ここは洋食店「ナツメ」。グラタンが空から降ってきたり、フォークが歩いて逃げたりする、常識の通じない異空間だ。そんな謎めいた店の奥の席に、今日もひとり、不思議な詩人・ナツメが座っていた。そこに現れたのは、こいこと。の情熱担当・ナナ。テーマは「別れを決断するとき」。リアリストの彼女が、混沌の渦に飲み込まれながらも、真剣に語ってくれる──はずだった。
別れ話は、バターライスの上で踊る
「ナツメ、今日のテーマは“別れを決断するとき”なんだけどさ」
ナナがそう言った瞬間、目の前のハンバーグが立ち上がった。手を振って「さよなら」と言ってから、皿から飛び降りて奥の厨房に走り去る。
「……まず店の料理が別れ決断しとるやん」
「そやなぁ、別れっていうのは、グラタンの表面がちょっと焦げるようなもんや。うっかりしてたら、もう真っ黒け。手遅れや」
「グラタン焦げるスピードで恋の話せる!? てかそのグラタン今、空から降ってきてなかった?」
ナツメはすでに、空から落ちてきたグラタンをナイフで真っ二つにしていた。そして断面を見て、うなずく。
「ああ、これな。中身に別れの理由が詰まってんねん」
「占いやん、それ」
「たとえば、温度差。あと、未来への方向性。あと……」
「あと?」
「“お互いの夢の中で飼ってるカピバラの性格が違う”とかやな」
「最後だけ強烈にいらんファンタジー混ぜんな!」
ナナはお冷を飲んで落ち着こうとする。けれど、グラスからはメロンソーダの声が聞こえた。
『この恋、もしかして賞味期限切れてない?』
「アンタが言うな!」
思わずツッコんだナナだが、気づけばナツメがまっすぐに彼女を見ていた。
「なあナナ。ほんまに、別れたほうがええって思う瞬間って、どんなときや?」
珍しくまっすぐな質問に、ナナの笑顔から冗談が抜けていく。
「あたしの場合さ……『この人と一緒にいると、自分を嫌いになりそう』って感じたとき、かな」
ナツメはうなずきながら、バターライスの山にスプーンを立てた。それはまるで、別れの旗のように。
「なるほどな。そら、たとえご飯が美味くても、一緒に食う相手によっては、味変わるもんな」
「……今日の店、味も空間もずっと味変してるけどな」
ふたりの会話は、バターの香りと一緒に、ゆっくりと蒸気のように立ちのぼっていった。
その別れ、ほんまに“終わり”なんか?
「なあナナ、別れ話って、始まりかもしれへんで」
「どの口が言うてんの。グラタンの口か?」
「ちゃう、今しゃべってるのは“別れ話経験済みスープ”や」
テーブルのスープカップが突然震え出し、深いため息をついた。
『好きやけど、しんどいってあるやん……それ、どうしたらええの……』
「しらんがな!」
ナナがつい叫ぶと、ナツメは肩をすくめて言った。
「いやでも実際あるやろ。“好き”と“しんどい”が同居してる恋。別れたほうが楽になるかもしれへんけど、楽になるのが寂しい、みたいな」
ナナは、ふっと笑ってうなずいた。
「あるよ。好きな気持ちがあるから、すぐには別れられない。でも、自分がすり減ってるって気づいてるのに、止まれない」
ナツメは、ナナの前に謎の料理を差し出した。タコライスっぽいけど、明らかにタコがワニの形をしている。
「ほなこれ、“決断ライス”や。食べたらひとつだけ、本音が出る」
「なにそれ…ウソくさ……」
と言いつつナナは、ワニの足の部分をスプーンで取って食べた。
そして、ぽろっと漏れた言葉。
「……あたし、ほんとは弱いのに、強いフリしちゃう」
ナツメは静かにうなずいた。
「恋でボロボロになった自分を見せたくないんやろ」
「……うん。大事な人に、カッコ悪いとこ見せたくなくて。けど、それで壊れた恋もあった」
その瞬間、天井から「自己肯定感ゼリー」がぶら下がってきた。
『ぶらさがってるうちに食べてね』と書かれている。
「ナツメ、ここほんまに何屋なん?」
「洋食屋。あと、心の整理屋でもある」
ナナは思わず吹き出した。そして、少しだけ泣きそうな目でスプーンを握った。
「ありがと。たまには不条理も悪くないわ」
「別れる」って、自分を選ぶことかもしれない
「ほな最後に、これ出しとくわ」
ナツメが両手で掲げたのは、銀色に光る蓋付きのプレート。
「その中身、爆発しないよね……?」
ナナが警戒すると、ナツメはにっこり笑った。
「これは“人生の分かれ道オムライス”や。切った断面が未来に向かってひらくらしい」
「未来に“向かって”じゃなく“ひらく”? それ、どういうことよ」
「知らん。皿がそう言うてる」
――もうナナは突っ込むのも疲れていた。
そっとオムライスをナイフで割ると、中から小さな紙が出てきた。
『恋が終わる時、自分との関係が始まる』
ナナは、それを読んでしばらく黙った。
「……そうかもね。誰かを大事にしようとして、自分を後回しにしてたなって。別れるって、相手を切り捨てることじゃなくて、自分を取り戻すことなのかも」
ナツメは、どこからともなく取り出した万華鏡を覗きながら言った。
「別れはな、“破壊”じゃなく“始まり”にもなる。壊れてまう関係は、きっと本当の自分じゃ持ちこたえられへん関係やったんかもしれん」
ナナはうなずいた。
「わかった。次の恋は、もっと素直に、ちゃんと自分でいく」
その瞬間、洋食ナツメの壁が一面、本棚に変わった。
「なにこれ……」
「この店、気づいたことがある人しか出られへんから」
「出られない店なの!?」
「けど大丈夫、ナナはもう出口に気づいた。自分を選んだ人間は、もう迷わへん」
そう言ってナツメが指差すと、グラタン皿の奥が光り始める。
「……出口、そっち!?」
ナナは笑って、光のほうへ歩き出した。
――たとえ出口が不条理でも、自分の足で選んだなら、そこは“前に進む道”なのかもしれない。
まとめ──別れは、不条理でも大切な選択
洋食ナツメのように、恋の終わりも予測不能で、不条理で、時には笑えるほどわけがわからない。
でも、その中にも「自分を選ぶ」という大切な感情が隠れている。
ナナはナツメの不思議ワールドに巻き込まれながら、気づいた。
──別れるって、自分を見つけることかもしれない。
人は誰かと関係を築く中で、どこかで“自分らしさ”を手放すこともある。けれど、それに気づいて、自分を取り戻す選択ができたら。
それは立派な第一歩。
ナツメの洋食店のように、出口はどこにあるかわからないけれど。
自分の足で選んだ先なら、きっとそこは「次の物語の入口」なんだと思う。