善意を積み立てる国──老後の優しさは、自分で積み立てよう。|ナツメ式

その国では、 優しさを積み立てる。

昔は、 「善意は見返りを求めないものだ」 と言われていた。

けれど、 そんな言葉では、 誰も老後を生き延びられなくなった。

孤独死。
介護不足。
誰にも助けてもらえない老人たち。

優しさは、 足りなくなっていた。

そこで国が始めたのが、 善行積立制度だった。

キャッチコピーは、 街のあちこちに貼られている。

『優しさの足りない世界。
老後の優しさは、自分で積み立てよう。』

人に席を譲る。

落とし物を届ける。

困っている人を助ける。

そうした善行は、 すべて記録される。

善行残高。

利率。

善行ランク。

それらは、 腕につけた端末に表示される。

積み立てた善行は、 将来、 取り崩すことができた。

食料。

医療。

介護。

誰かの助け。

困ったとき、 自分を守ってくれる。

だから人々は、 優しくなった。

少なくとも、 前よりは。

交差点では、 誰かが誰かを助けている。

スーパーでは、 荷物を持つ人がいる。

電車では、 席を譲る人が増えた。

善行ポイント獲得音が、 街のあちこちで鳴っていた。

ポロン。

ポロン。

まるで、 小鳥の鳴き声みたいに。

ナツメは、 ベンチの上でそれを聞いていた。

虹色の毛並みを揺らしながら、 通りを眺める。

誰かが転び、 誰かが助け、 誰かの端末が光る。

ナツメは、 小さく笑った。

「ええ時代やなぁ」

「助けたら増えるんやろ?」

それから、 空を見上げる。

「……ほな、助からん理由も増えそうやな」

目次

善人の時代

善行の積み立て方には、 性格が出る。

毎日、 少しずつ積み立てる人がいた。

道を譲る。
荷物を持つ。
困っている人に声をかける。

小さな優しさを、 コツコツ積み立てる。

それは、 老後の安心だった。

一方で、 一気に増やそうとする人もいる。

災害支援。
高額寄付。
人命救助。

大きな善行には、 大きなポイントが入る。

動画配信サイトでは、 「効率の良い善行」が解説されていた。

『初心者向け善行5選』

『短期間で善行ランクを上げる方法』

『今年の高利率ボランティア特集』

善行アドバイザーまで現れた。

若いうちから積み立てれば、 老後が楽になる。

それは、 半分くらい本当だった。

街は、 たしかに優しくなった。

酔っ払いは減った。

ゴミは減った。

困っている人に、 誰かが声をかける。

昔より、 ずっと善人が多い。

ただ、 少しだけ変わったこともある。

人を助けたあと、 最初に見るのが、 相手の顔じゃなくなった。

腕の端末。

ちゃんと、 加算されたかどうか。

ポロン。

小さな音が鳴ると、 みんな少し安心した。

ナツメは、 コンビニの前でそれを見ていた。

転んだ老人を、 若者が助け起こす。

周囲から、 拍手が起きる。

端末が光る。

若者は、 少し誇らしそうだった。

ナツメは、 缶コーヒーの横に座って、 ぽつりと言う。

「ええことした顔やなぁ」

それから、 少しだけ首をかしげた。

「……ポイントの顔かもしれんけど」

積立派と反積立派

もちろん、 誰もが制度を信じていたわけではない。

善行積立を嫌う人たちもいた。

彼らは、 「反積立派」 と呼ばれていた。

変わり者扱いされることが多い。

将来が不安じゃないのか。

老後はどうするんだ。

そう聞かれても、 だいたい曖昧に笑う。

「まあ、そのとき考える」

そんな答えばかりだった。

反積立派は、 別に悪人ではない。

困っている人がいれば、 普通に助ける。

荷物も持つし、 道も譲る。

ただ、 記録しない。

端末を切っている。

それだけだった。

「なんで記録しないの?」

そう聞かれると、 少し考えてから答える。

「なんか違うから」

それ以上は、 うまく説明できない。

積立派の人たちは、 彼らを少し不思議に思っていた。

だって、 損だからだ。

優しさは、 未来の自分を助ける。

積み立てない理由が、 よく分からない。

テレビでは、 専門家が話している。

「若いうちの善行は資産です」

「老後の安心は、 日々の優しさから」

街には、 そんな広告が流れ続ける。

反積立派は、 それを見るたび、 少しだけ嫌そうな顔をした。

ナツメは、 古本屋の前で寝転びながら、 通りを眺めていた。

積立派の男が、 募金箱に硬貨を入れる。

端末が光る。

その隣で、 反積立派の女が、 黙って落ちた本を拾う。

端末は、 光らない。

ナツメは、 あくびをしながら言った。

「どっちも優しいんやろな」

「……計算してるか、してへんかだけで」

増える善行、減る感情

善行ポイントが貯まる端末。それをのぞく虹色の猫ナツメ。

制度が始まってから、 街はたしかに平和になった。

怒鳴り声は減った。

ゴミも減った。

誰かが困っていれば、 すぐに人が集まる。

優しい世界だった。

少なくとも、 数字の上では。

善行ランキングは、 毎週更新される。

地域別。

年代別。

職業別。

上位者は、 テレビで紹介された。

「素晴らしい善意ですね」

「未来への備えも完璧です」

拍手が起きる。

端末が光る。

ポロン。

その音は、 街のBGMみたいになっていた。

