午後の編集部。
ひと仕事終えたミユが、椅子の背にもたれながらスマホをいじっていた。
ミユ: ねえ、ちょっと聞いていい?
ナナ: その言い方、だいたい恋バナね
ミユ: バレた(笑)
少し離れた席でコーヒーを飲んでいたリクも、なんとなく顔を上げる。
マリは資料を閉じて、静かにミユを見る。
ミユ: もしさ、昔めちゃくちゃ好きだった元カレに、もう一回付き合いたいって言われたらどうする?
ナナ: また急だね
リク: それだけなら、状況によるんじゃないですか?
ミユ: まだあるの
ナナ: 条件追加する気だ
ミユ: 今、恋人がいる
一瞬だけ、三人が黙った。
リク: ……急に難しくなりましたね
ナナ: それ最初に言いなさいよ(笑)
ミユ: でもさ、昔ちょっと好きだった人じゃないんだよ。すごい好きだった人ね
マリ: そこ大事なんだ
ミユ: 大事でしょ。人生で一番好きだったかも、くらいの人
ナナ: どんどん強くなるなあ
リク: それで今の恋人とも普通に付き合ってるんですよね?
ミユ: うん。特に大きな不満もない
ナナ: うわ、それ一番イヤなやつ
ミユ: でしょ?
誰かの相談でもなければ、今まさに起きている話でもない。
ただの思いつきだったはずなのに、四人とも少しだけ考え込んでいた。
昔、本気で好きだった人。
今、隣にいる人。
もしその二人が同時に心の中に並んだら。
そんな、答えの出しにくい恋バナが始まった。

そもそも、揺れる?

ミユ: あたしは絶対ちょっと揺れると思う
ナナ: 早いね
ミユ: だって、めちゃくちゃ好きだった人だよ? 急に目の前に来て、もう一回って言われたら、何も感じない自信ないもん
リク: 揺れること自体は、あるかもしれないですね
ミユ: でしょ?
ナナ: でも、揺れるのと戻るのは別じゃない?
ミユ: それはそうなんだけどさ
ナナ: 昔すごく好きだったってだけで、今の恋人を置いてすぐ戻るかって言われたら、私は違うかな
リク: 僕もそっちですね。今付き合っている人がいるなら、まずその関係を無視できないと思います
ミユ: 二人ともちゃんとしてるなあ
ナナ: ミユが最初から感情100%で来てるだけよ(笑)
ミユ: だって恋バナじゃん。まず本音でしょ
ミユがそう言うと、マリが小さく笑った。
マリ: でも、ミユの言うことも分かるよ
ミユ: マリさん!
マリ: 本当に好きだった人なら、心が動くことくらいはあるんじゃないかな。今の恋人がいるからって、昔の気持ちまで全部消えてるとは限らないし
リク: そうですね
マリ: だから、揺れた自分を見てすぐに「今の恋人を好きじゃないんだ」って決めなくてもいいと思う
ナナ: ああ、それはあるかも
ミユ: なんかちょっと安心する
ナナ: ミユ、何も起きてないんでしょ?
ミユ: 起きてないけど(笑)
リク: ずいぶん当事者みたいに聞いてましたね
ミユ: 想像したらもう当事者なの
マリ: ただね、昔すごく好きだった人って、ちょっと特別なんだと思う
ミユ: 特別?
マリ: 今のその人だけじゃなくて、その人を好きだった頃の自分とか、一緒にいた時間まで思い出すでしょう?
さっきまで勢いよくしゃべっていたミユが、少しだけ黙った。
ミユ: ……それ、強いなあ
ナナ: 元恋人本人だけが帰ってくるわけじゃないってことね
マリ: うん。思い出も一緒に帰ってくるから
リク: そう考えると、揺れること自体はそんなに不思議じゃないですね
ミユ: じゃあやっぱり、みんなちょっとは揺れるんじゃん
ナナ: だからって復縁するとは言ってない(笑)
ミユ: そこはまだこれからでしょ
どうやらミユの中では、すでに次の条件が用意されているらしい。
昔すごく好きだった、は強い

