言葉が一人歩きして燃えた日|リクの誠実めし④

目次

なぜか論争の火種になっていた

その投稿は、本当に何気なかった。

朝、コーヒーを淹れながら、
少し眠い頭で思ったことを、そのまま打っただけだ。

「努力は大事だけど、
それが必ず報われるとは限らないと思ってる。」

送信。

スマホを置いて、コーヒーを飲んだ。

……苦い。

豆、間違えたかもしれない。

そのまま少しして、スマホが震えた。

一回。

二回。

三回。

あれ、と思った。

こんなに反応が来る内容だっただろうか。

画面を開く。

「努力してきた人を否定するな」
「こういう発言が若者をダメにする」
「努力できなかった人の逃げ道を作るな」

……え。

少し下にスクロールする。

「いや、現実見ろって話でしょ」
「努力が報われない世界の話をしてるだけ」
「むしろ優しさでは?」

あれ。

さらに下にスクロールする。

「努力は無意味だって言ってるわけじゃないよね?」
「いや、こういう言い方が一番タチ悪い」
「分かる人には分かる投稿」

……待って。

否定派と肯定派が、
完全に会話を始めている。

しかも僕抜きで。

気づけば、
リプ欄がちょっとした討論会になっていた。

その中に、見覚えのない名前が混ざる。

「フォロワー10万人の○○です。
この発言、文脈が雑すぎると思います」

知らない。

あなたを、僕は知らない。

なのに、その投稿が引用され、
さらに別の誰かが噛みついていた。

「インフルエンサー気取りが説教するな」
「論点ずらすな」
「努力の話をするなら覚悟を持て」

……覚悟?

僕はただ、
朝にコーヒーを飲みながら思ったことを、
そのまま書いただけなんだけど。

スマホを持つ手が、少し重い。

もう一度、自分の投稿文を読む。

……。

確かに、説明は足りない。

でも、ここまで広がるとは思っていなかった。

下書き欄を開く。

「努力している人を否定したいわけではなくて……」

消した。

「自分自身に向けた言葉で……」

消した。

今さら何を書いても、
どこかの誰かに刺さりそうな気がした。

スマホを伏せる。

コーヒーは、さっきよりも冷めていた。

今日は、ちょっと騒がしい日になりそうだ。

正しいはずの言葉が、正しく届かない理由

スマホを伏せたまま、しばらく動けなかった。

否定されたのが辛い、というより、
勝手に話が進んでいる感じが、落ち着かなかった。

僕は誰かとケンカしたかったわけでも、
議論を始めたかったわけでもない。

ただ、少し疲れていて、
自分に向けて書いた言葉だった。

なのに今、
その一文は「主張」になって、
「立場」になって、
「論点」になっている。

画面の向こうでは、
知らない誰かが、
知らない誰かに怒っている。

僕の名前だけが、
そこに置いていかれている感じがした。

もう一度、自分の投稿文を読む。

「努力は大事だけど、
それが必ず報われるとは限らないと思ってる。」

間違ったことは、書いていない。

でも、
いつ、誰が、どんな気持ちで読むかは、
まったく考えていなかった。

努力している人が読めば、
自分を否定されたように感じるかもしれない。

努力できなくて苦しんでいる人が読めば、
救われた気がするかもしれない。

どちらも、たぶん正しい。

でも、その間にいる僕は、
どこに立てばいいのか分からなくなっていた。

説明すればいいのかもしれない。

でも、説明すればするほど、
また別の誰かの言葉を拾ってしまいそうな気がした。

言葉は便利だ。

でも、便利すぎて、
簡単に一人歩きする。

今の僕には、
これ以上、言葉を足す余裕がなかった。

少し、頭の中がうるさすぎる。

こういう時は、
何かを混ぜるより、
一度、シンプルに戻した方がいい。

僕は立ち上がって、
キッチンの方へ向かった。

誠実めしが必要だ。

今日の方針:足さない、混ぜない、引き返さない

冷蔵庫の前に立って、扉を開けた。

中には、いろいろ入っている。

肉もある。
野菜もある。
昨日の残り物もある。

全部使えば、
それなりに豪華なものは作れる。

でも、今はそういう気分じゃなかった。


あれもこれも足した結果、
何を言いたいのか分からなくなるのは避けたい。

今日は、決める。

・具材は少なめ
・味つけはシンプル
・途中で方向転換しない

説明しすぎない。

正しさを盛らない。

伝わらなくても、
無理に追いかけない。

今日は、
具を入れすぎない野菜炒めにする。

本日の誠実めし:具を入れすぎない野菜炒め

選んだのは、
キャベツ、ピーマン、豚肉。

三つ。

冷蔵庫には他にもいろいろあったけど、
見なかったことにした。

フライパンを出して、火をつける。

油をひいて、豚肉を入れる。

ジュッという音がした。

それだけで、
少し気持ちが現実に戻ってくる。

肉に火が通ったところで、
キャベツとピーマンを入れる。

ここで、つい思う。

にんにく、入れたら美味しいかも。

……やめた。

ごま油、ちょっと足したら?

……やめた。

今日は、塩だけ。

さっと振って、
軽く混ぜる。

混ぜすぎない。

それぞれが、
何の食材か分かるくらいで止める。

誠実めしメモ

・具材は三つまで
・味つけは塩のみ
・途中で足さない
・混ぜすぎない

正しさを重ねるより、
輪郭を残す。

食べてみて、少しだけ静かになる

皿に盛って、テーブルに置く。

見た目は、地味だ。

映える要素は、ひとつもない。

一口食べる。

ちゃんと、野菜の味がする。

豚肉も、
自分の役割を忘れていない。

派手じゃないけど、
何を食べているかは、はっきりしている。

スマホを見る。

通知は、まだ来ている。

でも、さっきより、
少し距離を取って見られる。

今すぐ説明しなくてもいい。

今すぐ分かってもらえなくてもいい。

今日は、
このくらいで終わりにしよう。

フライパンは、
すぐ洗った。

洗い物が少ないのも、
ちょっと救いだった。

今日は、何も足さないで終わる

食べ終わって、もう一度スマホを見た。

通知は、相変わらず増えている。

誰かが怒っていて、
誰かが擁護していて、
誰かがまとめ始めている。

僕は、そこにいない。

でも、もういい気がした。

説明しようと思えば、できる。

言葉を選んで、
背景を書いて、
誤解をほどくことも、たぶんできる。

でも、それは今日じゃない。

今日は、もう十分、混ぜた。

フライパンも、
言葉も、
これ以上は触らない方がいい。

投稿は消さなかった。

追記もしなかった。

なかったことにするほど、
間違っていたとも思えなかったから。

ただ、
次に何か書くなら、
もう少し考えようとは思った。

努力の話も、
正しさの話も、
たぶん、一文じゃ足りない。

でも、一文で始まってしまうのが、
SNSなんだろう。

スマホを裏返して、
ソファに置く。

今日は、ここまで。

具を足さなかった野菜炒めは、
最後まで、ちゃんと野菜炒めだった。

それで、よかった。

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