ある日の、こいこと。編集部。
ツムギ:こんにちはー!
勢いよく扉が開く。
アカリ:あ、ツムギちゃん来た
ナナ:いらっしゃい
ツムギ:今日は差し入れ持ってきました!
ツムギ:ミサキ様おすすめのドーナツ屋さんです!
ミサキ:わたしのおすすめじゃなくて、あなたが勝手にハマった店でしょ
ツムギ:でも最初に教えてくれたのミサキ様です!
アカリ:完全になついてる(笑)
ナナ:ほんと素直ね、この子
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最近、ツムギはちょくちょく編集部に遊びに来るようになっていた。
ソウタへの告白返答回以来、妙にこいこと。メンバーとの距離が縮まったのだ。
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ツムギ:あれ?
ツムギ:今日、人多いですね
アカリ:あ、そうだ
アカリ:ツムギちゃん、まだマリさん会ってないじゃん
ツムギ:マリさん?
ナナ:こいこと。のお姉さん枠
ミサキ:……お姉さんっていうか
ミサキ:“深い人”よね
ナナ:なによその紹介(笑)
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そのとき、奥の給湯スペースからゆっくり声がした。
マリ:ふふ、聞こえてるわよ
……。
ツムギがそちらを見る。
柔らかいブラウンの髪。
落ち着いた空気。
派手ではないのに、なぜか自然と目が行く。
マリ:初めまして、ツムギちゃん
マリ:マリよ
ツムギ:……。
ツムギが、じっとマリを見る。
アカリ:あ、なんか珍しく止まってる
ナナ:ね(笑)
ツムギ:……マリさんって
ツムギ:なんか、おうちの匂いしそうです
……。
アカリ:また変な感想きた(笑)
ナナ:でもちょっとわかるのよね
マリ:ふふ
マリ:落ち着くって意味なら、嬉しいわ
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ミサキは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
ツムギは、人懐っこい。
でも基本的には、“勢い”や“面白さ”に反応するタイプだ。
なのに今は——
妙に静な感じだった。
⸻
ミサキ:……。
この人、ほんと不思議なのよね。
前に出るわけじゃない。
空気を支配しようともしない。
でも——
なぜか、その場の温度がこの人に合わせられていく。
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ツムギ:マリさんって、優しいですね!
マリ:そうかしら
ツムギ:はい!でもなんか……
ツムギ:ただ優しい人って感じじゃないです!
……。
ナナ:お、わかる?
アカリ:ツムギちゃん意外と鋭い
ミサキ:ええ
ミサキ:この人、たぶん“いろいろ通ってきてる”のよ
マリ:やめてちょうだい、年齢重ねるとみんなそうなるの
ナナ:いや、マリさんはちょっと別(笑)
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ツムギは、まだ恋を知らない。
でも——
人の“深さ”には、案外敏感なのかもしれなかった。

「強い女」って、どんな人?
ツムギ:あの
ツムギ:マリさんって、強い女って感じします
……。
アカリ:お、急にテーマ始まった(笑)
ナナ:でもわかるわね
マリ:そうかしら?
ツムギ:はい!
ツムギ:なんか、“静かな強さ”って感じです!
ミサキ:へぇ
ミサキ:面白い表現するじゃない
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アカリ:でもさ、“強い女”って人によって違うよね
ナナ:わたしは、ちゃんとぶつかれる女かな
ナナ:言いたいこと飲み込んでばっかだと、結局しんどくなるし
アカリ:あー、それナナさんっぽい
ミサキ:わたしはね
ミサキ:欲しいものを、自分で取りに行ける女
ナナ:あんたそれブレないわね(笑)
ミサキ:当然でしょ
ミサキ:待ってるだけで手に入るものなんて、大体ショボいのよ
アカリ:強い(笑)
⸻
リク:アカリさんはどうですか?
アカリ:うちはー……
アカリ:ちゃんと自分の気持ち言える人かなぁ
アカリ:好きなら好きって言えるとか
アカリ:無理なら無理って言えるとか
ナナ:それも強さよね
ミサキ:感情から逃げないタイプの強さ
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ツムギ:マリさんはどうですか?
ツムギ:自分では、自分のこと強いと思います?
……。
マリは少しだけ考える。
急いで答えない。
でも、その沈黙が不思議と重くならない。
マリ:どうかしらね
マリ:昔はもっと、勝ち負けで考えてた気がするわ
……。
ミサキ:へぇ
少しだけ、ミサキの目が細くなる。
マリ:でも今は——
マリ:無理に戦わなくても、自分を失わない人が強いんじゃないかしら
⸻
アカリ:……なんか深い
ナナ:マリさんっぽいわねぇ
ツムギ:自分を失わない……
アカリ:相手に合わせすぎない、という意味?
マリ:そうね
マリ:恋愛でも人間関係でも
マリ:頑張りすぎて、自分が空っぽになっちゃう人っているでしょう?
アカリ:あー……いる
ナナ:恋愛全振りタイプね
マリ:もちろん、誰かを大事にするのは素敵なことよ
マリ:でも——
マリ:自分まで壊してしまったら、長くは続かないの
……。
編集部が少し静かになる。
マリの声は、強くない。
むしろ穏やかだ。
なのに、不思議と耳に残る。
⸻
ツムギ:マリさんって、なんか……
ツムギ:いっぱい恋してきた人って感じします
ナナ:ははっ、まあそうね
アカリ:それは絶対そう
マリ:ふふ
マリ:どうかしらね
ミサキ:……。
ミサキは、マリを見る。
この人は、たぶん。
“優しいから優しい”んじゃない。
いろんなものを通り抜けたあとで、今の優しさを選んでいる。
そんな気がした。

