昼の休憩室で、イツキがこぼした一言

昼休みの編集部は、少しだけ空気がゆるむ。
午前中の作業で散らかったデスクの上には、飲みかけのコーヒー、開きっぱなしのノート、誰かが置いていったチョコレート。
休憩室のテーブルでは、マリが温かいお茶を飲みながら、スマホの画面を静かに閉じた。
そこへ、コンビニ袋を片手にしたイツキが入ってくる。
昼ごはんは食べ終わったらしく、袋の中には紙パックのカフェオレと、小さなチョコ菓子だけが残っていた。
イツキ:……彼女ほしいんです。
マリ:ずいぶん、まっすぐ来たわね。
イツキ:すみません。なんか、昼休みって本音出ません?
マリ:出るわね。午前中の理性が、いったんお昼ごはんでゆるむから。
イツキ:ですよね。今、完全にゆるんでます。
イツキは向かいの席に座ると、カフェオレのストローを差しながら、小さくため息をついた。
イツキ:なんか最近、周りがどんどん恋愛してるんですよ。付き合ったとか、同棲するとか、結婚考えてるとか。
マリ:そういう時期ってあるわね。
イツキ:で、こっちは編集部のSNSまわして、撮影の荷物運んで、記事のチェックして、帰ったらスマホ見て寝るだけです。
マリ:ちゃんと働いてるじゃない。
イツキ:働いてはいます。でも、なんか……生活に恋愛成分が足りないんです。
マリ:恋愛成分。
イツキ:はい。ビタミンみたいなやつです。足りないと、心がカサつく感じの。
マリは少し笑って、お茶をひと口飲んだ。
マリ:それは、なかなか分かりやすい表現ね。
イツキ:笑わないでくださいよ。けっこう本気なんです。
マリ:笑ってないわ。かわいいなと思っただけ。
イツキ:それ、だいぶ笑ってる側の言い方です。
マリ:でも、彼女がほしいって思うのは自然なことよ。
イツキは、少しだけ顔を上げた。
イツキ:自然ですかね。
マリ:自然よ。誰かと一緒にいたい。好きになりたい。好きになってほしい。そういう気持ちは、別に恥ずかしいものじゃないわ。
イツキ:なんか、そう言ってもらえると助かります。
マリ:ただし。
イツキ:出た。ただし。
マリ:彼女がほしいって言う時、その中身は一回見ておいた方がいいかもしれない。
イツキ:中身ですか?
マリ:うん。イツキくんがほしいのは、彼女なのか。恋愛なのか。安心なのか。寂しさを埋める相手なのか。
休憩室の外から、誰かがコピー機を使う音が聞こえた。
イツキはストローをくわえたまま、少し黙る。
イツキ:……急に深いじゃないですか。
マリ:昼休みは短いから、遠回りしてる時間がないの。
イツキ:たしかに、あと二十分くらいしかないです。
マリ:じゃあ聞くけど、イツキくんはどうして彼女がほしいの?
イツキ:どうして……。
イツキは、手元のカフェオレを見つめた。
すぐに答えようとして、でも少しだけ言葉に詰まる。
イツキ:……休みの日に、誰かと出かけたいです。
マリ:うん。
イツキ:ごはん食べて、おいしいねって言いたいです。
マリ:うん。
イツキ:あと、仕事でちょっと嬉しいことあった時に、報告したいです。
マリ:それは、いいわね。
イツキ:で、向こうもなんか話してくれて。今日こんなことあったって。そういうの聞きたいです。
マリは、茶碗を両手で包むように持ったまま、穏やかにうなずいた。
マリ:それは、彼女がほしいというより、誰かと生活を分け合いたいのかもしれないわね。
イツキ:生活を分け合う……。
マリ:大げさなことじゃなくてね。今日あったことを少し渡して、相手の一日も少し受け取る。そういう相手がほしいのかも。
イツキ:……それ、めちゃくちゃほしいです。
マリ:でしょうね。
イツキ:マリさん、なんで分かるんですか。
マリ:そういう顔してたから。
イツキ:俺、そんな顔してました?