ミユ: じゃあさ、もうちょっと条件足していい?
ナナ: やっぱり来た
リク: まだ難しくするんですか?
ミユ: 例えば、嫌いになって別れたわけじゃないの
ナナ: ほう
ミユ: 遠距離とか、仕事とか、タイミングが合わなくて別れた感じ
リク: それはだいぶ変わりますね
ミユ: でしょ!
ナナ: 嬉しそうに難易度上げるなあ(笑)
ミユ: だって、そういう相手から今さら「やっぱり忘れられなかった」って言われたらどうするの?
リク: それは……確かに揺れそうです
ミユ: リクくん落ちた!
リク: 落ちてないです(笑)。揺れるって言っただけです
ナナ: でも分かるよ。別れた理由が気持ちじゃなかったなら、「あのとき別れなくて済んでたら」って考えちゃうかもね
マリ: 終わった恋というより、途中で止まった恋みたいに感じるのかもしれないね
ミユ: あー、それはズルい
ナナ: 何がズルいのよ(笑)
ミユ: だって、ちゃんと嫌いになって終わったならまだ分かるじゃん。でも途中で止まってた恋が、何年か経って急に再開するんだよ?
リク: ドラマにしすぎじゃないですか
ミユ: 恋バナはちょっとくらいドラマにしていいの
ナナ: じゃあ初恋だったら?
ミユ: それ最強じゃん!
リク: さらに足します?
ナナ: ミユだけ条件追加するの悔しいから(笑)
ミユ: 初恋で、めちゃくちゃ好きで、嫌いになって別れたわけじゃなくて、その人から復縁したいって言われる
リク: もう今の恋人がかなり不利ですね
ナナ: 何も悪いことしてないのにね
四人とも笑った。
ミユ: でもさ、今の恋人からしたらたまったもんじゃないよね。「昔の思い出が強すぎるからごめん」なんて言われても
ナナ: そりゃそうよ
マリ: だからこそ、昔好きだった気持ちがそのまま今の気持ちなのかは、少し考えた方がいいかもしれないわね
ミユ: どういうこと?
マリ: 久しぶりに会ったときって、昔の時間まで急に近く感じるでしょう? その人を今も好きなのか、それとも、あの頃の気持ちが懐かしいのか。自分でもすぐには分からないことがあるから
リク: ああ……確かに
ナナ: 昔めちゃくちゃ好きだったって、それだけでちょっと補正かかるもんね
ミユ: でも本人が目の前にいたら、そんな冷静に考えられるかなあ
マリ: 考えられないかもしれないね
ミユ: マリさん、そこは否定してくれないんだ(笑)
マリ: 恋愛って、いつも冷静にできるものでもないでしょう?
ナナ: 大人の説得力が強い
リク: でも、そうなると余計に難しいですね
ミユ: だから聞きたいの。結局さ、今の恋人と昔すごく好きだった人、どっちを見るの?
ナナ: とうとう本題来たね
軽い恋バナのつもりだったのに、いつの間にか全員少しだけ真面目な顔になっていた。
でも、今の恋人はどうなる?

リク: 僕はやっぱり、元恋人に戻るかどうかより先に、今付き合っている人をどう思っているかだと思います
ミユ: うわ、急に現実に戻された
ナナ: でもそこ大事よね
リク: 元恋人が現れなかったら、このまま今の恋人と付き合っていたのか。そこは結構大きい気がします
ミユ: それ言われるとイヤだなあ
ナナ: 何が?
ミユ: だって、元恋人が来なかったら普通に幸せだったのに、来た瞬間に急に迷い始めるんでしょ?
ナナ: まあ、そういう設定だからね(笑)
ミユ: 今の恋人からしたら「俺、何もしてなくない?」ってなるじゃん
リク: そこなんですよ
ナナ: 今の恋人、ずっと無傷で巻き込まれてるよね
ミユ: かわいそうになってきた
マリ: でも、だからって迷った時点で悪い人になるわけでもないと思うわ
ミユ: そうなの?
マリ: 気持ちって、予定通りには動かないでしょう? 大事なのは、その後どうするかじゃないかな
リク: それはそうですね
マリ: ただ、元恋人が戻ってきたから迷っているのか、それとも、もともと今の恋に何か引っかかっていたのか。それは少し違うと思う
ナナ: ああ、それは分けて考えたいかも
ミユ: 例えば?
ナナ: 今の恋人とうまくいってなくて、そこに元彼が来たなら、元彼だから揺れたのか、ただ逃げ道っぽく見えたのか分からないじゃん
ミユ: うわ、さらに分かんなくなった
リク: 恋バナなのに、どんどん難しくしてません?
ナナ: 最初に条件足しまくったのミユだからね
ミユ: でもさ、もし今の恋人のこともちゃんと好きだったら?
リク: それが一番難しいですね
ミユ: でしょ? 今の人も好き。昔の人も、やっぱり特別。これどうするの?
ナナ: もう二択クイズみたいに聞くのやめなさいよ(笑)
マリ: たぶん、誰かが正解を教えてくれる話じゃないんだよね
ミユ: マリさんならどうする?
ミユに聞かれて、マリは少しだけ考えた。
マリ: すぐには決めないかな
ナナ: おお
マリ: 昔の人に会った直後って、気持ちが大きく動いてるから。その勢いで何か決めるのは、ちょっと怖いでしょう?
リク: 一度時間を置くってことですか
マリ: うん。今の人といる自分と、昔の人を思い出してる自分。両方ちゃんと見てから考えるかな
ミユ: それが一番大人だなあ
ナナ: ミユだったらその日の夜に友達全員に電話してそう
ミユ: する(笑)
リク: そして意見を聞きすぎて余計分からなくなるやつですね
ミユ: それもする
笑いが起きて、さっきまで少し重くなっていた空気が戻る。
昔の恋も気になる。
でも、今の恋もそこにある。
どちらかを選ぶ話になる前に、まず自分の気持ちがどこにいるのか。
そこから考えないと、たぶん何も始まらない。
昔の恋はちょっとズルい

