後悔の動物園|人間が捨てた後悔を保護しています【ナツメ式】

今日は、 よく晴れていた。

空は青い。

風も気持ちいい。

動物園日和だった。

ナツメは、 大きく伸びをする。

「今日は平和そうやな」

隣を歩くワニオは、 帽子を押さえながら歩いていた。

「そうでしょうか」

「動物園は案外、考えさせられる場所ですよ」

「動物見るだけやろ」

「今日は少し違います」

曲がり角を抜ける。

古いレンガ造りの門。

蔦が絡まっている。

木製の看板。

そこには、 こう書かれていた。

『後悔の動物園』

ナツメは、 立ち止まった。

「嫌な名前やな」

看板の下には、 小さな注意書き。

『人間が捨てた後悔を保護しています』

さらにその下。

『餌やりはご遠慮ください』

ナツメは首をかしげた。

「後悔って生き物なん?」

ワニオは答える。

「はい」

「人間のものだけですが」

「人間だけなんか」

「猫にも多少あります」

ナツメは、 少し考えた。

「昨日、魚もう一匹食べればよかった」

ワニオはうなずく。

「それくらいでしたら」

「ハムスターくらいでしょう」

「かわいいな」

「育てなければ」

ナツメは笑った。

「育つんか」

ワニオは、 入園券を取り出す。

「はい」

「後悔は生き物ですので」

「考え続けると大きくなります」

ナツメは、 少しだけ嫌な予感がした。

門の向こうから、 動物の鳴き声が聞こえる。

ワン。

チュウ。

ガオー。

そして。

ドスン。

地面が、 少し揺れた。

ナツメは門の向こうを見る。

「今の何や」

ワニオは静かに答えた。

「象です」

「今日は多そうですね」

ナツメは、 まだ何も見えていない園内を見つめた。

「嫌な予感しかせぇへん」

二人は、 ゆっくりと門をくぐった。

目次

象が多すぎる

たくさんの象を観察するナツメとワニオ

門をくぐった瞬間だった。

ドスン。

ドスン。

また地面が揺れた。

ナツメは、 思わず立ち止まる。

目の前を、 巨大な象がゆっくり歩いていた。

一頭。

二頭。

三頭。

……

十頭。

その奥にも。

また象。

また象。

さらに象。

ナツメは、 園内を見回した。

「象、多ない?」

ワニオは、 案内板を確認する。

「はい」

「一番人気のエリアです」

「人気なんか」

「飼育数も年々増えております」

象たちは、 みんな穏やかな顔をしていた。

暴れもしない。

鳴きもしない。

ただ、 静かに歩いている。

ナツメは、 一頭の首輪を見た。

札が付いている。

「好きと言えばよかった」

隣の象。

「会いに行けばよかった」

その隣。

「あの日帰らなければよかった」

さらに奥。

「あと一歩だったのに」

ナツメは、 黙って象を見る。

「恋愛ばっかりやん」

ワニオは、 静かにうなずいた。

「恋愛関係の後悔は」

「非常に長生きします」

「寿命長いんや」

「はい」

「何十年も生きる個体もおります」

ナツメは、 少し離れた場所を見る。

小さな女の子が、 象を見上げている。

お父さんが聞いた。

「大きいね」

女の子は言う。

「この象、なんでこんなに大きいの?」

飼育員は笑った。

「たくさん餌を食べたからですよ」

ナツメは、 ワニオを見る。

「何食べるん?」

ワニオは首を振る。

「まだ秘密です」

「秘密なんか」

「最後にご案内いたします」

そのとき。

一頭の小さな象が、 ナツメの前まで歩いてきた。

まだ子どもだった。

首輪には、 小さく書かれている。

「LINEすればよかった」

ナツメは、 思わず吹き出した。

「最近生まれたんやな」

ワニオは、 名札を確認する。

「生後三週間です」

「増えるの早ない?」

「繁殖ではありません」

「新規保護です」

ナツメは、 園内を見渡した。

象。

象。

象。

どの象も、 誰かの後悔だった。

ナツメは、 小さくつぶやく。

「人間いうんは」

「好きって言わへん生き物なんやな」

ワニオは、 少し考えてから答えた。

「言えなかった人より」

「言わなかった人の方が多いですね」

ナツメは、 一頭の大きな象を見上げた。

「重たそうやな」

ワニオは言った。

「後悔は」

「重たいから大きくなるのではありません」

「大きくしたから重たくなるんです」

ナツメは、 その意味が少しだけ分かった気がした。

そのとき。

園内マップの先に、 不思議な案内板が見えた。

『ソウタ展示エリア』

ナツメは首をかしげる。

「個人展やっとるんか?」

ワニオは、 静かに歩き出した。

ソウタ展示エリア

大量の小型犬のソウタ展示エリア。観察するワニオとナツメ。

ナツメは、 案内板の矢印を見た。

『ソウタ展示エリア』

「個人展やっとるんか」

ワニオは首を横に振る。

「個体差の展示です」

「人間にも種類ありますので」

二人は、 ゆっくり歩いていく。

すると。

象が一頭もいなくなった。

ナツメは、 辺りを見回す。

「おらへんな」

「はい」

「珍しいですね」

そのとき、 奥から聞き慣れた声がした。

「こんにちは〜」

ソウタだった。

園内マップを片手に、 のんびり歩いている。

ナツメは聞いた。

「お前、象おらんの?」

ソウタは、 辺りを見回した。

「ほんとだ」

「いないね〜」

ワニオが答える。

「ソウタさんは」

「告白しない後悔がありません」

ナツメは、 少し感心した。

「珍しい生き物やな」

ワニオは続ける。

「思ったら言いますので」

「後悔になる前に行動します」

ソウタは笑う。

「待てないんだよね〜」

「好きって思ったら」

「言いたくなっちゃう」

ナツメは、 腕……ではなく前足を組んだ。

「ええことや」

「……と思ったけど」

その瞬間だった。

ワン!

ワン!

ワンワンワン!