マリ:してたわ。恋愛したい人の顔というより、誰かに今日の自分を知ってほしい人の顔。
イツキは照れたように笑い、カフェオレをひと口飲んだ。
イツキ:……でも、彼女はほしいです。
マリ:そこはブレないのね。
イツキ:はい。そこは強めにあります。
マリ:いいと思うわ。そこまで素直なら、話は早いもの。

彼女がほしい時ほど、肩に力が入りすぎる

イツキ:話が早いってことは、何からすればいいですかね。アプリですか。紹介ですか。合コンですか。プロフィール写真を撮り直すところからですか。
マリ:一気に詰め込んできたわね。
イツキ:だって、彼女ほしいので。
マリ:その勢いは悪くないけど、少しだけ肩の力は抜いた方がいいかもしれないわ。
イツキ:肩の力ですか。
マリ:うん。彼女がほしい時って、どうしても相手を見る前に、“この人と付き合えるかどうか”で見てしまうことがあるの。
イツキ:……あります。
マリ:会ったばかりなのに、もう先のことまで考えてしまう。
イツキ:あります。
マリ:連絡が少し遅いだけで、脈なしなのかなって落ち込む。
イツキ:あります。
マリ:相手の好きな食べ物を聞いただけなのに、デートプランを三つくらい考えてしまう。
イツキ:……あります。
マリ:正直でよろしい。
イツキは、少し恥ずかしそうにカフェオレの紙パックを両手で持った。
イツキ:いや、でも考えちゃうんですよ。せっかく出会えたなら、ちゃんとしたいっていうか。
マリ:ちゃんとしたいのは悪いことじゃないわ。
イツキ:ですよね。
マリ:でも、最初から“ちゃんと付き合うための審査”みたいになると、相手も少し息苦しいかもしれない。
イツキ:審査……。
マリ:本人は真剣なだけなんだけどね。真剣さが強すぎると、相手には“もう結果を求められている”ように見えることがあるの。
イツキ:うわ。心当たりが、静かに列を作ってます。
マリ:行列なのね。
イツキ:最後尾が見えません。
マリは小さく笑った。
マリ:恋愛したい気持ちは大事。でも、相手は“彼女候補”の前に、ひとりの人なのよ。
イツキ:それ、当たり前なんですけど、たしかに忘れがちかもしれないです。
マリ:最初は、付き合えるかどうかより、話していて安心できるか。無理をしなくても会話が続くか。そこを見た方がいいわ。
イツキ:でも、それだと恋愛に進まないまま終わりません?
マリ:進まない相手とは、進まなくていいのよ。
イツキ:おお……。
マリ:全部を恋愛にしようとすると、出会いが減るわ。逆に、まず人として知ろうとすると、縁は少し広がる。
イツキ:出会いを全部、恋愛の入口にしなくていいってことですか。
マリ:そう。入口かどうかは、少し話してから分かるものよ。
休憩室の時計が、静かに針を進めている。
イツキはテーブルの上のチョコ菓子をひとつ開けて、マリの方へ差し出した。
イツキ:食べます?
マリ:ありがとう。いただくわ。
イツキ:俺、たぶん焦ってるんですよね。
マリ:そうね。少し焦ってると思う。
イツキ:ですよね。自分でも分かります。彼女ほしいっていうより、彼女作らなきゃって感じになってる時あります。
マリ:“作らなきゃ”になると、恋愛は少し仕事みたいになるわね。
イツキ:それは嫌ですね。恋愛までタスク管理したら、もう終わりです。
マリ:タスク管理が悪いわけじゃないけど、恋愛には余白が必要よ。
イツキ:余白。
マリ:すぐに答えを出さない時間。相手のことを決めつけない時間。自分の気持ちが本物かどうか、少し置いてみる時間。
イツキ:置いてみる時間か……。
マリ:焦っている時ほど、好きというより“早く安心したい”になりやすいから。
イツキ:それ、刺さります。
マリ:刺すつもりはなかったのだけど。
イツキ:自然に刺さるのが一番効きます。
マリはチョコ菓子を口に運び、少しだけ考えるように目を細めた。
マリ:イツキくんは、恋愛に向いてないわけじゃないと思うわ。
イツキ:本当ですか。
マリ:うん。素直だし、人の話も聞けるし、嬉しいことをちゃんと嬉しいって言えるでしょう。
イツキ:言いますね。嬉しかったら、めちゃくちゃ顔に出ます。
マリ:それはいいことよ。恋愛では、分かりやすさって安心になるから。
イツキ:じゃあ、俺にも希望あります?
マリ:もちろんあるわ。
イツキ:よかった……。
マリ:ただ、希望があるからこそ、焦って雑に扱わないことね。自分のことも、相手のことも。
イツキ:自分のことも?
マリ:ええ。彼女がいない自分を、あまり責めないこと。
イツキは、その言葉に少しだけ黙った。
マリ:恋人がいるかどうかで、人としての価値は決まらないわ。
イツキ:……分かってるつもりなんですけど、たまに忘れます。
マリ:忘れる時もあるわよね。
イツキ:あります。夜とか、休日の夕方とか。
マリ:そういう時間は、誰でも少し弱くなるものよ。
休憩室の中に、静かな時間が落ちた。
けれど、それは重たい沈黙ではなかった。
昼の光が、テーブルの端に置かれたチョコ菓子の包み紙を淡く照らしている。
イツキ:マリさん。
マリ:なに?
