「これも経験。」と思って行ってみた

平日の昼。
編集部で仕事をしていると、スマホが鳴った。
ミユ:あれ?
ミユ:アヤさんだ。
以前、一度だけイベントで知り合った女性だった。
アヤ:今度の休み、友達と飲み会やるんだけど来ない?
アヤ:みんな良い人だから安心して!
ミユはスマホを見つめた。
ミユ:うーん……。
正直。
アヤとは何度も遊ぶ仲ではない。
ましてや。
飲み会に来る人たちは、ほとんど知らない人ばかりだ。
ミユ:どうしようかなぁ。
その時。
マリがコーヒーを片手に通りかかった。
マリ:難しい顔してるじゃない。
ミユ:今度の休みに飲み会誘われたんです。
マリ:へぇ。
マリ:行きたいの?
ミユ:それが……。
ミユ:別にすごく行きたいわけじゃないんですよね。
ミユ:でも。
ミユ:行ったら意外と楽しいかもしれないし。
ミユ:こういうのも経験かなぁって。
マリは少し笑った。
マリ:それなら一回行ってみたら?
マリ:楽しかったらラッキー。
マリ:違ったら、それも一つの経験。
ミユ:ですよね!
ミユ:よし!
ミユ:参加しますって返事しよう!
ミユはメッセージを送信した。
「ぜひ参加します!」
普段からまない人たちとの飲み会。
ミユは期待に胸をふくらませていた。
行ったら案外楽しい……とはならなかった

休日の夜。
ミユは少しだけ緊張しながら居酒屋の扉を開けた。
ミユ:こんばんはー!
アヤ:ミユちゃん!
アヤ:こっちこっち!
席には六人。
知っているのはアヤだけだった。
アヤ:みんなー!
アヤ:この前話したミユちゃん!
全員:よろしくー!
ミユ:よろしくお願いします!
最初は。
「なんとかなるかな。」
そう思っていた。
でも。
話題はすぐに、みんなが知っている共通の友達の話になった。
男性:そういえばユウタさぁ(笑)
女性:あれ笑ったよね(笑)
テーブルは盛り上がる。
ミユは笑顔でうなずく。
でも。
誰の話なのか、まったく分からない。
ミユ:あはは……。
笑う。
でも。
会話には入れない。
話しかけられれば答える。
また静かになる。
飲み物が少なくなれば、店員さんを呼ぶ。
料理を取り分ける。
空いたお皿を端に寄せる。
ミユ:……。
ミユ:なんか。
ミユ:仕事してるみたい。
時計を見る。
まだ三十分しか経っていなかった。
ミユ:えぇ……。
ミユ:体感、一時間半なんだけど。
二時間後。
飲み会はお開きになった。
アヤ:今日はありがとう!
ミユ:うん!
ミユ:ありがとう!
笑顔で手を振る。
駅へ向かう帰り道。
ミユは一人、小さくつぶやいた。
ミユ:……疲れたぁ。
家に着くころには。
「楽しかった。」よりも。
「気を遣った。」
その気持ちの方が、ずっと大きかった。
「休日を無駄にした。」そんな気がした

翌日の朝。
ミユはお気に入りのパン屋へ向かっていた。
焼きたてのパンの香り。
店員さんの「おはようございます!」という元気な声。
ミユ:やっぱりこのお店好きだなぁ。
自然と笑顔になる。
パンを買って、公園へ向かう。
ベンチに座って一口食べる。
ミユ:おいしい……。
その瞬間だった。
昨日の飲み会が頭に浮かぶ。
ミユ:……。
ミユ:昨日。
ミユ:ここ来れば良かったな。
スマホを見る。
推しのグループが、新しい動画を公開していた。
ミユ:あっ。
ミユ:昨日リアルタイムで見たかった……。
さらに。
ミサキから届いていたメッセージを見つける。
ミサキ:昨日、ご飯誘おうと思ってた。
ミサキ:また今度行こ。
ミユ:あぁぁぁ……。
思わずベンチにもたれかかった。
ミユ:パン屋さん来れたし。
ミユ:推し活もできたし。
ミユ:ミサキともご飯行けたかもしれないし。
ミユ:ワニオとカモ見ながらパン食べても良かったし。
ミユ:昨日の休日。
ミユ:全部もったいなかった気がする……。
パンは変わらずおいしい。
天気もいい。
それなのに。
昨日の二時間だけが、心に引っかかっていた。
ミユ:経験って言うけどさぁ。
ミユ:なんか。
ミユ:ただ休日を無駄にしただけな気がするんだけど……。
そうつぶやきながら顔を上げると。
池のほとりの、いつものベンチ。
今日もワニオが、カモを眺めていた。
ミユ:……ちょうどいいところにいた。
ミユはパンを片手に、小走りでワニオのもとへ向かった。
パンは、おいしいパン屋さんで買います

