むかし。
空を飛ぶ国があった。
人には、 みんな翼があった。
道はなく、 橋もなかった。
空が、 道だった。
春になると、 花の谷へ飛んだ。
夏は、 涼しい山へ。
秋は、 実りの森へ。
冬は、 暖かな海辺へ。
季節が変わるたび、 国じゅうが空を旅した。
虹色の猫ナツメは、 空を見上げた。
「ええ景色やな」
「空が道路なんや」
ワニオは、 小さくうなずく。
「はい。」
「信号もございません。」
空には、 何百人もの人が飛んでいた。
渡り鳥の群れみたいだった。
そのとき。
ナツメは、 一つだけ変な景色を見つけた。
「あれ?」
「誰か抱えて飛んどる。」
四人の大人が、 一人の少女を抱えて飛んでいた。
少女にも、 翼はあった。
けれど、 羽ばたかなかった。
「飛べへんの?」
ワニオは、 少女を見上げる。
「ガラスの翼です。」
「飛ぶと、 割れてしまいます。」
ナツメは、 少し驚いた。
「ほな毎年どうするん?」
「抱えて飛びます。」
ちょうど、 少女を抱えていた青年が笑った。
「疲れた人、交代ー!」
「次、俺が持つ!」
別の人が、 自然に前へ出る。
少女は、 少し照れながら笑った。
「ありがとう。」
誰も、 嫌な顔はしなかった。
ナツメも笑う。
「ええ国やな。」
ワニオは、 静かに空を見上げた。
「はい。」
「翼は。」
「飛ぶためだけのものではありませんので。」
平等という提案

ガラスの翼の人は、 珍しくなかった。
けれど、 多くもなかった。
毎年。
季節が変わるたび、 誰かが抱えて飛んだ。
今年は、 あの人。
来年は、 この人。
みんなで少しずつ、 翼を貸し合った。
ナツメは笑う。
「順番なんやな」
ワニオは、 うなずいた。
「はい。」
「一人では大変ですので。」
「みんなで運びます。」
ある春の日。
広場に、 たくさんの人が集まった。
一人の男が、 高い台へ立つ。
男は言った。
「この国は優しい。」
「ですが。」
「本当に平等でしょうか。」
広場が静かになる。
男は続けた。
「飛べる人だけが飛ぶ。」
「飛べない人は、 運ばれる。」
「これでは、 同じではありません。」
誰かが、 うなずいた。
また一人。
また一人。
男は、 両手を広げる。
「誰も飛ばなければ。」
「みんな同じです。」
拍手が起こった。
少しずつ。
少しずつ。
やがて、 広場中へ広がった。
ナツメは、 首をかしげる。
「優しい話……なんかな?」
ワニオは、 拍手する人たちを見つめた。
「優しさだと思っている方は。」
「多いでしょうね。」
そのとき。
ガラスの翼の少女が、 小さく手を挙げた。
「あの……」
誰も、 気づかなかった。
拍手の音だけが、 広場に響いていた。
翼を切る日

数日後。
国中に、 知らせが届いた。
「平等の日」
その日。
人々は、 広場へ集まった。
大人も。
子どもも。
翼を広げる。
男は、 笑顔で言った。
「今日から。」
「誰も飛びません。」
「みんな歩きます。」
拍手が起こる。
ナツメは、 少し不思議そうだった。
「歩くん?」
ワニオは、 静かにうなずく。
「はい。」
「皆さま、 ご自分で翼を切られます。」
やがて。
広場のあちこちで、 翼が地面へ落ち始めた。
白い翼。
黒い翼。
大きな翼。
小さな翼。
空を飛んできた翼が、 静かに地面を埋めていく。
ナツメは、 翼を見つめた。
「もったいないな」
誰も、 泣かなかった。
誰も、 迷わなかった。
「これで平等。」
「これで同じ。」
そんな声が、 あちこちから聞こえた。
ナツメは、 ガラスの翼の少女を探した。
少女は、 人混みの後ろにいた。
笑っていた。
けれど。
少しだけ、 寂しそうにも見えた。
ナツメは近づく。
「よかったやん。」
「これでみんな一緒や。」
少女は、 少し黙った。
それから、 小さく笑う。
「……うん。」
その返事は、 風に流された。
ワニオは、 空を見上げる。
さっきまで、 鳥のように人が飛んでいた空。
今は、 何も飛んでいなかった。
「静かですね。」
ナツメも、 空を見上げる。
「なんか。」
「空が広なったな。」
飛ばなくなった国