イツキ:俺、彼女ほしいですけど……焦りすぎないようにします。
マリ:それくらいがちょうどいいわ。
イツキ:でも、アプリのプロフィール写真は撮り直します。
マリ:それは撮り直した方がいいかもしれないわね。
イツキ:え、そこは即答なんですか。
マリ:今の写真、たぶん真面目すぎるもの。
イツキ:見てないのに分かるんですか。
マリ:イツキくん、証明写真みたいな顔で写っていそうだから。
イツキ:……当たってます。
マリ:まずは、彼女を探す前に、楽しそうな自分を一枚撮りなさい。
イツキ:それ、なんかいいですね。
マリ:恋愛は、審査に通るためのものじゃないから。
イツキ:はい。
マリ:誰かと一緒に笑える自分を、ちゃんと見せてあげた方がいいわ。
昼休み終了。それでも彼女はほしい

休憩室の壁時計を見ると、昼休み終了まであと数分だった。
廊下の向こうからは、編集部へ戻る人たちの足音も聞こえ始めている。
イツキ:なんか不思議ですね。
マリ:なにが?
イツキ:彼女ほしいって話をしてたのに、最後は自分の話になってました。
マリ:恋愛の話って、だいたいそうなるものよ。
イツキ:相手探しの話じゃないんですね。
マリ:もちろん相手も大事。でも、恋愛って結局、自分が何を求めているかを知る作業でもあるから。
イツキ:なるほどなぁ。
イツキは空になったカフェオレのパックを軽く潰した。
昼休みの最初に比べると、少しだけ表情が柔らかくなっている。
マリ:でもね。
イツキ:はい。
マリ:今日の話を聞いていて思ったけど。
イツキ:はい。
マリ:イツキくんは、ちゃんと恋愛したい人なのよね。
イツキ:ちゃんと?
マリ:遊びたいとか、誰でもいいとかじゃなくて。
イツキ:それはないですね。
マリ:誰かと一緒にごはんを食べたいとか、今日あったことを話したいとか。そういう話ばかりしていたでしょう。
イツキ:ああ……たしかに。
マリ:だから焦らなくていいと思うわ。
イツキ:そういうものですか。
マリ:ええ。恋愛をしたい人はたくさんいるけど、人を大事にしたい人は意外と少ないもの。
イツキ:それ、なんか嬉しいですね。
マリ:褒めてるもの。
イツキ:今日は褒められる日だ。
マリ:たまにはいいでしょう。
イツキは少し照れくさそうに笑った。
こういう時、素直に喜べるところは彼の長所かもしれない。
イツキ:でも、マリさん。
マリ:なに?
イツキ:俺、やっぱり彼女はほしいです。
マリ:そこに戻るのね。
イツキ:戻ります。
マリ:いいと思うわ。
イツキ:否定しないんですね。
マリ:どうして否定するの。
イツキ:なんか最後は「恋愛しなくても幸せです」みたいな結論になるのかなと思ってました。
マリ:そんなことないわよ。
イツキ:ですよね。
マリ:恋愛しなくても幸せな人はいる。でも恋愛したい人が恋愛したいと思うのも自然なこと。
イツキ:それなら安心です。
マリ:ただし。
イツキ:また出た。
マリ:彼女ができたら人生完成、みたいには思わないこと。
イツキ:うっ。
マリ:その考え方は危ないわ。
イツキ:耳が痛いです。
マリ:恋人は人生を豊かにしてくれることはある。でも人生そのものになってはいけないの。
イツキ:……なるほど。
マリ:だからまず、自分の人生をちゃんと楽しむこと。
イツキ:楽しそうなプロフィール写真ですね。
マリ:そういうこと。
イツキ:今日そこだけ異様に刺さってるんですよ。
マリ:だって一番分かりやすいじゃない。
イツキ:確かに。
その時、編集部の誰かが休憩室のドアを開けた。
午後の仕事へ戻る時間らしい。
マリ:ほら、昼休み終わり。
イツキ:あ、本当だ。
マリ:午後も頑張りなさい。
イツキ:はい。
イツキは立ち上がり、空の紙パックをゴミ箱へ放り込む。
そして出口へ向かいながら、ふと思い出したように振り返った。
イツキ:マリさん。
マリ:なに?
イツキ:もし彼女できたら、一番最初に報告します。
マリ:楽しみにしてるわ。
イツキ:できなかったら?
マリ:その時はまた休憩室で話を聞く。
イツキ:優しいですね。
マリ:昼休み限定だけどね。
イツキ:時間制なんだ。
マリ:午後から忙しいもの。
イツキ:了解です。
そう言ってイツキは笑いながら休憩室を出ていった。
マリは残ったお茶を飲み干し、小さく肩をすくめる。
恋愛に悩む人は、いつの時代も変わらない。
けれど、そんな話を気軽にできる昼休みも、案外悪くないのかもしれなかった。