やがて、 善行にも流行が生まれる。

効率の良い募金先。

高還元ボランティア。

期間限定の善行キャンペーン。

「今なら介護補助で善行率2倍」

そんな広告まで流れ始めた。

人々は、 以前より優しくなった。

けれど、 少しだけ、 変わったこともある。

誰かを助ける前に、 周囲を見る人が増えた。

記録されているか。

ちゃんと加算されるか。

それを、 気にする。

本当に困っている人より、 “善行効率の良い人”が選ばれることもあった。

泣いている子どもより、 高ポイント対象の高齢者。

道に迷った旅行者より、 善行保証付きイベント。

街は優しい。

でも、 少しだけ、 温度が薄かった。

ナツメは、 商店街の端で、 魚の干物を見上げていた。

近くで、 若者たちが話している。

「それ何ポイント?」

「うわ、効率いいな」

ナツメは、 しばらく黙って聞いていた。

それから、 ぽつりと言う。

「優しいっちゅうより」

「運用うまいだけかもしれんな」

価値調整

それは、 ある朝突然発表された。

政府からの通知。

『善行価値調整のお知らせ』

最初、 意味が分からなかった人も多い。

けれど、 読み進めるうちに、 街の空気が少しずつ変わっていく。

善行保有者の増加。

制度維持コストの上昇。

高齢化による善行支出の増大。

それらに対応するため、 善行価値を調整する。

簡単に言えば、 以前ほど取り崩せなくなる。

善行の価値が、 少し下がる。

「少しだけです」

ニュースキャスターは、 穏やかにそう言った。

けれど、 老人たちは穏やかではなかった。

毎日、 積み立ててきた。

席を譲った。

掃除した。

募金した。

善行を、 未来のために貯め続けた。

それなのに。

「聞いてない」

「話が違う」

街のあちこちで、 そんな声が上がる。

反積立派の人たちは、 少しだけ複雑な顔をしていた。

「だから言った」

そう言う人もいた。

でも、 勝ち誇ってはいない。

怒っている老人たちが、 本当に困っていることを知っているからだ。

善行は、 ちゃんと積み立てられていた。

数字の上では。

ただ、 未来の優しさは、 思ったより変動が激しかった。

ナツメは、 役所の前で配られている資料を、 前足でめくっていた。

『制度は永続的に続きます』

そう書かれている。

ナツメは、 しばらく眺めたあと、 小さく鼻を鳴らした。

「優しさまで相場制なんやな」

「……世知辛いわ」

取り崩せない老後

価値調整のあと、 街は少し静かになった。

みんな、 善行残高を見る回数が増える。

減っていないか。

また調整されないか。

未来の優しさは、 急に不安定になった。

とくに、 老人たちは深刻だった。

長い時間をかけて、 積み立ててきた。

若いころから、 ずっと。

転んだ人を助け、 募金し、 雪の日には近所の道を掃いた。

誰かに優しくするたび、 未来の安心が増えていく。

そう信じていた。

けれど、 取り崩そうとした瞬間、 現実は少し違っていた。

善行価値調整。

手数料。

制度維持負担。

細かな条件。

積み立てた優しさは、 思ったより自由に使えない。

スーパーで、 食料交換を諦める老人がいた。

介護申請を取り下げる老人もいた。

端末を見つめながら、 黙って帰っていく。

街は、 相変わらず優しかった。

誰かが席を譲る。

誰かが荷物を持つ。

ポロン。

音は今日も鳴っている。

ただ、 少しだけ、 みんな確認するようになった。

「ちゃんと増えた?」

「損してない?」

優しさのあとに、 そういう言葉がついてくる。

そのころ、 反積立派の老人が、 道端で倒れた男を助けていた。

端末は光らない。

記録もされない。

周囲の人が聞く。

「ポイントつかないのに?」

老人は、 少し考えてから答えた。

「困ってたから」

それだけだった。

ナツメは、 街灯の上からそれを見ていた。

しばらく黙ったあと、 小さく笑う。

「損する優しさ」

「……まだ絶滅してへんのやな」

善意の利子

それからも、 制度は続いた。

少し形を変えながら。

利率は上下し、 価値は調整され、 新しい善行商品が増えていく。

『子育て応援積立』

『高齢者見守りパック』

『災害支援ボーナス期間』

街には、 今日も優しい人があふれていた。

誰かを助ける人。

誰かに席を譲る人。

誰かを励ます人。

ポロン。

ポロン。

音は、 相変わらず小鳥みたいだった。

ただ、 ときどき分からなくなる。

あの人は、 本当に優しいのか。

それとも、 未来の自分を助けているだけなのか。

多分、 両方だった。

ナツメは、 川沿いのベンチで魚の骨をいじっていた。

近くでは、 小さな子どもが転ぶ。

若い男が、 反射みたいに駆け寄る。

子どもを起こし、 膝の砂を払う。

その瞬間、 男の端末が光る。

男は、 少しだけ端末を見る。

それから、 子どもに笑いかけた。

ナツメは、 その様子をしばらく見ていた。

やがて、 ぽつりと言う。

「まあ、ええか」

「最初は自分のためでも」

「助かったやつは、おるんやろ」

風が吹く。

街のどこかで、 また小さな音が鳴った。

ポロン。

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