編集部で、ケンジの記事を読んだ
編集部の昼下がり。キーボードの音だけが静かに続いている中で、僕はケンジさんの記事を読んでいた。
タイトルからして強い。開いた瞬間に分かる。これは、読んだ人の胸にちゃんと跡が残るやつだ。
「……うわ」
声が漏れた。
一文目で持っていかれる。二文目で胸を掴まれる。三文目で、「あ、これは保存だな」と思う。
スクロールする指が、だんだん遅くなる。
読むスピードが落ちたんじゃない。打ちのめされるスピードが上がった。
文章に無駄がない。熱がある。でも説教くさくない。経験がにじんでるのに、押しつけがましくない。
ずるい。
僕は自分の記事の管理画面を、そっと開いた。
……悪くはない。悪くはないんだ。
でも、ケンジさんの記事を読んだ直後だと、僕の文章は急に「きれいな教科書」みたいに見えてしまう。
「真面目だなぁ……」
誰に言うでもなく呟いた。
面白さの爆発はない。人生の凄みもない。ただ、ちゃんとしている。ちゃんとしすぎている。
ふと顔を上げると、ケンジさんは向こうの席でコーヒーを飲みながら、まったく関係ないニュースを読んでいた。
あの人、自分がどれだけ刺さる文章を書いてるか、たぶん自覚してない。
「……いや、あるだろ。絶対あるだろ」
僕は心の中でツッコミを入れて、また画面に戻った。
最後まで読み終えて、深く息を吐く。
尊敬と、ちょっとの嫉妬。
そのふたつが混ざると、どうして人は妙に疲れるんだろう。
「今日は、誠実めしが必要だな」
僕はパソコンを閉じた。
才能の差を考える前に、とりあえずバターを焦がそう。
尊敬と劣等感は、だいたいセットでやってくる
帰り道、やけに足取りが重かった。
ケンジさんに何か言われたわけじゃない。むしろ、いつも通りだ。あの人は基本的に優しいし、押しつけがましいことは言わない。
それでも、胸の奥がちくちくする。
「すごいなぁ」で終われない自分がいる。
尊敬している。ほんとうにしている。
でも、その尊敬のすぐ横に、「ああはなれないかもしれない」という声が、ちゃっかり座っている。
めんどくさい感情だ。
僕は真面目だ。自覚はある。下調べもするし、裏も取るし、読者に誤解を与えないように何度も推敲する。
でも、ケンジさんの記事は、そういう「努力の跡」みたいなものが見えない。
自然体で、ちゃんと刺さる。
ずるい。二回目だけど、やっぱりずるい。
家に着いて、ソファに倒れ込む。
スマホを開き、もう一度記事を読み直してしまう自分がいる。何度読んでも、やっぱりいい。
「……いや、別に負けたわけじゃないだろ」
誰も勝負していないのに、勝手に負けた気になっている。
落ち込むほどの差なんて、もしかしたらないのかもしれない。
それでも、僕の中では大差だ。
こういう日は、何もしないとぐるぐる考え続ける。
だからこそ、手を動かす。
ただ足さない料理じゃなくて、今日は少しだけ、ひと手間かける。
落ち込んでいる自分に、ちゃんと手間をかけるみたいに。
今日の誠実めし|焦がしバター醤油の鶏ももステーキ
今日は、逃げない。
「どうせ自分なんて」とか、「比べても仕方ない」とか、そういう便利な言葉で丸め込まない。
ちゃんと落ち込んで、ちゃんと立て直す。
だから今日は、少しだけ手間をかける料理にする。
鶏もも肉のステーキ。
でも、ただ焼くだけじゃない。
最後に、バターを焦がして、醤油をひと回し。
香りで一気に仕上げる。
努力は見えなくていい。
でも、最後のひと手間で、ちゃんと変わる。
そんな料理にする。
ちゃんと焼く、ちゃんと待つ

鶏もも肉は、室温に戻してから塩を振る。
ここで焦らない。
フライパンに油をひいて、皮目から焼く。
弱めの中火で、じっと待つ。
じゅう、と音がする。
皮がゆっくり縮み、脂がにじむ。
触らない。いじらない。
ひっくり返すタイミングを、ちゃんと待つ。
これ、わりと大事だと思う。
焦ると、皮はパリッとならない。
裏返して、火を少し落とす。
蓋をして蒸し焼きにする。
火を通しながら、頭の中を整理する。
「すごい人を見て落ち込むのは、たぶん悪いことじゃない」
悔しいってことは、ああなりたいってことだ。
火が通ったら、一度肉を取り出す。
フライパンに残った脂に、バターを落とす。
じわっと溶けて、少し茶色くなる。
そこに、醤油をひと回し。
一瞬、強い香りが立ちのぼる。
焦がしバター醤油の匂い。
そのソースを、肉にかける。
ただ焼くだけより、明らかに深みが出る。
宅麺.com誠実めしメモ
・鶏もも肉は室温に戻してから焼く
・皮目は触らず、じっくり焼く(弱め中火)
・火を通すときは蓋を使って蒸し焼き
・最後にバターを少量(10g程度)溶かし、軽く色づいたら醤油小さじ1ほど
・焦がしすぎない。香りが立った瞬間で止める
ポイントは「最後のひと手間」。
手間は派手じゃなくていい。
でも、確実に味は変わる。
実食|ちゃんと手をかけた味がする
皿に盛る。
見た目は、わりと普通だ。
でも、バター醤油の香りがちゃんと立っている。
ひと口かじる。
皮はパリッとしていて、中はやわらかい。
焦がしバターのコクが、あとからふわっと広がる。
ああ、これだなと思う。
ただ塩で焼いた鶏肉でも、きっと美味しかった。
でも、このひと手間があるかないかで、満足感が違う。
努力って、たぶんこういうものだ。
見えなくてもいい。
でも、やった分だけ、確実に味は変わる。
ケンジさんの記事は、きっと長年の積み重ねがあって、あの自然さがある。
僕はまだ、焦がしバターを入れるタイミングを探っている途中だ。
でも、それでいいのかもしれない。
創業85年京都ニシダやのお真心を込めて漬け込んだ伝統の味【京つけもの ニシダや】比べるより、手を動かす
落ち込んだ気持ちが、完全に消えたわけじゃない。
たぶん、明日もまた「すごいなぁ」と思うだろう。
でも、さっきよりはちゃんと立っている。
尊敬する人がいるってことは、目標があるってことだ。
それを劣等感だけで終わらせるのは、ちょっともったいない。
「よし、次の記事はもう一段ちゃんとやろう」
誰にも宣言しないけど、そう決める。
勝ち負けじゃない。
比べるより、手を動かす。
今日は、ちゃんと手間をかけた。
それだけで、少し誇らしい。