池のほとりのベンチ。
ワニオは今日も静かにカモを眺めていた。
ミユ:ワニオー!
ワニオ:こんにちは。
ワニオ:今日はクロワッサンですね。
ミユ:よく分かったね(笑)
ワニオ:袋から良い香りがしています。
ミユは紙袋をごそごそ探る。
ミユ:はい。
ミユ:ワニオの分。
そう言って、小さなパンを差し出した。
ワニオは自然に受け取る。
ワニオ:ありがとうございます。
ワニオ:最近は僕の分まで買ってきてくださいますね。
ミユ:一人分も二人分もそんなに変わらないし。
ミユ:それに。
ミユ:一人で食べるより、なんかおいしいじゃん。
ワニオ:パンも喜んでいます。
ミユ:パンに感情あるの?(笑)
二人は少し笑った。
ワニオはパンを一口食べる。
ワニオ:おいしいですね。
ミユ:でしょ?
ミユ:……でもさ。
ミユは昨日の飲み会のことを話し始めた。
知らない人ばかりだったこと。
気を遣ってばかりだったこと。
帰ってきたら、ぐったりしてしまったこと。
全部話した。
ミユ:経験だと思って行ったんだよ?
ミユ:でも。
ミユ:なんか休日を無駄にした気しかしなくて。
ミユ:パン屋さん行ったり。
ミユ:推し活したり。
ミユ:ミサキとご飯行ったり。
ミユ:ワニオとカモ見ながらパン食べたり。
ミユ:そういう休日の方が、あたしには合ってた気がする。
ワニオは池を眺めたまま、小さくうなずいた。
ワニオ:ミユさん。
ワニオ:パンは。
ミユ:またパン?(笑)
ワニオ:はい。
ワニオ:パンは、おいしいパン屋さんで買います。
ミユ:うん。
ワニオ:ですが。
ワニオ:一度も食べたことがないパンは。
ワニオ:おいしいかどうか分かりません。
ミユ:……。
ワニオ:昨日の飲み会も。
ワニオ:食べてみたパンみたいなものです。
ミユ:だから人をパンに例えないで(笑)
池では。
一羽のカモが、小さな魚を追いかけていた。
好きな休日は、好きじゃない休日が教えてくれる

ワニオはパンを一口食べた。
そして。
池を見ながら静かに話し始めた。
ワニオ:ミユさん。
ワニオ:昨日の飲み会は、楽しくありませんでしたか。
ミユ:うん。
ミユ:正直ね。
ミユ:あんまり楽しくなかった。
ワニオ:では。
ワニオ:昨日は失敗だったのでしょうか。
ミユ:え?
ワニオ:パン屋さんで。
ワニオ:初めて買ったパンが、お口に合わなかったとします。
ミユ:またパン(笑)
ワニオ:はい。
ワニオ:パンは大事です。
ミユ:そんな真顔で言われると否定できない(笑)
ワニオは続けた。
ワニオ:おいしくなかったパンを食べると。
ワニオ:次は別のパンを選びます。
ワニオ:つまり。
ワニオ:おいしくなかったことにも意味があります。
ミユは少し考えた。
ミユ:飲み会も同じってこと?
ワニオ:はい。
ワニオ:ミユさんは昨日。
ワニオ:飲み会が好きではないと分かったのではありません。
ワニオ:自分が、どんな休日を好きなのかが分かったのです。
ミユはハッとした。
ミユ:……あ。
ワニオ:パン屋さん。
ワニオ:推し活。
ワニオ:ミサキさんとのご飯。
ワニオ:カモを見ながらパンを食べること。
ワニオ:昨日があったから。
ワニオ:その時間が、もっと好きだと分かったのではありませんか。
ミユは池を眺めた。
カモがのんびり泳いでいる。
手には、お気に入りのパン。
隣にはワニオ。
ミユ:そうかぁ。
ミユ:あたし。
ミユ:飲み会で二時間失ったって考えてた。
ミユ:でも。
ミユ:好きな休日を再確認した二時間だったのかもしれない。
ワニオ:はい。
ワニオ:人は。
好きなものだけでは、自分を知れません。
ワニオ:好きではないものも、自分を教えてくれます。
ミユは小さく笑った。
ミユ:なんかさ。
ミユ:昨日の飲み会。
ミユ:ちょっとだけ返金された気分(笑)
ワニオ:返金ではありません。
ワニオ:ポイント還元です。
ミユ:そこ細かいなぁ!(笑)
自分に合う休日を選べるようになった

数週間後。
編集部で仕事をしていると、スマホが鳴った。
ミユ:あっ。
ミユ:またアヤさんだ。
メッセージを開く。
アヤ:今度の休み、また飲み会やるんだけど来る?
少し前のミユなら。
「断るの悪いかな。」
そう考えていたかもしれない。
でも今回は違った。
ミユは少し笑って、返信を打つ。
「ありがとう!でも今回は遠慮しておくね」
送信。
ミユ:よしっ。
不思議だった。
断ったのに。
前より気持ちは軽かった。
休日。
ミユはお気に入りのパン屋へ向かう。
焼きたてのパンを買って。
いつもの公園へ。
ミユ:ワニオー!
ワニオ:こんにちは。
ミユ:今日は飲み会断ってきた!
ワニオ:そうでしたか。
ミユ:前ならね。
ミユ:「せっかく誘ってくれたし……。」って行ってたと思う。
ミユ:でも今は。
ミユ:あたしは、こういう休日が好きなんだって分かったから。
ワニオ:はい。
ワニオ:昨日のお話ではありませんでした。
ワニオ:明日のお話だったのですね。
ミユ:え?
ワニオ:飲み会で得たものは。
ワニオ:昨日の思い出ではありません。
ワニオ:次の休日を、自分で選べるようになったことです。
ミユはパンを一口食べた。
池では。
カモの親子が、のんびり泳いでいる。
ミユ:そう考えると。
ミユ:あの日、行って良かったのかも。
ワニオ:はい。
ワニオ:遠回りに見える道でも。
ワニオ:自分の好きな場所へ続いていることがあります。
ミユ:なんか今日のパン。
ミユ:いつもよりおいしい。
ワニオ:比較対象が飲み会ですので。
ミユ:だからそこじゃないって!(笑)
夕暮れの公園に。
ミユの笑い声が、ゆっくりと溶けていった。



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