ミユ: なんかさ、昔すごく好きだった人ってズルくない?
リク: 本人、まだ何もしてないですよ(笑)
ミユ: いや、復縁したいとは言ってるけどさ。そうじゃなくて、存在がズルい
ナナ: 存在がズルいはひどいな(笑)
ミユ: だって今の恋人は今の自分だけで勝負してるのに、元恋人は思い出まで一緒に連れてくるじゃん
ナナ: ああ、それはちょっと分かる
リク: 思い出込みで見ちゃうってことですね
ミユ: そう。初めて手つないだとか、あの時すごい好きだったとか、別れたあと泣いたとか。全部ついてくる
ナナ: 現役彼氏、戦力的に不利ね
ミユ: そうなの! 一人で戦ってるのに、元彼は思い出軍団つきなの
リク: なんですか、思い出軍団って(笑)
マリ: でも、思い出ってきれいなところだけ残ることもあるからね
ミユ: あー……
マリ: 一緒にいた頃は、もちろん嫌だったこともあったはずなのに。時間が経つと、好きだった気持ちの方が強く残ってたりするでしょう?
ナナ: 昔の恋ほど名作化しやすいのよね
リク: 実際にもう一度付き合ったら、「こんな感じだったっけ」ってなる可能性もありますよね
ミユ: それ怖いなあ。思い出の中では超いい男なのに
ナナ: 勝手に超いい男にされてる元彼も大変ね
マリ: だから、昔すごく好きだった人に心が動くのは自然だけど、その気持ちだけで昔に戻れるとは限らないんだと思う
ミユ: じゃあマリさんは、今の人を選ぶ?
マリ: それはその時にならないと分からないかな
ミユ: そこは答えないんだ
マリ: だって、恋愛って条件だけ並べても決められないでしょう?
ナナ: それ言ったら今日の恋バナ全部終わっちゃう(笑)
リク: でも結局そうなのかもしれませんね
ミユ: じゃあ今日の結論は?
ナナ: ない
ミユ: 早っ
ナナ: 昔の人に戻る人もいるし、今の人を選ぶ人もいるし、どっちも選ばない人だっているでしょ
リク: 無理に答えを出す話でもないですね
ミユ: でも、揺れるくらいは許してほしい
マリ: それくらいは、自分に許してあげてもいいんじゃない?
ミユ: よし。じゃあもし人生で一番好きだった元カレが現れても、まず揺れることにする
ナナ: まず今の彼氏を作りなさいよ(笑)
ミユ: あ
リク: そこからでしたね
午後の編集部に笑い声が広がる。
結局、昔の恋と今の恋、どちらを選ぶのが正しいのかは分からなかった。
ただ、昔すごく好きだった人は、本人だけでは帰ってこない。
好きだった頃の自分や、忘れたつもりだった時間まで一緒に連れてくる。
だから少しくらい心が揺れるのは、きっと不思議なことではない。





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