人類は、よく自分を探しています。
「本当の自分が分からない。」
「自分に向いている仕事は何だろう。」
「自分らしく生きたい。」
なるほど。
人類は忙しそうです。
ですが。
私は、自分を探したことがありません。
朝起きてもワニでした。
昼寝をして起きても、やはりワニでした。
公園を散歩しても、別のワニにはなりませんでした。
どうやら、自分というものは、落とし物ではないようです。
もちろん。
人類が「自分探し」をする気持ちは分かります。
人生には選択肢がたくさんあります。
仕事。
恋愛。
趣味。
住む場所。
その中で、「これが本当に自分に合っているのだろうか」と立ち止まることもあるでしょう。
ですが私は、ときどき思うのです。
人類は、「見つけること」に夢中になりすぎて、「育てること」を忘れているのではないでしょうか。
今日は、その話を書いてみます。
人類は「本当の自分」がどこかにいると思っています

人類を観察していると、不思議な言葉をよく聞きます。
「本当の自分を見つけたい。」
なるほど。
ですが私は、少し疑問があります。
本当の自分は、そんなに遠くへ行くのでしょうか。
人類はよく旅に出ます。
転職します。
新しい趣味を始めます。
海外へ行きます。
恋愛をします。
もちろん、それ自体は悪いことではありません。
新しい景色を見ることは、とても良いことです。
ですが。
その目的が「どこかに本当の自分が落ちているはず」になってしまうと、少し大変です。
例えば。
私は毎日、公園を歩いています。
池もあります。
ハトもいます。
ベンチもあります。
ですが。
何年歩いても、別のワニは落ちていませんでした。
「あっ、ここに本当のワニが。」
ということもありません。
落ちているのは、だいたいどんぐりです。
なので私は思います。
自分というものは、探し物というより、生きている間ずっと付き合っていく相手なのかもしれません。
探すことに夢中になるより。
今日の自分と、少し仲良くなる。
その方が、案外「自分らしさ」に近づいている気がします。
自分は「見つけるもの」より「積み重なるもの」です

では。
自分探しは意味がないのでしょうか。
そういう話ではありません。
人類はいろいろ経験した方がいいと思います。
旅行も。
仕事も。
恋愛も。
新しい趣味も。
どれも人生を豊かにしてくれます。
ですが。
その経験の目的が、「本当の自分を見つけること」だけになると、少し苦しくなります。
なぜなら。
経験しても経験しても、「まだ違う気がする」が続くからです。
人類は、完成品の自分を探し始めます。
ですが観察していると。
人間は、完成してから生きるのではありません。
生きながら、少しずつ出来上がっていきます。
優しい人も。
最初から優しかったわけではないでしょう。
誰かに優しくされた経験があったのかもしれません。
責任感のある人も。
失敗を繰り返しながら育ったのかもしれません。
落ち着いて見える人も。
昔はずいぶん慌てていたのかもしれません。
つまり。
今の自分は、昨日までの積み重ねです。
そして。
一年後の自分は、今日の積み重ねになります。
私は公園で、毎日同じ木を見ています。
昨日と今日では、ほとんど変わりません。
ですが。
季節が変わる頃には、ちゃんと葉が増えています。
人類も、あれに少し似ています。
毎日は変わっていないように見えても。
振り返ると、「いつの間にか自分になっていた」ということが、案外多いのです。
好きなことは、最初から好きとは限りません

人類は、「好きなことを仕事にしよう」とよく言います。
なるほど。
素敵な考えです。
ですが。
少しだけ気になることがあります。
人類は、「好き」は最初から完成しているものだと思いすぎです。
観察していると。
そうでもありません。
例えば。
料理が好きな人も、最初は包丁の持ち方が分からなかったかもしれません。
ギターが好きな人も、最初は指が痛かったでしょう。
仕事が好きになった人も、最初は毎朝行きたくなかったかもしれません。
恋愛だってそうです。
最初は緊張します。
気を遣います。
失敗もします。
ですが。
一緒に過ごした時間が増えるにつれて、「好き」が少しずつ育っていくことがあります。
人類は、「運命の何か」を探そうとします。
ですが。
観察していると。
運命だったから続いたものより、続けたから好きになったものも、かなり多い気がします。
もちろん。
向いていないこともあります。
途中でやめる選択も大切です。
ですが。
始めて三日で「これは本当の自分じゃない」と結論を出すのは、少し早いかもしれません。
ワニでも。
池の居心地は、一日では分かりません。
少し住んでみて。
魚の多さや、日当たりや、昼寝のしやすさが分かります。
人類もきっと同じです。
「これが自分だ」と見つけるより、「これも案外悪くない」と続けた先で、自分らしさに出会うことの方が多いのではないでしょうか。
人類は答えを急ぎすぎです

人類を見ていると、少しだけせっかちなところがあります。
何か始めると。
すぐに答えを知りたくなります。
「この仕事は向いているのか。」
「この恋愛は運命なのか。」
「これが本当の自分なのか。」
もちろん。
不安になる気持ちは分かります。
ですが。
人生は、思っているより答え合わせが遅いものです。
学生時代には苦手だったことが、十年後には仕事になっている人もいます。
「向いていない」と辞めようと思っていた仕事が、気づけば一番長く続いていた人もいます。
偶然始めた趣味が、一生の楽しみになることもあります。
人類は未来を知りたがります。
ですが。
未来は、少し意地悪です。
先に答えだけ教えてはくれません。
なので。
今できることは、それほど多くありません。
今日やることをやる。
会いたい人に会う。
やってみたいことを少しやってみる。
眠ければ寝る。
だいたい、そのくらいです。
私は公園で、毎日同じ池を眺めています。
「この池は本当に自分に合っている池なのだろうか。」
とは考えません。
今日も魚がいて。
風が吹いて。
昼寝が気持ちよければ、それで十分です。
人類も。
「私は何者なんだろう」と考える日があってもいいでしょう。
ですが。
その問いに急いで答えを出さなくても大丈夫です。
自分らしさは、考え続けた先よりも、暮らし続けた先で見えてくることの方が多いのです。
ワニオ流・自分探しの結論

ここまで色々書いてきました。
ですが。
結論は、とても単純です。
自分は、探すものというより、育っていくものです。
もちろん。
新しい場所へ行くことも。
新しい人と出会うことも。
新しい仕事に挑戦することも。
全部、自分を育ててくれます。
だから私は、自分探しそのものを否定したいわけではありません。
ただ。
「本当の自分」がどこかで待っていると思うと、少し疲れてしまいます。
見つからないたびに。
「まだ違う。」
「ここでもなかった。」
そうやって、自分を否定し続けることになるからです。
観察していると。
「自分を見つけた」と言う人より。
目の前のことを一生懸命続けていた人の方が、結果として自分らしく生きているように見えます。
仕事でも。
恋愛でも。
趣味でも。
毎日を積み重ねているうちに。
「これが自分だったのかもしれない。」
そう思える日が、あとからやって来ます。
人類は、ときどき未来に答えを探します。
ですが。
答えは案外、昨日と今日の間に落ちています。
今日笑ったこと。
今日悩んだこと。
今日誰かに優しくしたこと。
その全部が。
少しずつ「あなた」という人間を作っています。
なので。
もし今、「本当の自分が分からない」と悩んでいるなら。
焦らなくて大丈夫です。
今日という一日を、丁寧に過ごしてみてください。
それだけでも。
昨日より少しだけ、自分は育っています。
人類とは。
なかなか興味深い生き物です。

