少女は、地元では少し知られた存在だった。
大人と子どもの間の年齢。小さなライブハウス。天井の低い箱の中で、汗と煙と安い照明に包まれながら、彼女はマイクを握っていた。
長い髪と整った顔立ち。ステージに立つだけで客席の視線をさらうような、どこか華やかな雰囲気。 初めて観る人間は、きっと甘い歌声を想像する。
けれど実際に放たれるのは、喉を裂くような、刃物みたいな声だった。
優しさよりも怒り。 共感よりも衝動。 耳に残るというより、胸ぐらを掴んで揺さぶるようなボーカル。
その落差が、少女のいちばんの武器だった。
「見た目に騙された」 「なんだあの破壊力」 ライブ後には、そんな言葉が飛び交う。
華やかなルックスと、内側から噴き出す破壊的な歌声。 それが、彼女のバンドの看板だった。
それでも、少女は満たされなかった。
同じバンドのメンバーたちは悪い人間ではない。 むしろ優しくて、笑って、打ち上げでは冗談ばかり言う。 「学生のうちの思い出作りだよな」 「楽しくやれればいいじゃん」
その言葉が、少女の胸を静かに冷やしていく。
彼女にとって音楽は、思い出作りではなかった。 逃げ場でも、暇つぶしでもない。 自分の内側に渦巻く、どうにも消化できない衝動を吐き出すための、唯一の方法だった。
ステージに立つたび、彼女は本気だった。 壊れてもいいと思っていた。 嫌われても、浮いても、ひとりになってもいい。 ただ“本物”でありたかった。
けれど、周囲との温度差は、ゆっくりと確実に広がっていた。
ライブが終わるたびに、拍手の音よりも強く、胸の奥に残る違和感。 「このままじゃ終われない」という焦りと、 「ここにはいられない」という確信。
本気と温度差
少女は、世界を変えたいなんて思っていたわけではない。
革命家になりたいわけでも、誰かのヒーローになりたいわけでもなかった。
ただ、胸の奥に溜まっていく何かを、どうにかしないと息ができなかった。
それは怒りだったのか。 孤独だったのか。 世間を壊したいのか、自分を壊したいのか、本人にもよくわからない。
でも確かなのは、優しい歌では足りないということだった。
スタジオ練習の帰り道。 機材を片付けながら、少女はぽつりと呟いた。
「もっと本気でやろうよ。パンクやりたいんだ。 世間とケンカするくらいじゃないと意味ないじゃん」
メンバーのひとりが笑いながら返す。
「音楽は音を楽しむって書くんだよ。 ケンカなんかしたくないよ。楽しくやろうぜ」
「楽しいだけでいいなら、別にあたしじゃなくてもいいでしょ」
少女の声は低かった。
別のメンバーが、困ったように肩をすくめる。
「そこまで背負わなくていいって。 俺たちプロ目指してるわけじゃないんだしさ」
その言葉が、いちばん刺さった。
目指していない。 背負っていない。 壊す覚悟もない。
少女は、自分だけが重すぎる荷物を持っているような感覚に襲われた。
ライブで叫ぶたびに、拍手は増える。 客席は盛り上がる。 「かっこいい」「最高」と言われる。
それなのに、終わるたびに虚しくなる。
これは違う。
ここじゃない。
もっと、どこか。 もっと、本気で。 もっと、壊れるくらいに。
少女のフラストレーションは、少しずつ、しかし確実に溜まっていった。
決定的な夜
その夜のライブは、いつもより人が多かった。
最前列には、いつもの顔ぶれ。 少女の名前を叫ぶ声。 手作りのボード。
歓声は、確かに嬉しい。 でも――
少女は気づいていた。
歌ではなく、見た目に向けられた視線があることを。
曲の途中で飛ぶ、場違いな黄色い声。 歌詞ではなく、仕草に反応する歓声。
「可愛い!」 「その髪型好き!」
違う。
そうじゃない。
少女は、喉の奥に溜まった衝動をそのまま吐き出すように歌った。
ラストの一曲。 マイクスタンドを蹴り飛ばす勢いで、叫び切る。
歓声。拍手。アンコール。
――でも。
ステージを降りた瞬間、空気が変わった。
楽屋に戻るなり、メンバーのひとりが口を開いた。
「今日さ、ちょっと荒れすぎじゃない?」
「荒れてない。普通」
「いや、普通じゃないよ。 客、引いてたやつもいたぞ」
少女は黙らなかった。
「あたし、アイドルやってるつもりないんだけど」
沈黙。
別のメンバーがため息をつく。
「そんなつもりで来てる客ばっかじゃないよ。 応援してくれてる人もいる」
「見た目だけ見て騒ぐやつもいるじゃん」
「でもそれも客だよ。 来てくれる人を敵に回す必要ある?」
どちらの言い分も、間違っていない。
音楽は楽しむもの。 来てくれる人を大切にするのは当たり前。
それもわかっている。
でも。
少女の中では、何かが違っていた。
「あたしは、チヤホヤされたいわけじゃない」
声は低く、震えていない。
「あたしは、本気の音楽やりたい。 全部を壊すくらいの勢いでやりたいんだ」
「破壊なんてしたくない」
「楽しくロックしたいんだ」
「俺たちは、そこまで怒ってない」
