【AI】普通ってなんだ?誰が決めた?謎の詩人とワニと一緒に考えてみた!【座談会】

編集部:
今日のテーマは「“普通”って誰が決めた?」です。
よく使う言葉なのに、人によって意味が違う“普通”。
恋愛、生活、考え方…あらゆる場面で出てくるけど、本当にそれって共通の基準があるんでしょうか?
今回はナツメ、ミカコ、ソウタ、ワニオの4人に語ってもらいます。

ナツメ:
“普通”っちゅうんはな、水面に映った空みたいなもんや。
見とる角度で色も形も変わる。そやけど、みんな「それが空や」言うて疑わん。
ほんまは流れに合わせて揺れてるだけやのにな。

ミカコ:
…出たよ、謎スタート(笑)でも確かに、同じものを見ても人によって“普通”は違うよね。
私は単純に「多数派がやってること」が普通って思ってるけど、それも完全じゃないし。

ソウタ:
え、“普通”って…朝ごはんにご飯かパンか迷うときのやつじゃないの?
みんな同じじゃないけど、なんかそれっぽくまとまる…みたいな。

ワニオ:
定義的には、“統計的多数が採用している行動や価値観”といえます。
しかし実際には、環境や時代によって変動しますし、そもそも多数が正しいとも限らない。
ぼくは恋愛に興味がないので、それだけで既に多くの場面で「普通じゃない」扱いですからね。

編集部:
それぞれの“普通”のとらえ方、すでにかなり温度差がありますね。
ではまず、「そもそも“普通”って何?」から掘り下げていきましょう。

目次

そもそも“普通”って何?

編集部:
ではまず、“普通”の意味をみんなにとってどう感じているか、聞かせてください。

ナツメ:
“普通”いうんはな…たとえば、道端にスイカ置いてあったとしてやな。
大半の人は「誰か忘れたんやな」とか「売り物かも」と思うやろ。
でもワシはまず、「このスイカ、夜になったら歩き出すんちゃうか?」って考える。
ほんで気になって30分くらい待つねん。
――この時点で、もう世間の“普通”から外れとるんやろな。

ミカコ:
……いや、完全に外れてる(笑) でも、そうやって疑う視点って大事かも。“普通”って、多数派の行動を基準にしてるだけで、それが真実とは限らないし。

ソウタ:
俺は逆に、あんまり考えないかな。“普通”って…人がやってるから自分もやってる、みたいな。
なんか流れに乗ってる方が楽なときってあるし。 でも、スイカは…多分俺も食べちゃうな。

ワニオ:
普通とは「基準値」だとぼくは思います。 たとえば健康診断の正常値のように、一定の範囲内であれば“普通”と呼ばれる。 しかし、基準が違えば数値も変わる。 つまり、誰が測るかによって“普通”は常に揺らぐんです。

ナツメ:
ほな、測るモンが変わったら、ワシのスイカ待ちも“普通”に分類される日が来るかもしれんな。
その時のために、次はパイナップルも並べとくか…。

ミカコ:
もう“普通”の定義を混乱させるのやめて(笑) でも、そうやって少数派の感覚も混ざることで、“普通”って少しずつ形を変えるのかもしれないね。

自分が“普通じゃない”と感じた瞬間

編集部:
では次に、みんなが「自分は“普通”じゃないかも」と感じた出来事を教えてください。
小さなことでも大歓迎です。

ナツメ:
ワシはな、電車のホームで風向きチェックする癖があるねん。
白いビニール袋をポケットから出して、ふわっと広げて、風に泳がして…「今日は西やな、知らんけど」って言う。
そんで、風上の車両に乗る。理由? ないで。気分や。
この前それやってたら駅員さんに「大丈夫ですか」って聞かれて、ワシも思ったわ。大丈夫かどうかの“普通”、どこやねんって。

ミカコ:
……それは“普通じゃない”というか、ちょっとした儀式(笑)
私はもっと日常的なやつ。たとえば飲み会の「とりあえず生」。
あれを断るとき、「空気読めない」って言われがちなんだけど、
私はお酒弱いし、そもそも炭酸は最初に飲むとお腹が苦しくなる。
だから「最初はウーロンで、そのあとゆっくり梅酒」ってルーティンにしてる。
“普通”に合わせると体調が崩れるなら、合わせないのが合理的。
…と言うと、急に“普通じゃない人”みたいに見えるのが面白いよね。

