優しい人ほど、ちゃんと怒っていい。

「マリさんって、怒ることあるんですか?」

たまに聞かれます。

あります。

普通にあります。

さすがに石像ではないので。

ただ、昔と今では。

怒り方は、ずいぶん変わった気がします。

若い頃の私は、今よりもう少し感情に素直でした。

腹が立てば、腹が立った。

納得できなければ、納得できない。

言いたいことがあれば、言う。

今の私しか知らない人が聞いたら、少し意外に思うかもしれません。

まあ。

人間、長く生きているといろいろあります。

詳しいことは、今日は置いておきます。

そんな私も、歳を重ねるうちに少しずつ変わりました。

相手にも事情があること。

正しいことを言えば、必ず伝わるわけではないこと。

怒りをそのままぶつけても、自分が本当に伝えたかったことまで届かなくなること。

いろいろ知りました。

だから今は、昔ほど簡単には怒りを表に出しません。

でも。

これは「怒らなくなった」ということではありません。

怒りを、なかったことにしなくなった。

むしろ、そちらのほうが近い気がします。

嫌だったなら、嫌だった。

傷ついたなら、傷ついた。

許せないなら、すぐに許さなくてもいい。

その感情まで「大人なんだから」と片づける必要はない。

若い頃とは違う意味で、私はそう思えるようになりました。

怒鳴ることでも、仕返しすることでもありません。

優しい人でいるために、自分の怒りにもちゃんと居場所を作ってあげる。

今日は、そんな話を書いてみようと思います。

後輩に怒ることあるのか聞かれるマリ。
目次

怒らないことが、優しさではない

若い頃の私は。

怒ったら、怒る。

嫌なら、嫌と言う。

わりと分かりやすい人間だったと思います。

それでうまくいったこともあります。

うまくいかなかったことも、たくさんあります。

勢いのまま言葉をぶつけて。

あとになって、少し言いすぎたと思ったこともあります。

自分では正しいことを言ったつもりなのに。

相手には、怒っていたことしか伝わっていなかったこともありました。

そういうことを何度か経験すると。

人は少し学習します。

私も学習しました。

言いたいことを全部言えばいいわけじゃない。

感情をそのままぶつければ、本音が伝わるわけでもない。

だから少しずつ。

言葉を選ぶようになりました。

一度考えてから話すようになりました。

相手の事情も、前より想像するようになりました。

そうしているうちに。

「穏やかですね」と言われることが増えました。

それは、たぶん悪い変化ではなかったと思います。

でも。

ここで一つ、間違えやすいことがあります。

感情をぶつけないことと。

感情を持たないことは、違います。

相手の事情を理解することと。

自分が傷ついたことを、なかったことにするのも違います。

たとえば。

誰かにひどいことを言われたとします。

「きっと余裕がなかったのね」

そう考えることはできます。

でも。

だからといって。

「じゃあ、私が傷ついたことも気にしなくていい」

とはならないんです。

相手には、相手の事情がある。

そして。

私には、私の気持ちがある。

どちらかを消さなくてもいい。

若い頃の私は、たぶん自分の気持ちを大きくしすぎることがありました。

反対に。

大人になると、相手の事情を大きくしすぎてしまうことがあります。

どちらも少し違う。

今の私は、そう思っています。

優しさは、自分の気持ちを小さくすることではありません。

相手の気持ちも、自分の気持ちも、どちらも雑に扱わないこと。

たぶん私は、ずいぶん遠回りをして。

ようやく、そのくらいの場所にたどり着きました。

若い頃の声が大きかった頃のマリ。

怒りって、そんなに悪い感情でしょうか

怒りという感情は。

ずいぶん嫌われています。

「怒らないようにしよう」

「感情的にならないようにしよう」

「もっと穏やかに」

そう言われることはあっても。

「今日はちゃんと怒れましたか?」

なんて聞かれることは、まずありません。

まあ。

毎朝そんなことを確認されても困りますけれど。

でも私は。

怒りそのものが、悪い感情だとは思っていません。

怒りには。

ちゃんと理由があります。

大切にしているものを、雑に扱われた。

言ってほしくないことを、言われた。

