ナツメ式|人生レンタルショップ

晴れていた。

風もほどよい。

散歩にはちょうどいい日だった。

虹色の猫ナツメは、 いつものように知らない道を歩いていた。

「知っとる道は」

「だいたい知っとるからな」

知らない道の方が、 何かが落ちている。

そんな気がしていた。

曲がり角をひとつ。

もうひとつ。

古い商店街の外れで、 一軒の店を見つけた。

看板は木製。

少し傾いている。

字もかすれていた。

それでも読めた。

『人生レンタルショップ』

ナツメは立ち止まる。

「人生まで貸し始めたんか」

看板の下には、 小さな札がぶら下がっていた。

『一日からレンタルできます』

『延長可』

『返却期限厳守』

ナツメは首をかしげる。

「延長するやつおるんか」

扉を開ける。

チリン。

鈴が鳴る。

店の中は、 図書館みたいだった。

棚がずらりと並んでいる。

本ではない。

人生だった。

透明なケースに入っている。

ラベルが貼られていた。

『会社員 三十二年』

『世界一周経験者』

『パン屋』

『恋愛体質』

『独身主義』

『双子の姉』

『ミュージシャン』

人生が、 本みたいに並んでいた。

ナツメは、 一つ手に取る。

少し重かった。

「人生にも重さあるんやな」

奥から、 聞き慣れた声がする。

「いらっしゃいませ」

ワニオだった。

今日は店員だった。

紺色のエプロンを着ている。

名札まで付いていた。

『店長』

ナツメは笑う。

「また店始めたんか」

ワニオは丁寧に頭を下げる。

「人生は一つしかありませんので」

「たまには他の人生も体験していただこうかと」

ナツメは棚を見回した。

どれも、 少し気になる。

どれも、 少し怖い。

「借りたらどうなるん」

ワニオは答えた。

「一日だけ」

「その人として生きられます」

「景色も」

「悩みも」

「嬉しさも」

「全部込みです」

ナツメは小さく笑った。

「お試しセットやな」

そのとき、 入口のベルが鳴った。

チリン。

最初のお客さんだった。

ミサキである。

店内を見回すなり、 棚からひとつの人生を手に取った。

ラベルには、 こう書かれていた。

『ソウタ』

ナツメは嫌な予感しかしなかった。

目次

ミサキ、ソウタの人生を借りる

ソウタの人生をレンタルするミサキ。

ミサキは、 迷わなかった。

『ソウタ』

その人生を持って、 レジへ向かう。

ワニオは確認した。

「こちらでよろしいでしょうか」

ミサキはうなずく。

「恋愛ばっかりしてる人生って、一度くらい体験してみたいじゃない」

ワニオは、 静かに言った。

「返品はできます」

「記憶は残ります」

「感情も多少残ります」

ミサキは笑う。

「楽しそうね」

ワニオは、 少しだけ間を置いた。

「そう思われる方は多いです」

次の瞬間、 店内の景色が溶けた。

世界が変わる。

ミサキは、 ソウタになっていた。

鏡を見る。

「へぇ」

「結構かわいい顔してるじゃない」

そのときだった。

向こうから女性が歩いてくる。

ミサキは一瞬で息をのんだ。

胸が高鳴る。

鼓動が速い。

理由は分からない。

ただ、 好きだった。

「え?」

「何これ」

女性は、 普通に通り過ぎていく。

目も合わない。

会話もない。

それだけなのに、 胸がいっぱいになる。

五分後。

その女性は、 恋人らしき男性と手をつないで歩いていた。

ミサキは立ち止まる。

「あ……」

胸が痛い。

思わず空を見上げる。

「終わった」

まだ十分も経っていない。

恋が始まり、 終わっていた。

さらに二十分後。

本屋で、 別の女性とすれ違う。

また胸が鳴る。

「嘘でしょ」

「また?」

その人は笑っていた。

それだけで、 今日が特別な日に思えた。

ナツメは店の窓から、 その様子を眺めている。

「忙しいやっちゃな」

ワニオは帳簿をめくる。

「ソウタさんの人生は」

「恋愛感情の回転率が高めです」

夕方。

レンタル時間が終わる。

店へ戻ったミサキは、 ぐったりしていた。

椅子に座る。

深いため息。

「疲れた……」

ナツメは笑う。

「恋愛体質いうんは」

「もっと楽しそうやと思っとった」

ミサキは首を振る。

「全然違った」

「恋って、落ち着かないのね」

「景色が変わるたびに心まで動く」

ワニオは静かに言った。

「それも人生です」

ミサキは、 棚に戻された『ソウタ』のケースを見つめる。

さっきまでより、 少し重そうに見えた。

「返すわ」

「私は私で十分」

ワニオはケースを受け取る。

「ありがとうございます」

「また気が向いたらお越しください」

そのとき、 店の扉が開いた。

チリン。