ソウタ:
ぼくは、好きな道がある。遠回りなんだけど、夕方になるとパン屋さんの匂いがする細い道で、
その匂いを吸いたくて、わざわざそっちを歩く。
「え、最短のほうが良くない?」って言われるけど、匂いのためなら遠回りしても満足なんだよね。
だから、効率だけで動けないときに、「あ、ぼくの普通は少数派かも」って思う。

ワニオ:
ぼくは、恋愛に興味がありません。
この一点で、多くの場面で「普通じゃない」扱いを受けます。
ただ、興味がないものに興味がないというだけで、人格の欠落と解釈されることがある。
そこで学んだのは、「多数派の感情が“普通”の座標を決めている」という事実です。
座標が動くなら、ぼくは地図を持たずに歩くほうが楽だな、と思っています。

ナツメ:
座標の話ええな。ワシは地図読むとき、わざと90度回してから見るで。
そしたら道が急に迷路みたいに見えて、楽しいねん。
「迷ったら困るやろ」って言われるけど、困るために回してるから正解や。
――この辺がたぶんワシの“普通じゃなさ”のコアやな。困りに行くタイプ。

ミカコ:
困りに行くの、能動的すぎ(笑)
私の場合は、仕事の会議で“雑談が長い”と落ち着かない。
雑談も必要なのはわかるけど、30分以上続くと「目的に対して効果が薄い時間」って脳が判断しちゃう。
で、アジェンダを勝手に作って整理を始める。
すると「空気が読めない」って言われる。
でもその後「助かった」って言われることもあるから、普通かどうかは、結局“結果”次第なのかもね。

ソウタ:
あ、ぼくも会議で“窓の外の雲を見てしまう”っていうのがある。
怒られるやつだと思うけど、雲って、見てると考えが整うんだよね。
メモより雲、みたいな。
でもちゃんと最後は発言するよ。「それ、いいと思います」って。
…内容、薄いな(笑)

ミカコ:
誠実に自覚してて好感度が上がるタイプ(笑)

ワニオ:
もう一つ。
ぼくは「みんなで同じもので乾杯する」という慣習に参加できません。
胃の調子が悪いときは温かいお茶が最適であり、そこに合わせる必要性がわからないからです。
ただ、写真を撮る人たちにとって、同じグラスのほうが“映える”と学んだので、
最近は乾杯だけ同じグラスを持ち、その後で静かにすり替える方法にアップデートしました。
これは、ぼくなりの“普通との和解”です。

ナツメ:
アップデート言うのが渋いな。
ワシは逆に、“普通”のほうをそっとズラす癖がある。
この前、友達の家で流しそうめんしたんやけど、
途中からビー玉流し始めたら、みんな「え?」ってなって、
3分後にはビー玉回収ゲームが始まってた。
――“普通”は脆い。けど、壊すと新しい普通ができる。

ミカコ:
それは“普通じゃない”を超えて、“発明”の領域(笑)
でも確かに、「普通じゃない」を一人がやるとノイズだけど、二人、三人と乗ると“新しい遊び”に変わるよね。

ソウタ:
うん、“普通じゃない”って、同時に“未来の普通”かもしれない。
最初にやる人は、だいたい怒られるけど…。

ミカコ:
怒られる前提なのが、もう普通じゃない思考(笑)
でも、ここまで話して思うのは、「自分の体調や価値観を守るために“普通”から外れる」は、十分合理的ってこと。
その選択の伝え方さえ丁寧なら、周囲とも摩擦は最小限にできる。

ワニオ:
ええ。多数派に合わせることが“普通”であるなら、
自分の状態を観察して別の選択をするのは“自分にとっての普通”を再定義する行為です。
ぼくはそれを、わりと静かにやっています。

ナツメ:
静かに再定義、ええやん。
ワシは派手に再定義してしまうけどな。
――よし、次はスイカにタコ糸つけて、空に飛ばしてみよか。
落ちてきたら、“普通”がどっかで微笑む気がするわ。