越えてほしくないところまで、入ってこられた。

信じていたものを、裏切られた。

そんなとき。

心のどこかで。

「それは違う」

と鳴るもの。

それが怒りなのだと思います。

だから。

怒りが湧いたときに。

すぐ消そうとしなくてもいい。

まずは。

「私は、何に怒っているんだろう」

と考えてみる。

すると。

怒りの少し奥に、別の気持ちが見つかることがあります。

悲しかった。

悔しかった。

寂しかった。

大切にしてほしかった。

信じていたかった。

怒りって。

案外、そういうものを守るために出てくる感情なのかもしれません。

ただ。

ひとつだけ気をつけたいことがあります。

怒りがあることと。

怒りに任せて何をしてもいいことは、まったく別です。

これは。

昔より、よく分かるようになりました。

怒りは、自分の気持ちを教えてくれる。

でも。

その気持ちをどう扱うかは、自分で決めなくてはいけない。

怒りは、誰かを攻撃するための命令ではありません。

「ここに、あなたが大切にしているものがあります」と教えてくれる合図なのだと思います。

そう考えるようになってから。

私は、自分が怒っていることを。

以前ほど嫌わなくなりました。

怒ることと向き合えるようになったマリ。

ちゃんと怒ることと、傷つけることは違う

では。

「ちゃんと怒る」って、どういうことでしょう。

大きな声を出すことでしょうか。

相手を言い負かすことでしょうか。

二度と反論できないくらい、正しいことを並べることでしょうか。

昔の私なら。

そのあたりまで勢いよく走っていたこともあった気がします。

若さって。

足が速いんですよね。

止まる場所を通り過ぎるくらいに。

でも今は。

ちゃんと怒ることと、誰かを傷つけることは違うと思っています。

たとえば。

「その言い方は嫌です」

「私は傷つきました」

「それは引き受けられません」

「そこまでは入ってこないでください」

それだけでも。

十分に怒っているんです。

怒鳴らなくてもいい。

嫌味を言わなくてもいい。

相手の弱いところを探して、そこへ言葉を投げなくてもいい。

自分が嫌だったことを。

自分の言葉で伝える。

それでいい。

そして。

言葉にすることだけが、怒り方でもありません。

何度伝えても大切にしてもらえないなら。

少し距離を置く。

頼まれごとを断る。

会う回数を減らす。

場合によっては。

その人のそばから離れる。

それも、自分の気持ちを守る方法です。

関係を続けることだけが、優しさではありません。

ずっと我慢することが、大人でもありません。

私はたぶん。

昔より静かになりました。

でも。

弱くなったとは思っていません。

むしろ逆です。

昔は、怒りを大きくしないと伝えられないことがありました。

今は。

静かな声でも。

「嫌です」と言える。

それで伝わらなければ。

離れることもできる。

強さは、声の大きさではないのだと思います。

自分の大切なものを、自分で守れること。

今の私には。

そのくらいの強さが、ちょうどいいです。

静かにNOが言えるようになったマリ。

昔の自分を、嫌いになる必要もない

ここまで書いていると。

昔の私は、ずいぶん未熟だったように見えるかもしれません。

まあ。

未熟だったとは思います。

そこは否定しません。

言わなくてもいいことを言ったこともあるし。

もう少し待てばよかったのに、待てなかったこともある。

自分の正しさに夢中になって。

相手の気持ちが見えなくなったこともありました。

思い出すと。

今でも少しだけ、頭を抱えたくなることがあります。

でも。

あの頃の自分を、嫌いにはなれません。

あの頃には、あの頃なりの必死さがあったから。

守りたいものがあった。

譲れないものがあった。

分かってほしいことがあった。

ただ。

その伝え方を、まだよく知らなかった。

今なら。

そう考えられます。

人は歳を重ねると。

昔の自分にまで、大人の正解を求めてしまうことがあります。

「どうして、あんなことを言ったんだろう」

「もっと冷静になればよかった」

「あのとき、別の選択をしていれば」

でも。

今だから分かることを。

あの頃の自分が知らなかったのは、仕方のないことです。

失敗したから。