ものすごい数の犬が、 一斉に吠え始めた。

ナツメは飛び上がる。

「なんやこれ!」

目の前には、 小型犬ばかりが何十匹もいた。

柴犬。

コーギー。

ダックス。

ポメラニアン。

みんな元気に走り回っている。

首輪を見る。

「早すぎた」

隣。

「重かった」

その隣。

「もう少し待てばよかった」

さらに。

「また好きになった」

「言いすぎた」

「勢いだった」

「二回目の告白は早かった」

ナツメは、 ソウタを見る。

ソウタも、 犬を見る。

「増えてる……」

ワニオは、 静かに名簿を確認した。

「先月より七匹増加しております」

「数えるな」

「保管業務ですので」

一匹の柴犬が、 ソウタの足元へ寄ってきた。

首輪には、 こう書いてある。

「あと三日待てばよかった」

ソウタは苦笑した。

「これ覚えてる」

「三日待てなくて告白したんだ」

ナツメは笑う。

「待てる犬の方が多そうやな」

ソウタは頭をかいた。

「でも」

「待ってても後悔した気がする」

ワニオは、 少しだけ微笑んだ。

「その可能性は高いですね」

ナツメは、 犬たちを見回した。

「象おらん思たら」

「犬だらけやん」

ワニオは答える。

「後悔はなくなりません」

「種類が変わるだけです」

ナツメは、 大きく笑った。

「別方向で多いな」

犬たちは、 今日も元気よく走り回っていた。

その隣には、 色とりどりの小動物たちが集まる、 にぎやかなエリアが見えていた。

案内板には、 こう書かれている。

『ミユ展示エリア』

ミユ展示エリア

ミユ展示エリア。可愛い小動物たち。楽しそうに見るナツメとワニオ。

ナツメは、 案内板を見上げた。

『ミユ展示エリア』

「嫌な予感せぇへんな」

ワニオは答える。

「見た目は一番人気です」

ナツメは、 柵の中を覗き込んだ。

「……おるな」

ハムスター。

うさぎ。

リス。

子猫。

ひよこ。

小鳥。

みんな、 元気いっぱい走り回っている。

「かわいいやん」

ワニオは、 静かにうなずく。

「全部後悔です」

「かわいさで誤魔化すな」

ナツメは、 近くにいたハムスターを見る。

首輪には、 小さく書かれていた。

「限定パフェ食べればよかった」

隣のうさぎ。

「推しに手振ればよかった」

リス。

「写真もっと撮ればよかった」

子猫。

「ガチャもう一回引けばよかった」

ひよこ。

「あと五分寝ればよかった」

小鳥。

「かわいいって言えばよかった」

ナツメは、 笑いをこらえた。

「全部ちっちゃいな」

そのとき。

「あーーっ!!」

元気な声が響いた。

ミユだった。

「見ないでよ〜♡」

「恥ずかしいじゃん!」

ナツメは聞く。

「お前、毎日こんなんなん?」

ミユは照れ笑いする。

「しょうがないじゃん♪」

「楽しそうなこと見つけると」

「あとで、やっとけばよかった〜ってなるんだもん」

その瞬間。

ピョン。

新しい白いうさぎが、 檻の中へ現れた。

ナツメは目を丸くする。

「増えた」

ワニオは帳簿を書く。

「新規保護です」

ナツメは、 首輪を見る。

「さっきの限定ドリンク飲めばよかった」

ミユは頭を抱えた。

「もう増えてる〜!」

ワニオは、 淡々と説明する。

「ミユさんの後悔は」

「賞味期限が短いです」

「三日ほどで」

「別の後悔へ入れ替わります」

ナツメは笑う。

「回転率ええな」

ミユは、 うさぎを抱き上げた。

「でもね」

「そのときは本気なんだよ?」

「限定って聞いたら食べたくなるし」

「推しが目の前にいたら緊張するし」

「寝坊した日は、あと五分って思うし」

ナツメは、 小さな動物たちを見る。

みんな、 元気だった。

誰も苦しそうじゃない。

ワニオは言った。

「小さな後悔は」

「笑い話になりやすいです」

「ですから」

「大きく育ちません」

ミユは、 少し安心したように笑った。

「よかったぁ♪」

ナツメは、 檻を見渡す。

「後悔いうより」

「思い出やな」

ミユは、 小さくうなずいた。

「うん♪」

「次は絶対食べる!」

ワニオは、 静かに付け加えた。