ソウタ:
それは…危ないからやめとこ(笑)

編集部:
“普通じゃない”と感じた瞬間から、それぞれの“和解の仕方”まで出てきましたね。
続いては、“普通”を守るべきか、壊すべきか
みんなの立場をはっきりさせていきましょう。

“普通”を守るべきか、壊すべきか

編集部:
ここまでで、みんなの“普通”に対する距離感が見えてきました。
では改めて、“普通”は守ったほうがいいのか、それとも壊していくべきなのか、意見を聞かせてください。

ナツメ:
ワシはな、“普通”は壊れてからが本番やと思っとる。
壊す前の“普通”は、ただの安心毛布や。
ずっとくるまっとったらぬくいけど、外の風も知らんままや。
毛布を破ってみたら、案外ええ風が吹いとるかもしれん。
…まぁ、たまに台風も混じっとるけどな。
でもその刺激も込みで、生きてる感じがするんや。

ミカコ:
私は、壊すこと自体は悪くないと思うけど、
“普通”って社会の交通ルールみたいなものでもあるから、
壊すにしても他人を巻き込まない形がベストだと思う。
たとえばファッションとか生き方は自由だけど、
安全に関わるルールは崩さないほうがいい…みたいにね。

ソウタ:
俺は…どっちでもいい派かな。
守って安心できるなら守ればいいし、
壊してワクワクできるなら壊せばいい。
でも、自分が楽しんでることが、
相手にとってはしんどい場合もあるから、そこだけ気をつける。
普通かどうかより、その場の空気が明るいほうが好きだな。

ワニオ:
ぼくは“普通”を守ることは安全策だと考えています。
しかし同時に、進化を阻む要因にもなる。
新しい発明や文化は、多くの場合“普通じゃない”から始まります。
ですから、完全に守るか完全に壊すかではなく、
必要な場面でだけ静かに外れる、という中庸が良いのではないかと。

ナツメ:
中庸なぁ…ワシは真ん中歩いてるつもりでも、
気づいたら崖の端っこで片足ぶら下げとることあるからな。
せやけど、そのギリギリでしか見えへん景色もあるんやで。

ミカコ:
それを聞くと、やっぱりナツメは壊す側の人だよね(笑)
でもその景色を見せてもらえる人は、少数派だけど得してるのかも。

ソウタ:
崖の端っこは怖いけど、景色は見たいなあ…。
ナツメさん、今度安全な崖に連れてってください(笑)

ナツメ:
安全な崖…その時点で矛盾やな。
せやけど、まぁええか。景色は保証するわ。

ワニオ:
結局、ぼくらが話している“普通”は、固定されたものではないということですね。
守るか壊すかの二択ではなく、必要に応じて形を変えていくのが現実的だと思います。

編集部:
では最後に、今回のテーマからそれぞれの答えをひと言ずつまとめてもらいましょう。

まとめ:“普通”は誰が決めた?

ナツメ:
“普通”はな、誰かが勝手に置いてった石ころや。
踏んでもええし、避けてもええし、拾って投げてもええ。
ただ、石のおかげで秩序が生まれることもある…そんなもんやと思うで。

ミカコ:
私は、“普通”は多数派の安心感を形にしたもの。
守ることも壊すことも、それぞれのメリットがあるから、
自分と周囲のバランスを見ながら選んでいけばいいと思う。

ソウタ:
俺にとっての“普通”は、
毎日ちょっと笑えることや、気持ちいいことを入れていく感じ。
人と違っても、それが自分にとっての“普通”ならOK。

ワニオ:
ぼくは、“普通”は環境によって常に変動する座標だと考えます。
その座標に合わせることも、外れることも、どちらも選択可能です。
重要なのは、合わせる理由と外れる理由を、自分で理解していることです。

編集部:
今日の話を聞いていると、“普通”は固定された真理ではなく、
人や状況によっていくらでも変わる流動的なものだと感じます。
安心をくれるときもあれば、窮屈さを感じさせることもある。
守るのも壊すのも、結局は自分がどうしたいか次第。
あなたは、自分の“普通”を、誰が決めていますか?

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