ある日の編集部。
今日から期間限定のアルバイトが入ることになった。
ユキノ:みんな、紹介するね。
ユキノ:今日から一か月、お手伝いしてくれるサヤちゃんです。
サヤ:は、はじめまして……。
サヤ:よろしくお願いします。
少し緊張した笑顔。
ミユと同じくらいの年齢だ。
ミユ:わー♪
ミユ:よろしくね!
ミユ:あたしがいろいろ教えるから安心して!
サヤはホッとしたように笑った。
サヤ:ありがとうございます……。
その日の午前中。
編集部の電話が鳴る。
プルルルル……。
サヤは電話を見たまま固まってしまった。
ミユ:あ、大丈夫!
ミユ:あたし出るね!
ミユは電話を取る。
電話を切ると、サヤは申し訳なさそうに頭を下げた。
サヤ:すみません……。
サヤ:電話、本当に苦手で……。
ミユ:気にしなくていいよ!
ミユ:実はね。
ミユ:あたしも最初は電話がすっごく苦手だったんだ。
ミユ:頭真っ白になるし、噛むし、切ったあと一人反省会してたし。
サヤの表情が少しだけ明るくなる。
サヤ:ミユさんも……?
ミユ:うん(笑)
ミユ:だから大丈夫!
ミユ:電話は、あたしが代わりに出るから!
その言葉に、サヤは安心したように笑った。
その時のミユは。
それが一番優しいことだと、本気で思っていた。

守ってあげれば大丈夫だと思っていた
サヤは、とても真面目だった。
仕事も一生懸命覚えようとしていた。
でも。
少しだけ、人より傷つきやすかった。
午後。
ユキノが優しく声をかける。
ユキノ:サヤちゃん。
ユキノ:ここだけ一か所、直してもらえるかな。
サヤ:はい……。
それだけだった。
怒られたわけでもない。
強い口調だったわけでもない。
でも。
昼休みになっても、サヤは元気がなかった。
ミユ:どうしたの?
サヤ:私……。
サヤ:ダメですよね。
ミユ:え!?
サヤ:迷惑かけちゃいました……。
ミユ:いやいや!
ミユ:あれ全然怒られてないよ!
サヤ:でも……。
サヤ:ずっと頭から離れなくて。
別の日。
サヤは編集部のチャットを開いたまま、画面を見つめていた。
ミユ:送らないの?
サヤ:文章が失礼じゃないか心配で……。
サヤ:もう十五分くらい悩んでます。
ミユ:十五分!?
また別の日。
サヤ:ケンジさん、今日ちょっと返事が短かったですよね……。
サヤ:私、嫌われちゃいましたかね……。
ミユ:違う違う!
ミユ:ケンジさん今日忙しいだけだから!
そんなサヤを見ていると。
ミユは放っておけなかった。
ミユ:電話はあたしが出る!
ミユ:わからないことは、あたしが聞いてあげる!
ミユ:困ったら何でも頼って!
サヤは安心したように笑う。
サヤ:ありがとうございます……。
その笑顔を見るたびに。
ミユは思っていた。
「守ってあげられてよかった。」