今度は、 本物のソウタだった。

棚を見回すなり、 目を輝かせる。

「わぁ〜!」

「ミサキさんの人生、借りてみたい!」

ナツメは、 頭を抱えた。

「絶対そうなる思うた」

ソウタ、ミサキの人生を借りる

ミサキの人生を借りたソウタ。注目を集めてしんどい。

ソウタは、 目を輝かせていた。

棚には、 無数の人生が並んでいる。

でも、 迷わなかった。

『ミサキ』

そのケースを、 大事そうに抱える。

「いいなぁ〜」

「美人ってどんな感じなんだろ」

ワニオは確認する。

「こちらでよろしいでしょうか」

ソウタは満面の笑みだった。

「お願いします!」

ナツメは小さくつぶやく。

「さっきも見た流れやな」

世界が溶ける。

気づくと、 ソウタはミサキになっていた。

鏡を見る。

思わず声が漏れる。

「きれい……」

「これ毎日?」

歩くだけで、 景色が違った。

道ですれ違う人が振り返る。

店員の笑顔も少し違う。

カフェへ入る。

店員が少し緊張している。

「ご注文は……」

ソウタは照れる。

「なんかすごいね〜」

十分後。

男性に声をかけられる。

「よかったら、お茶でも」

丁寧に断る。

また歩く。

五分後。

また声をかけられる。

さらに十分後。

今度は、 女性二人がこちらを見る。

小さな声。

笑っている。

何を話しているのかは分からない。

でも、 少し気になった。

夕方。

仕事の打ち合わせ。

まだ何も話していない。

それなのに、 周りが期待している。

「ミサキさんなら大丈夫ですよね」

「きっとできますよね」

ソウタは戸惑う。

「えっと……」

「まだ何も言ってないけど」

誰も気づかない。

期待だけが、 先に歩いていく。

夜。

レンタル時間が終わる。

店へ戻ったソウタは、 静かだった。

朝とは別人みたいだった。

ナツメは聞く。

「どうやった」

ソウタは少し笑う。

「最初はね」

「夢みたいだった」

少し間を置く。

「でも」

「ずっと誰かに見られてる感じがした」

「期待されるって、結構疲れるね〜」

店の奥で、 ミサキが腕を組む。

少し照れくさそうだった。

「まあ、そういう日もあるわね」

ソウタは、 『ミサキ』と書かれたケースを棚へ戻す。

さっきまで憧れていた人生。

でも今は、 少し違って見えた。

「返します」

「やっぱり僕は僕でいいや」

ワニオは、 ケースを受け取りながら言う。

「人気商品ほど」

「見えない重さがあります」

ナツメは、 棚に並ぶ人生を眺めた。

どれも、 外から見ると面白そうだった。

でも、 中に入ると違う。

そのとき、 ナナが店へ入ってきた。

チリン。

棚を一周して、 あるケースの前で止まる。

ラベル。

『ワニオ』

ナナは笑った。

「恋愛しない人生って、一回くらい体験してみたいじゃない?」

ワニオは、 静かに会員カードを用意していた。

ナナ、ワニオの人生を借りる

ワニオの人生を借りるナナ。暇だけど悪くない。

ナナは、 迷いなくケースを手に取った。

『ワニオ』

ケースの中は、 妙に軽かった。

ナナは笑う。

「恋愛もしない」

「失恋もしない」

「こんな人生、気楽そうじゃない」

ワニオは、 丁寧に頭を下げた。

「ご利用ありがとうございます」

「退屈でしたら申し訳ありません」

ナツメは小さく笑う。

「先に謝っとる」

世界が、 ゆっくり溶ける。

次の瞬間。

ナナは、 ワニオになっていた。

最初の一時間。

公園へ行く。

池を見る。

鴨が泳いでいる。

ワニオの心が動く。

「あ」

「昨日より二羽増えています」

ナナは首をかしげた。

「それだけ?」

昼。

ベンチへ座る。

風が吹く。

葉っぱが一枚、 膝に落ちる。

ワニオの心が、 少し嬉しくなる。

「秋が近いですね」

ナナは空を見る。

「……暇ね」

午後。

喫茶店。

コーヒーを飲む。

三十分。

窓の外を見る。

四十分。

まだ見ている。

ナナは、 そわそわしてきた。

「誰か誘おうよ」

心の中のワニオが答える。

「今日は鳩が来ますので」

十分後。

本当に鳩が来た。

ナナは驚いた。

「来た!」

ワニオの心は、 少し嬉しかった。

それだけだった。

夕方。

帰り道。

子どもが転ぶ。

泣きそうになる。

ワニオは近づく。

子どもは立ち上がる。

泣かなかった。

ワニオの心が、 少し温かくなる。

「よかったですね」

ナナは、 その温かさを感じた。

派手ではない。

でも、 ちゃんと嬉しい。

レンタル終了。

店へ戻る。

ナナは、 ケースを棚へ戻した。

「返すわ」

ナツメは笑う。

「暇やったか」

ナナは少し考えた。

「うん」

「暇だった」

