空気感が好きだった。

ふわっと香るコーヒー、誰かの笑い声、パソコンを叩く音。
みんなが何かを一生懸命やってるのに、どこかあったかい。

「ミサキさん、最近よく来てくれるね」
マリさんに声をかけられたとき、少し照れくさかったけど、嬉しかった。

書いたコラムを、ナナさんが読んでくれたらしい。
「文章、けっこう好きだったよ」って言われたとき、胸がじんとした。

その日の夜、ナナさんとふたりで会うことになった。

場所は、BAR恋古都
淡いブルーの照明と、グラスの氷が溶ける音だけが響く、大人な空間。

「最近どう? リクとは」
ナナさんがカウンター越しに聞いてくる。
わたしはグラスを見つめたまま、正直に答えた。

「うまくいってるような、いってないような……。
わたし、最近楽しくて。文章書くのが前よりもっと好きになってきて。
でも、リクの顔をちゃんと見られてない気がして……」

「罪悪感、ある?」
「……あるかも」

ナナさんは、静かにグラスを拭きながら言った。

「ミサキはさ、がんばり屋でしょ。何事も全力で楽しむ人だよね。
でも、リクみたいに繊細なひとって、自分と誰かを比べるクセがあるのよ」

「……」

「ミサキが楽しく書いてるだけでも、“自分はうまくいってない”って思っちゃうかもしれない。
その気持ちに“優しさ”で寄り添いすぎると、余計つらくなっちゃうこともあるの」

「じゃあ、どうすれば……」

「別に何もしなくていいよ。
ただ、“並んで歩いてるつもりでも、相手には違う道に見えるときもある”って知ってるだけでいい」

その言葉に、思わず息を飲んだ。

わたしは“寄り添ってるつもり”だった。
でも、もしかしたらそれは“追い詰めていた”のかもしれない。

「こないだ送ってくれたコラム、ほんと良かったよ。
ああいうの、もっと読みたいって思ったもん。
……編集長に推薦しようかなって、ちょっと思ってる」

グラスの底で、氷がカランと鳴った。

「ほんとに……?」
「ほんと。こいこと。向きだと思うよ、ミサキは」

わたしの中で、小さな火が灯った気がした。

どんな言葉も、いまの僕にはまぶしすぎた

こいこと。の編集部は、今日も穏やかだった。

僕の記事の調子が悪いのは、自分でもわかっていた。
どこかに靄がかかったように、言葉が出てこない。

「最近、ちょっと疲れてない?」
アカリが心配そうに言った。
ユウトも、「無理すんなよ」って笑ってくれた。

そう言われるたびに、なんだか申し訳なくなる。
みんなは優しい。でも、それが今は少しつらかった。

記事が思うように書けなくなったのは、いつからだっただろう。

思い当たるのは、ミサキが編集部に顔を出すようになった頃。

ミサキは楽しそうだった。
誰とでもすぐに打ち解けて、文章への熱量もまっすぐで、眩しかった。

「最近ミサキさん、めっちゃ馴染んでるな〜」
ソウタが言って、アカリが笑った。
「うちより編集部歴長そうやん」

——そうだね、と笑ってみせたけど。

内心、焦っていた。

僕の方が、ミサキよりも長くここにいる。
でも今の僕より、彼女の方が「こいこと。」にふさわしいように見えた。

その夜、ユウトと飲みに行った。

「最近、どう?」と聞かれて、何も言えなかった。

“劣等感がある”なんて、言えるわけがなかった。
“ミサキに嫉妬している”なんて、僕の口から出せる言葉じゃなかった。

「ミサキさんって、ほんといい子だよね」
ユウトがそう言って微笑む。
その笑顔が、どうしようもなく刺さった。

わかってる。
僕は彼女の才能を認めているし、好きで、応援したいと思ってる。
でも、それと、心が負けそうになるのは、別の話だった。

最近書いたミサキのコラム、すごく良かった。
ナナさんが「このまま編集長に見せてみる」って言ってた。

……嬉しかった。
でも、その嬉しさと一緒に、どうしようもなく自分が惨めだった。

彼女は、僕を追い越していく。

それでも好きで、応援したいのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。

「どうすればいいんだろうな……」
帰り道、そうつぶやいた声だけが、夜ににじんだ。

——好きなのに、苦しい。

書けなくなったのは、ミサキのせいじゃない。

でも彼女がまぶしいほど、僕の言葉は影を落としていく気がした。

きっと、いまの僕は、彼女の足を引っ張っている。

それだけは、どうしても嫌だった。

ミサキは、僕の才能を信じてくれている。
「リクの記事、大好きだよ」って、言ってくれた。

でも、その言葉すら苦しかった。
その優しさに、何度も救われたのに。
……今は、ただ、まぶしすぎた。

彼女の夢を応援したい。
でも、隣にいると、きっと僕は壊れてしまう。

なら、いっそ。

「別れよう」と言えば、楽になるのだろうか。

それとも、彼女が——

──第8話へ続く

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