怒っていない。
その言葉が、少女の胸をえぐった。
あたしは怒っている。
理由もはっきりしないまま、ずっと。
世間にか、自分にか、過去にか。
わからないけれど、怒っている。
「壊れるのが怖いなら、最初からやらなきゃいい」
楽屋の空気が凍る。
「バンド壊したいのかよ」
「壊れるなら、それまでだよ」
誰も目を合わせない。
全員、本気だった。 ただ、向いている方向が違っただけだ。
少女はギターケースを閉じた。
「あたし、降りる」
「……は?」
「ここじゃない。 あたしの居場所は、ここじゃない」
引き止める声があったかもしれない。 でも少女は振り返らなかった。
ライブハウスの裏口を出ると、夜風が頬を打った。
胸は痛い。
それでも、不思議と後悔はなかった。
燃え尽きたわけじゃない。
むしろ、まだ燃えている。
少女は、ひとり歩き出した。
次に自分が立つ場所を、探すために。
制御できないもの
ライブハウスを飛び出したあと、少女はひとりで夜道を歩いていた。
ネオンはにじみ、アスファルトはやけに黒い。
胸の奥が、まだざわついている。
怒鳴ったせいじゃない。
バンドを辞めたせいでもない。
もっと前からだ。
高校に入ったあたりから、 自分の中に、制御できない何かが芽生えた。
理由はわからない。
怒りなのか。
絶望なのか。
欲望なのか。
名前をつけようとすると、すぐに形が崩れる。
ただ、胸の奥で暴れている。
教室のざわめきも、 笑い声も、 やたらと遠く感じた。
世界が間違っているのか、 自分が間違っているのかもわからない。
その感情を抱えたまま出会ったのが、ロックミュージックだった。
とりわけ、70年代のUKパンク。
荒削りで、短くて、怒っていて、でもどこかユーモアがある。
整っていないのに、真っ直ぐだった。
イヤホン越しに流れてきたその音に、少女は打ち抜かれた。
ああ、ここにも同じものがある。
うまく言えない何かが、 爆音の中で叫んでいる。
真似をして歌ってみた。
自室で、誰もいないときに。
声を張り上げると、 胸の奥のぐちゃぐちゃしたものが、 ほんの少し整列する。
制御できない感情が、 音に変わる瞬間があった。
だから、バンドに入った。
仲間と音を鳴らせば、 あの衝動はもっと大きく、正しく、 世界に向かって放てると思った。
けれど。
いまは、逆だった。
ステージに立つほど、 言葉が丸くなる。
衝動が削られる。
音を合わせるたびに、 自分が薄くなっていく気がした。
メンバーは悪くない。
むしろ優しい。
音楽を楽しもうとしている。
それが、どうしても許せなかった。
少女は立ち止まる。
街灯の下、影が細く伸びる。
このバンドじゃ、わたしは満たされない。
衝動は、まだ暴れている。
むしろ、前より強くなっている。
だったら。
ここじゃない。
ここじゃない場所で、鳴らすしかない。
可愛いって何?
夜道を歩いていると、後ろから同年代くらいの声がした。
「あの子、めっちゃ可愛い」
羨望の声。
振り返らない。
ありがたい言葉のはずだった。
可愛いと言われて、嫌な気持ちになる理由なんてない。
それなのに、胸の奥がざらつく。
なにが可愛いの?
わたしの何を見て言ってるの?
声も、衝動も、怒りも、 さっきまでの決意も、 誰も知らない。
表面だけをすくい上げて、 ラベルを貼られる。
「可愛い」
傲慢だとわかっている。
その一言に苛立つなんて、 贅沢だということもわかっている。
でも、面白くなかった。
自分の内側が、 どんどん小さく扱われる気がした。
少女は歩きながら思う。
この顔で、この体で、生きている限り、 どうしたって見た目で判断される。
だったら。
いっそ、好きにやればいい。
どう見られても構わない。
わたしは、わたしの衝動で生きる。
姿を変える

数日後。
鏡の前で、少女は長い髪にハサミを入れた。
迷いはなかった。
床に落ちる黒い束。
耳が出るほど、いや、それ以上に短くする。
少年と間違われてもおかしくないくらいに。
さらにブリーチを重ね、金色に染める。
耳にいくつかピアスを開ける。
服も変えた。
鋲のついたジャケット、 擦り切れたTシャツ、 重たいブーツ。
鏡の中の自分を見つめる。
可愛い、とはもう言われないかもしれない。
それでいい。
翌日、街を歩く。
すれ違いざまに、誰かが小さく言う。
「あの子、かっこいい」
少女は少しだけ笑う。
可愛いでも、かっこいいでも、 どちらでもいい。
結局、誰かの言葉でしかない。
評価は、通り過ぎていく風みたいなものだ。
自分の中で鳴っている音だけは、 誰にも触れられない。
見た目のことを、考えなくなる。
どう見られるかより、 どう鳴らすか。
どう壊すか。
どう作るか。
それだけでいい。
まっすぐ前を向く。
ひとりでやっていく。
この衝動が消えない限り、 わたしは音を鳴らす。
少女は踏み出した。本人が思っているより、ずっとずっと長い旅へ。