春が終わった。
花は咲いた。
けれど、 誰も花の谷へは行かなかった。
遠すぎた。
夏が来た。
山は涼しかった。
けれど、 誰も山へは行けなかった。
歩いてでは、 間に合わなかった。
ナツメは、 汗をぬぐう。
「あっつ……」
ワニオは、 空を見上げた。
「昔なら。」
「もう山へ着いております。」
秋が来た。
森には、 木の実が実った。
誰も、 取りに行けなかった。
冬が来た。
暖かな海辺は、 遠かった。
雪だけが、 静かに積もった。
ナツメは、 震えながら聞く。
「なんで誰も飛ばんの?」
ワニオは、 落ちた翼を見つめる。
「ございませんので。」
「もう飛べません。」
その年。
旅をする人は、 一人もいなくなった。
次の年も。
また次の年も。
やがて、 子どもたちは言うようになった。
「人って。」
「歩く生き物でしょ?」
大人たちは、 うなずいた。
誰も、 空を見なくなった。
ナツメだけが、 夕焼けを見上げる。
空は、 あの日と同じだった。
変わったのは、 空ではなかった。
空を飛ぶ人が、 いなくなっただけだった。
ナツメは、 ぽつりと言う。
「静かやな。」
ワニオは、 少し間を置いて答えた。
「便利なものほど。」
「失ってから気づきます。」
ガラスの翼

春。
花は咲いた。
誰も、 見に行かなかった。
夏。
山は涼しかった。
誰も、 登らなかった。
冬。
海辺は暖かかった。
誰も、 歩かなかった。
旅は、 国から消えた。
ある夕暮れ。
ナツメは、 ガラスの翼の少女を見つけた。
少女は、 切り落とされた翼を見つめていた。
透明な翼だけは、 誰にも切られていなかった。
切る必要が、 なかったから。
ナツメは、 隣に座る。
「元気ないな。」
少女は、 少し笑った。
「うん。」
しばらく、 風だけが吹いた。
やがて少女は、 小さくつぶやく。
「わたしね。」
「みんなに。」
「飛べなくなってほしかったわけじゃない。」
ナツメは、 黙って聞く。
少女は、 空を見る。
「少しだけ。」
「重い日があっただけ。」
「少しだけ。」
「一緒に飛んでほしかっただけ。」
「それだけだった。」
ナツメは、 何も言えなかった。
ワニオも、 静かに空を見上げる。
そこには、 誰も飛んでいなかった。
風だけが、 昔の道を通り過ぎていった。
翼の使い道

春になった。
空には、 渡り鳥が飛んでいた。
子どもが、 空を見上げる。
「鳥って。」
「いいなぁ。」
「飛べて。」
隣にいた老人は、 少し笑った。
「昔は。」
「人も飛んでいたんだよ。」
子どもは驚く。
「ほんと?」
「なんで飛ばなくなったの?」
老人は、 少し困った顔をした。
「優しくなろうとしたんだ。」
子どもは、 首をかしげる。
「優しいのに。」
「飛べなくなるの?」
老人は、 答えられなかった。
少し離れた場所で、 ナツメが空を見ていた。
虹色のしっぽが、 風に揺れる。
「なあ。」
「翼って。」
「飛ぶためにあったんかな。」
ワニオは、 渡り鳥を見つめる。
そして、 静かに答えた。
「いいえ。」
「誰かを。」
「運ぶためにあったのだと思います。」
ナツメは、 何も言わなかった。
空を見上げる。
青く、 広い空。
道は、 今もそこにあった。
ただ。
もう、 誰も飛ばなかった。