「守ること」と「代わること」は違うのかもしれない
数日後。
編集部の電話が鳴る。
プルルルル……。
サヤは受話器を見る。
少し手が動く。
でも。
止まってしまった。
ミユ:大丈夫!
ミユ:あたしが出るね!
ミユはいつものように電話を取った。
サヤはホッとしたように息をつく。
その様子を見ていたミユは、少しだけ複雑な気持ちになった。
夕方。
編集部のみんなが集まっていた。
ミユ:あのさ。
ミユ:相談なんだけど。
ユキノ:どうしたの?
ミユ:サヤちゃんって電話が本当に苦手じゃん。
ミユ:だから電話は、あたしたちで出るようにしない?
ミユ:あと……。
ミユ:注意されるとすごく落ち込んじゃうから。
ミユ:なるべく指摘もしないようにできないかな。
編集部は静かになった。
誰もサヤを責めることはしない。
でも。
誰もすぐには返事をしなかった。
ユキノ:ミユちゃん。
ユキノ:気持ちはすごく分かるよ。
ユキノ:でも……。
ユキノは言葉を選ぶように少し考えた。
ユキノ:ちょっとだけ、考えさせて。
ミユ:……うん。
その帰り道。
ミユは一人で歩いていた。
ミユ:なんか……。
ミユ:あたし、変なこと言ったかな。
サヤを守りたい。
その気持ちは変わらない。
でも。
本当にサヤちゃんのためになってるのかな。
その答えが分からなくなったミユは。
気づけば、いつもの公園へ向かっていた。
池のほとりのベンチ。
今日もワニオは、静かにカモを眺めていた。
「乗り越える」ことも、優しさなのかもしれない
ミユ:ワニオー!
池のほとりのベンチ。
今日もワニオは、静かにカモを眺めていた。
ワニオ:こんにちは。
ワニオ:今日は少し考え事をしていますね。
ミユ:実はさ……。
ミユはサヤのことを最初から最後まで話した。
電話のこと。
チャットのこと。
嫌われたかもと落ち込むこと。
自分が代わってあげていること。
そして。
編集部で提案したことも。
全部話した。
ミユ:あたしね。
ミユ:サヤちゃんには笑っててほしいの。
ミユ:だから苦手なことは、できるだけ代わってあげたい。
ミユ:……でも。
ミユ:なんか違う気もしてきちゃって。
ワニオは少しだけ考えた。
そして、ミユを見た。
ワニオ:ミユさん。
ワニオ:電話は好きですか。
ミユ:えっ?
ミユ:好きじゃないよ。
ミユ:今でも鳴ると「うわっ」って思うし。
ミユ:たまに頭の中真っ白になるし。
ミユ:切ったあと、「あの言い方で大丈夫だったかな」って反省するもん。
ワニオ:では、なぜ出るのですか。
ミユ:……。
ミユ:苦手だけど。
ミユ:出ないと、ずっと苦手なままな気がするから。
ワニオは静かにうなずいた。
ワニオ:そうですね。
ワニオ:ミユさんは。
ワニオ:苦手がなくなったから電話に出ているのではなく、苦手なまま挑戦しているのですね。
ミユは、その言葉に少しだけ目を見開いた。
ワニオ:サヤさんにも。
ワニオ:いつか、そんな日が来るといいですね。
明日を守る優しさ
ワニオは池の方へ目を向けた。
親ガモのあとを、小さな子ガモたちが一生懸命ついていく。
そのうちの一羽が、水草に引っかかって少し遅れた。
ミユ:あっ。
ミユ:親ガモ、助けないのかな。
親ガモは少しだけ振り返る。
でも。
そのまま進んでいく。
子ガモは羽をバタバタさせながら、自分で水草を抜けた。
ミユ:出られた!
ワニオ:はい。
ワニオ:親ガモは、泳ぎ方を代わってあげられませんので。
ミユ:それはそうなんだけど(笑)
ミユ:言い方あるでしょ。
ワニオ:ワニも代わりには泳げません。
ミユ:だからワニの話じゃないって。
二人は少しだけ笑った。
ワニオは穏やかな表情のまま続ける。
ワニオ:優しさには。
ワニオ:今日を守る優しさがあります。
ワニオ:転ばないように手を引く。
ワニオ:代わりにやってあげる。
ワニオ:安心させてあげる。
ワニオ:どれも優しいことです。
ミユ:うん。
ワニオ:でも。
ワニオ:明日を守る優しさもあります。
ワニオ:少しだけ挑戦してもらう。
ワニオ:失敗しても隣にいる。
ワニオ:できたら、一緒に喜ぶ。
ワニオ:今日だけを見ると、少し厳しく見えるかもしれません。
ワニオ:ですが。
ワニオ:一年後を見ると、それも優しさだったと思うことがあります。
ミユは池を見つめた。
ミユ:あたし……。
ミユ:サヤちゃんが傷つかないようにって、そればっかり考えてた。
ワニオ:はい。
ワニオ:ミユさんは、今日を守ろうとしていました。
ワニオ:それも、とても優しいことです。
ワニオ:だから次は。
ワニオ:明日も一緒に守ってあげればいいのだと思います。

「できた」は、その人の財産になる
数日後。
編集部の電話が鳴った。
プルルルル……。
サヤの肩が少し震える。
ミユは反射的に立ち上がった。
ミユ:あっ、あたしが──
そこまで言って、止まった。
昨日のワニオの言葉が頭に浮かぶ。
「明日も一緒に守ってあげればいいのだと思います。」
ミユはサヤの方を向いた。
ミユ:サヤちゃん。
ミユ:……一回だけ、出てみる?
サヤは驚いた顔をした。
サヤ:えっ……。
ミユ:もちろん、無理なら代わる。
ミユ:でも。
ミユ:あたし、隣にいるから。
ミユ:何かあったら、すぐ助ける。
サヤは受話器を見つめた。
深呼吸を一つする。
そして。
恐る恐る受話器を持ち上げた。
サヤ:お、お電話ありがとうございます……。
少したどたどしい。
途中でミユが小さくメモを見せる。
サヤはうなずく。
数分後。
電話を切った。
サヤ:……。
サヤ:で、できました。
ミユ:できたじゃん!
思わず二人でハイタッチする。
その様子を見ていたケンジが笑う。
ケンジ:初電話記念日だな。
サヤ:すごく緊張しました……。
ミユ:あたしも今でも緊張するよ(笑)
ミユ:でもね。
ミユ:一回できると、「またできるかも」って思えるんだ。
サヤは少し照れながら笑った。
サヤ:……はい。
サヤ:少しだけ、自信になりました。
ミユも笑う。
昨日までなら。
きっと自分が電話に出ていただろう。
でも今日は。
サヤが「できた」という経験を、一緒に喜ぶことができた。