「来月には」

「別の限定パフェが発売されます」

ミユは固まった。

「……また増えるじゃん。」

ナツメは大笑いした。

「永久展示決定やな」

三人の笑い声の向こう。

ひときわ低い唸り声が聞こえた。

ガルル……。

案内板には、 力強い文字が書かれていた。

『ミサキ展示エリア』

ミサキ展示エリア

虎の頭を撫でるミサキ。観察するワニオとナツメ。

ガルル……。

低い唸り声が、 園内に響いていた。

ナツメは、 思わず足を止める。

「今度は怖そうやな」

ワニオは、 案内板を確認した。

『ミサキ展示エリア』

二人は、 ゆっくり檻へ近づいた。

そこには、 象はいなかった。

犬もいない。

うさぎもいない。

代わりに。

虎がいた。

一頭。

二頭。

三頭。

みんな、 堂々と歩いている。

ナツメは、 少し距離を取った。

「近寄りたないな」

ワニオは答える。

「危険ではありません」

「後悔ですので」

「十分危険や」

ナツメは、 一頭の首輪を見る。

「欲しかった会社」

隣。

「欲しかった賞」

さらに隣。

「勝ちたかった」

一番大きな虎。

「欲しかった人生」

ナツメは首をかしげた。

「恋ちゃうんや」

ワニオは静かに答える。

「ミサキさんの場合」

「恋愛も仕事も」

「すべて『欲しい』で分類されます」

「雑やな」

「分かりやすいとも言えます」

そのとき。

ヒールの音が響いた。

コツ。

コツ。

「人の檻で何してるの?」

ミサキだった。

ナツメは、 虎を見る。

ミサキを見る。

また虎を見る。

「似とるな」

ミサキは笑う。

「そう?」

一頭の虎が、 ミサキの足元へ歩いてきた。

猫みたいに、 体をすり寄せる。

ナツメは驚いた。

「懐いとる」

ワニオは説明する。

「長く飼われていますので」

ナツメは、 ミサキへ聞いた。

「逃がさんの?」

ミサキは、 虎の頭を優しく撫でた。

「まだ飼ってるだけよ」

「全部なくなったら」

「つまらないじゃない」

ナツメは苦笑する。

「そのうち食われるで」

ミサキは、 虎を見つめた。

「食べられるくらいなら」

「追いかける方が好き」

ワニオは、 帳簿を閉じた。

「非常にミサキさんらしい回答です」

その瞬間だった。

ガルル……。

一番奥の大きな虎が、 ゆっくり立ち上がった。

首輪を見る。

「まだ諦めていない」

ナツメは、 少しだけ笑った。

「それ」

「後悔なんか?」

ワニオは、 少し考えた。

「境界線ですね」

「後悔が」

「夢へ戻ることもあります」

ナツメは、 大きな虎を見る。

虎は檻の奥で、 静かにこちらを見返していた。

「全部が悪いもんでもないんやな」

ワニオは、 静かにうなずいた。

「飼い方次第です」

そのとき。

遠くで、 小さな鳥のさえずりが聞こえた。

チュン。

チュン。

案内板には、 小さく書かれていた。

『ケンジ展示エリア』

ケンジ展示エリア

飛び立つスズメ。見送るケンジとナツメとワニオ。

チュン。

チュン。

さっきまでの象も。

虎も。

犬も。

何もいない。

そこには、 小さな檻が一つだけあった。

ナツメは、 首をかしげる。

「終わり?」

ワニオは答えた。

「終わりです」

檻の中には、 一羽のスズメが止まっていた。

静かだった。

飛び回ることもない。

鳴き続けることもない。

ただ、 枝の上にいる。

ナツメは、 首輪を見る。

小さな文字。

「もっとギターを弾けばよかった」

ナツメは、 少し黙った。

「一羽だけか」

そのとき。

「お、来てたのか」

ケンジだった。

ギターケースを肩にかけ、 缶コーヒーを飲んでいる。

ナツメは聞いた。

「後悔少ないな」

ケンジは、 スズメを見る。

「少なくなったんだよ」

「昔は?」

「もっといた」

「象もいたし」

「犬もいた」

「サルもいたな」

ナツメは驚く。

「動物園やん」

「そうだったよ」

ケンジは笑った。

「でも」

「年取ると逃げていくんだ」

ナツメは、 スズメを見る。

「なんで?」

ケンジは少し考えた。