少し間を置く。

「でも」

「退屈じゃなかった」

店の中が静かになる。

ナツメも、 ワニオを見る。

ワニオは少し照れくさそうだった。

「私の人生は」

「大きな出来事は少ないです」

「その代わり」

「小さな出来事がよく見えます」

ナナは笑った。

「なるほどね」

「人生って、派手さだけじゃないのね」

そのとき、 店の一番奥から、 青年が現れた。

リクだった。

ケースを眺めている。

その手には、 『ケンジ』

と書かれた人生があった。

ナツメは首をかしげる。

「今度は兄貴系になりたいんか」

リク、ケンジの人生を借りる

ケンジの人生を体験するリク。

リクは、 棚の前で立ち止まっていた。

ケースを一つ、 手に取る。

『ケンジ』

ケースは、 少し重かった。

リクは小さく笑う。

「大人の余裕って、一度くらい体験してみたいんです」

ナツメは横で聞いていた。

「余裕も貸し出し対象なんやな」

ワニオは静かに答える。

「余裕は付属品です」

「人生本体に含まれております」

世界が、 静かに溶ける。

リクは、 ケンジになっていた。

朝。

慌ただしくない。

急ぐ理由もない。

ゆっくりコーヒーを淹れる。

香りが広がる。

「こういう朝もいいな」

昼。

古本屋へ入る。

気になった本を読む。

誰も急かさない。

夕方。

BARへ向かう。

ギターを弾く。

笑う。

常連客も笑う。

リクは思った。

「大人って自由なんだな」

夜。

店を閉める。

照明を落とす。

一人になる。

静かだった。

窓の外を見る。

誰もいない。

コーヒーは冷めていた。

リクは、 急に胸が重くなった。

誰にも話していないこと。

誰にも見せていない寂しさ。

それが、 ちゃんと残っていた。

昼間は笑っていた。

余裕もあった。

でも、 余裕は苦労が消えた人の表情じゃなかった。

苦労を抱えたまま、 誰かを安心させるための表情だった。

レンタル終了。

店へ戻る。

リクは、 『ケンジ』のケースを棚へ戻した。

しばらく黙っている。

ナツメが聞いた。

「どうやった」

リクは静かに笑う。

「憧れてました」

「でも」

「余裕って、時間があることじゃなかったんですね」

「いろんなものを抱えたまま、人に優しくすることなんですね」

店の中が少し静かになる。

ケンジは照れくさそうに頭をかく。

「そんな立派なもんじゃないよ」

ワニオは帳簿を閉じた。

「他人の人生は」

「遠くから見ると、苦労より景色がよく見えます」

「近くで見ると、景色より苦労がよく見えます」

ナツメは、 棚いっぱいの人生を見渡した。

どれも、 良さそうだった。

どれも、 大変そうだった。

「結局」

「みんな同じくらい重たいんやな」

ワニオは、 静かにうなずいた。

「重さだけは、レンタルできませんので」

返却口

それぞれの人生の一部を交換する人々。見守るナツメとワニオ。

夕方になると、 返却口は少し混み始めた。

ミサキは、 『ソウタ』を返した。

「恋愛体質は大変ね」

「でも、少し羨ましかった」

ソウタも、 『ミサキ』を返した。

「綺麗ってすごいね」

「でも、休む暇がなかった」

ナナは、 『ワニオ』を返した。

「退屈だと思ってた」

「違ったわ」

「静かだった」

リクも、 『ケンジ』を返した。

「余裕って、苦労の反対じゃないんですね」

ワニオは、 一つずつケースを棚へ戻していく。

すると、 ナツメが気づいた。

返却口の隣に、 小さな箱が置いてある。

『交換コーナー』

ナツメは聞く。

「これ何や」

ワニオは答えた。

「人生そのものは返却していただきます」

「ですが」

「気に入った部分だけは、お持ち帰りいただけます」

ミサキは、 小さな紙を一枚取る。

『一目惚れする力』

少し笑う。

「これは貰って帰る」

ソウタは、 迷わず一枚。

『堂々と歩く勇気』

「これ欲しい〜」

ナナは、 一枚。

『小さな幸せに気づく目』

「これ結構いいわね」

リクは、 静かに一枚。

『余裕』

ワニオは笑った。

「それくらいでしたら」

「在庫があります」

ナツメは、 店を見回す。

誰も、 他人の人生は持って帰らなかった。

でも、 誰も手ぶらでは帰らなかった。

ナツメは笑う。

「人生いうんは」

「借りるもんやなくて」

「ちょっとずつ盗むもんなんやな」

ワニオは首を振る。

「盗んではいけません」

「交換です」

ナツメは笑った。

「細かいやっちゃな」

店のベルが鳴る。

チリン。

人生レンタルショップは、 今日も静かに閉店した。

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