失ったから。

傷つけたから。

そして、自分も傷ついたから。

ようやく分かったこともあります。

だから私は。

昔の自分を見て。

「間違っていた」と切り捨てるより。

「ずいぶん不器用だったわね」

くらいに思っておくことにしています。

その方が。

今の自分まで否定せずに済むから。

昔の私がいたから。

今の私がいる。

当たり前のことですけれど。

案外、忘れてしまうものです。

強くなることは、昔の弱さや未熟さを消すことではありません。

あの頃の自分まで連れて、ちゃんと前へ進めることなのだと思います。

昔の写真を見るマリ。裏面になにか書いてある。

優しい人ほど、ちゃんと怒っていい

優しい人は。

たぶん、想像するのが得意です。

相手にも事情がある。

今日は余裕がなかったのかもしれない。

本当は、そんなつもりじゃなかったのかもしれない。

そうやって。

自分ではない誰かの気持ちを考えられる。

それは、とても素敵なことだと思います。

でも。

その優しさの中に。

自分も入れてあげてほしいんです。

誰かに傷つけられたとき。

相手の事情は十個くらい思いつくのに。

自分の「嫌だった」は、一個も認めない。

それでは。

少しだけ、自分がかわいそうです。

相手を嫌いにならなくてもいい。

すぐに責めなくてもいい。

許したっていい。

でも、その前に。

「私は嫌だった」

「私は傷ついた」

そう思った自分くらいは。

自分で分かってあげてもいいと思います。

怒りを認めたからといって。

優しい人ではなくなるわけではありません。

むしろ。

自分の痛みを知っている人の方が。

他人の痛みも、雑に扱わなくなることがあります。

私は昔。

強さというものを、もう少し派手なものだと思っていました。

負けないこと。

引かないこと。

言いたいことを言えること。

そういう強さも、もちろんあります。

今でも嫌いではありません。

でも。

今の私が好きなのは、もう少し静かな強さです。

傷ついた自分をごまかさない。

必要なら、ちゃんと「嫌です」と言う。

それでも。

必要以上に誰かを傷つけない。

そして。

終わったことを、いつまでも自分の中で殴り続けない。

そんな強さです。

優しい人ほど、ちゃんと怒っていい。

自分を守ることまで諦めなくても、優しい人ではいられます。

私は。

その方が、ずっと長く優しくいられる気がしています。

守るべき人を守れるマリ。

優しいままで、強くなればいい

若い頃の私は。

強くなりたいと思っていました。

負けたくない。

傷つけられたくない。

自分の大切なものは、自分で守りたい。

その気持ちは。

今も、そんなに変わっていません。

ただ。

強さの形は、ずいぶん変わりました。

昔は。

前へ出ることが強さだと思っていた。

今は。

一歩引くことにも、強さがいると知っています。

言い返すことにも勇気がいる。

でも。

言い返さずに、その場所から離れることにも勇気がいる。

許すことが強い日もある。

許さないまま、前へ進む方がいい日もある。

人間って。

歳を重ねても、なかなか簡単にはなりません。

むしろ。

分かることが増えるほど、簡単に答えを出せなくなる気もします。

だから私は。

もう「いつでも正しい人」になろうとは思っていません。

腹が立つ日もある。

傷つく日もある。

大人げないことを考える日だってあります。

ありますよ。

そこまで立派な人間ではありません。

それでも。

怒った自分を責めるのではなく。

「何が嫌だったの?」

と、一度自分に聞いてみる。

そして。

守るべきものなら、ちゃんと守る。

もう手放していいものなら、静かに手放す。

そのあとで。

また誰かに優しくできればいい。

私は、それで十分だと思っています。

怒らない人にならなくていい。

傷つかない人にならなくていい。

何をされても笑っていられる人を、強い人と呼ばなくてもいい。

優しさと強さは、どちらかを選ぶものではないのだと思います。

優しいままで、強くなればいい。

少なくとも。

今の私は、そういう人でいたいと思っています。

夜道を歩くマリ。優しさと強さを手に入れた状況。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次