「許したのかもな」

「忘れたのかも」

「どっちでもいいけど」

「今さら抱えて歩くには重かった」

ワニオは静かに言う。

「長く飼われた後悔は」

「自然へ返ることがあります」

「珍しい現象ですが」

ナツメは、 スズメへ近づいた。

「お前は帰らへんの?」

スズメは、 小さく鳴いた。

チュン。

ケンジは笑う。

「こいつはな」

「まだ間に合うから」

ギターケースを軽く叩く。

「今日帰ったら弾くよ」

その言葉を聞くと、 スズメは羽を広げた。

パタパタ。

檻の扉は、 いつの間にか開いていた。

スズメは、 空へ飛び立つ。

チュン。

チュン。

青空へ、 小さく消えていった。

ナツメは、 その姿を見送る。

「逃げた」

ワニオは首を横に振る。

「卒園です」

ナツメは、 少し笑った。

「ええ動物園やな」

ワニオは答える。

「いいえ」

「本当に良い動物園でしたら」

「閉園しております」

ナツメは、 園内を見渡した。

象。

犬。

虎。

小さな動物たち。

まだ、 たくさん残っている。

「まだ閉園は無理そうやな」

ワニオは、 静かにうなずいた。

「はい」

「まだ餌をあげ続ける方が多いようです」

ナツメは、 その言葉が少し気になった。

「餌?」

ワニオは、 園内の一番奥を指差した。

「最後に」

「飼育員をご紹介します」

後悔動物の餌は「もしも」。看板を見ながら帰るナツメとワニオ。

園内の一番奥。

そこだけ、 少し空気が違っていた。

静かだった。

ナツメとワニオは、 ゆっくり歩いていく。

象たちが、 一か所へ集まっている。

その中心には、 白い作業服を着た飼育員がいた。

大きな袋を抱えている。

ナツメは聞いた。

「ごはんの時間か」

「はい」

ワニオは静かに答えた。

飼育員は、 袋を開ける。

ナツメは、 袋の文字を見た。

大きく、 こう書かれている。

「もしも」

ナツメは、 首をかしげた。

「それ何や」

ワニオは答える。

「後悔の餌です」

飼育員は、 象の前へ餌を置く。

象は、 ゆっくり食べ始めた。

一口。

また一口。

そのたびに。

ドスン。

ドスン。

ほんの少し、体が大きくなる。

ナツメは目を丸くした。

「育っとる」

「はい」

ワニオは、 寂しそうに言った。

「人間は毎日」

「餌を与えますので」

「誰が?」

「本人です」

ナツメは、 黙った。

ワニオは続ける。

「もし、あのとき」

「もし、違う道を選んでいたら」

「もし、あの人に会っていたら」

「もし、言えていたら」

「もし」

「もし」

「もし」

「そうやって」

「少しずつ餌を与えます」

ナツメは、 さっき見た象を思い出した。

「好きと言えばよかった」

「会いに行けばよかった」

「LINEすればよかった」

どの象も、 誰かが今日も餌をあげている。

だから、 生き続けている。

そのとき。

小さな男の子が、 象を見つめながら聞いた。

「おじさん」

「餌あげてもいい?」

飼育員は、 優しく笑った。

「だめだよ」

「大きくなりすぎるからね」

男の子は、 不思議そうにうなずいた。

ナツメは、 その言葉を聞いていた。

出口へ向かって歩く。

門の横。

入るときには、 気にも留めなかった看板。

そこには、 こう書かれていた。

「後悔への餌やりは禁止です。」

ナツメは、 しばらく看板を見つめた。

それから、 小さく笑う。

「人間」

「字ぃ読まへんなぁ」

ワニオは、 静かに門を閉めた。

「読めます」

「やめられないだけです」

門の向こうから、 象の足音が聞こえる。

ドスン。

ドスン。

ナツメは、 振り返らなかった。

「また来るわ」

ワニオは、 少しだけ笑った。

「次に来られる頃には」

「新しい動物が増えていると思います」

ナツメは空を見上げる。

「できれば」

「減っとる方がええな」

風が吹く。

動物園の看板が、 小さく揺れた。

『後悔の動物園』

今日も、 新しい後悔を待っていた。

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