カフェで聞こえてきた会話
休日。
リクはお気に入りのカフェで記事を書いていた。
家より少し集中できる。
コーヒーもおいしい。
こういう時間は嫌いじゃない。
キーボードを打っていると。
少し離れた席から女性二人の声が聞こえてきた。
女性A
「ねぇ、あの人見て。」
……。
リクは顔を上げない。
聞こえてないふりをする。
でも。
ちょっとだけ耳は働いていた。
女性B
「え?どの人?」
女性A
「パソコンで仕事してる人。」
……。
女性B
「ほんとだ。」
女性B
「なんか仕事できそう。」
リクはコーヒーを一口飲む。
偶然だ。
気にしない。
女性A
「真面目そうだよね。」
……。
それは。
まあ。
よく言われる。
女性B
「派手じゃないけど、整ってる感じ。」
整ってる。
整ってる……。
女性A
「うん。イケメンって感じ。」
リクの指が止まる。
イケメン。
人生で。
初めて言われたかもしれない。
リク(心の声)
「……いや。」
リク(心の声)
「さすがに聞き間違いですよね。」
そう思いながらも。
少しだけ。
姿勢を正した。
リク(心の声)
「まあ、自分で言うのもなんですけど……。」
リク(心の声)
「派手ではないけど、整ってる顔なのかもしれません。」
今日は。
なんだかコーヒーがいつもよりおいしかった。

まさか、僕のこと?
記事を書き終えた。
時計を見る。
ちょうどいい時間だ。
そろそろ帰ろう。
パソコンを閉じる。
すると。
女性二人も立ち上がった。
リク(心の声)
「……。」
まさか。
いや。
そんなことはない。
ないけど。
さっきの会話が頭をよぎる。
女性A
「どうする?」
女性B
「せっかくだし話しかけようよ。」
……。
リク(心の声)
「え。」
リク(心の声)
「僕ですか?」
心臓が速くなる。
落ち着け。
勘違いするな。
でも。
万が一ということもある。
女性二人が歩き出す。
リクは軽く会釈する準備だけしておいた。
自然に。
あくまで自然に。
女性二人は。
リクの横を通り過ぎた。
……。
通り過ぎた。
さらに数歩進む。
その先の席。
スーツ姿の男性が立ち上がった。
高身長。
爽やかな笑顔。
雑誌から出てきたみたいな顔。
女性A
「すみません!」
女性B
「ずっと素敵だなって思ってて……。」
……。
リクは静かにパソコンをバッグへしまった。
ファスナーを閉める。
今日はやけに音が大きく聞こえる。
リク(心の声)
「僕じゃなかったか。」
いや。
知ってた。
途中から薄々気づいてた。
……うそです。
完全に僕だと思ってました。
リクは誰にも気づかれないように店を出た。
外の風が。
今日はやけに冷たかった。

今夜の誠実めし|調子に乗った日は激辛麻婆豆腐
帰宅。
玄関のドアを閉める。
思い出す。
「イケメンって感じ。」
……。
そして。
その後ろにいた、本物のイケメン。
リク
「……。」
静かに靴を脱ぐ。
今日は。
少しだけ、自分を懲らしめたい。
冷蔵庫を開ける。
ひき肉がある。
豆腐もある。
リク
「今日は麻婆豆腐ですね。」
フライパンを火にかける。
ごま油。
ひき肉。
ジュッという音が広がる。
香りはいい。
ここまでは、いつも通り。
問題はここからだった。
豆板醤を入れる。
一杯。
……いや。
もう一杯。
さらに。
ラー油。
一回し。
二回し。
三回し。
リク
「今日はこれくらいで。」
そう言った直後。
一味唐辛子も振りかけた。
結局、五振りくらいした。
リク
「少しやりすぎましたかね。」
でも。
今日はこれでいい。
豆腐を加える。
軽く混ぜる。
最後に水溶き片栗粉。
とろみが付く。
完成。
今夜の誠実めし。
激辛麻婆豆腐。
リク
「いただきます。」
一口。
……。
辛い。
かなり辛い。
二口。
リク
「辛っ……。」
汗が一気に噴き出す。
三口。
リク
「誰も僕のことなんて見てませんでした。」
もう一口。
リク
「勝手に期待して。」
もう一口。
リク
「勝手に落ち込んで。」
さらに一口。
リク
「……忙しいですね、僕。」
思わず笑ってしまった。
辛さで涙が出ているのか。
恥ずかしさで涙が出ているのか。
もう分からない。
でも。
麻婆豆腐を作っている間に。
少し熱くなりすぎていた頭は、ちゃんと冷めていた。
リク
「次からは……コーヒーだけ飲んで帰ります。」
そう言ってもう一口。
やっぱり。
辛かった。

「あんたも普通の男だったのね」
翌日。
こいこと。編集部。
コーヒーを飲みながら、昨日の出来事を話した。
リク
「……ということがありまして。」
一瞬、静かになる。
そして。
ミユ
「えーーーっ!」
ミユ
「途中まで完全にリクくんのことだと思ってたの!?」
リク
「……はい。」
ミユ
「しかもイケメンってところまで!?」
リク
「はい……。」
編集部に笑い声が広がる。
ナナ
「あんたも普通の男だったのね。」
リク
「どういう意味ですか。」
ナナ
「いや、もっと冷静な人だと思ってた。」
リク
「僕も冷静だったつもりなんです。」
ミユ
「絶対違うよ!」
ミユ
「姿勢、ちょっと良くなってたでしょ?」
リク
「……なってたかもしれません。」
ナナ
「会釈する準備までしてたんでしょ?」
リク
「それは……。」
ミユ
「してたんだ!」
また笑われた。
そのとき。
観葉植物の横からワニオが現れた。
ワニオ
「勘違いは誰でもします。」
リク
「ワニもですか?」
ワニオ
「あります。」
ワニオ
「池に魚が集まってきたので人気者だと思ったら、餌の時間でした。」
……。
リク
「同じですね。」
ワニオ
「少し違います。」
ナナ
「どっちでもいいわよ。」
編集部にまた笑い声が広がる。
勘違いはした。
少し恥ずかしかった。
でも。
笑い話にできる場所があるなら。
それも悪くない。