優しさは、未来のためにもある
一か月後。
期間限定だったサヤのアルバイトが終わる日になった。
編集部のみんなで、ささやかなお疲れさま会を開く。
サヤ:短い間でしたけど、本当にお世話になりました。
ケンジ:お疲れさん!
マリ:また遊びに来てね。
ユキノ:サヤちゃんらしく頑張ってね。
帰り道。
ミユは駅までサヤを送ることにした。
ミユ:なんか、あっという間だったね。
サヤ:はい。
サヤ:最初は、毎日辞めたいって思ってました。
ミユ:えっ!?
サヤ:電話も怖かったし。
サヤ:注意されるのも怖かったし。
サヤ:「また迷惑かけるかも」って、そればかり考えてました。
少し歩いて。
サヤが立ち止まる。
サヤ:でも。
サヤ:ミユさん、本当にありがとうございました。
ミユ:あたし?
サヤ:最初に電話を代わってくれた時。
サヤ:すごく嬉しかったです。
サヤ:「この人は味方なんだ」って思えました。
ミユは少し照れくさそうに笑った。
サヤ:でも……。
サヤ:あのままずっと代わってもらっていたら。
サヤ:私は、電話に出られないままだった気がします。
ミユは静かにサヤを見つめた。
サヤ:一回出られた時。
サヤ:「またできるかもしれない」って思えたんです。
サヤ:今でも怖いですけどね。
サヤ:でも。
サヤ:次の職場でも、逃げないでやってみようと思います。
ミユは嬉しそうに笑った。
ミユ:うん!
ミユ:きっと大丈夫!
ミユ:怖くても、一歩ずつでいいからね。
サヤは深く頭を下げた。
サヤ:ありがとうございました。
その後ろ姿を見送りながら。
ミユは小さくつぶやく。
ミユ:あたしが助けたんじゃないんだ。
ミユ:サヤちゃんが、自分で頑張ったんだ。
その言葉は。
どこか誇らしそうだった。

優しさは、隣を歩くことなのかもしれません
その日の帰り。
ミユはいつもの公園へ向かった。
池のほとりのベンチ。
今日もワニオは、カモを眺めていた。
ミユ:ワニオー!
ワニオ:こんにちは。
ワニオ:今日は少し晴れやかなお顔ですね。
ミユ:サヤちゃん、今日でバイト終わったの。
ミユ:最後にね。
ミユ:「あの時電話に出て良かったです」って言ってくれた。
ワニオ:そうでしたか。
ミユ:あたしね。
ミユ:最初は「代わってあげること」が優しさだと思ってた。
ミユ:でも違った。
ミユ:一緒に頑張ることも優しさなんだね。
ワニオは池の方を見た。
子ガモが一羽。
少しだけ親ガモから離れて泳いでいる。
でも。
親ガモは慌てて追いかけたりはしない。
少し離れた場所から、静かに見守っていた。
ワニオ:親ガモは。
ワニオ:子ガモの代わりに泳ぐことはできません。
ミユ:またカモ(笑)
ワニオ:今日は出演回数が多いですね。
ミユ:出演って言うんだ。
二人は少し笑った。
ワニオ:ですが。
ワニオ:溺れそうになったら、すぐ助けられる距離にはいます。
ワニオ:僕は。
ワニオ:それが優しさなのだと思います。
ミユ:……。
ワニオ:代わりに生きることはできません。
ワニオ:でも。
ワニオ:隣を歩くことはできます。
ミユ:そっか。
ミユ:あたし。
ミユ:これからも困ってる人がいたら助ける。
ミユ:でも。
ミユ:その人が「できた!」って笑えるような助け方もしてみる。
ワニオ:サヤさんも。
ワニオ:きっと次の場所で、また一つ泳げるようになりますよ。
ミユ:うん!
夕日が池を照らす。
親ガモのあとを。
子ガモたちは一生懸命泳いでいた。
少し離れても。
ちゃんと、自分の力で。