“深い人”って、どういう人なんですか?

ツムギ:でも、マリさんって不思議です
マリ:不思議?
ツムギ:はい!
ツムギ:なんか、優しいんですけど……
ツムギ:“ただ優しい人”って感じじゃないです
……。
アカリ:あー、それちょっとわかる
ナナ:わかるわねぇ
ミサキ:この子、妙なところ鋭いのよ
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ツムギ:なんて言うんだろう……
ツムギ:近くにいると落ち着くんですけど
ツムギ:たぶん、ちゃんと怒るときは怒る人って感じがします
アカリ:あ、それだ
ナナ:ただ甘やかすタイプじゃないのよね
マリ:ふふ
マリ:そんなに見抜かれてるのかしら
⸻
ミサキ:でも実際、マリさんって“流されない”のよね
ナナ:わかる
ナナ:空気には合わせるんだけど、飲まれないの
アカリ:あー、それ強い人だ
ツムギ:飲まれない……
⸻
マリ:でも、若い頃は全然そんなことなかったのよ
アカリ:え、そうなんですか?
マリ:感情でぶつかってばかりだったし
マリ:勝ちたいとか、認められたいとか
マリ:そういうの、今よりずっと強かったわね
……。
ミサキ:へぇ
ミサキが目を細める。
ナナ:なんかちょっと想像できる(笑)
アカリ:でも今と全然違う!
マリ:ふふ
マリ:年齢もあるんじゃないかしら
マリ:いろんなものを抱えたまま生きていけるようになるの
⸻
ツムギ:抱えたまま……?
マリ:そう
マリ:若い頃って、“答えを出さなきゃ”って思いやすいでしょう?
マリ:でも、大人になると
マリ:答えが出ないまま、一緒に生きていくことも増えるのよ
……。
アカリ:うわ、なんか刺さる
ナナ:深夜二時の会話みたいになってきたわね(笑)
ミサキ:嫌いじゃないわよ、そういうの
⸻
ツムギ:じゃあ……
ツムギ:マリさんは、“わからないまま”でも平気なんですか?
マリ:平気というより
マリ:“無理に答えを作らない”ようになったのかもしれないわね
リク:それは大きい変化ですね
マリ:無理に白黒つけたくなる時期もあるのよ
マリ:でも、それで壊れるものもあるから
⸻
ミサキ:……。
ミサキは静かにマリを見る。
この人は、たぶん。
“答えを急いで壊した側”の人間だ。
だから今、こんなに穏やかなのかもしれない。
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ツムギ:マリさんって、“深い人”って感じします
ナナ:さっきから語彙がふわっとしてるのよ(笑)
ツムギ:でも、深いです!
ツムギ:なんか……
ツムギ:“いっぱい泣いたあとに優しい人”って感じします
……。
少しだけ、空気が止まる。
アカリ:うわ……
ナナ:それは、ちょっとすごいわね
マリ:ふふ
マリ:どうかしらね
でもその笑い方は、否定していなかった。
恋を知らないツムギと、“急がなくなった”マリ
ツムギ:なんか、今日すごい不思議です
アカリ:なにが?
ツムギ:マリさんと話してると
ツムギ:“急がなくていい”って感じになるんです
……。
ナナ:あー、それはある
アカリ:わかるかも
ミサキ:この編集部で一番“急がない人”かもしれないわね
マリ:ふふ
マリ:昔は、なんでも急いでたのよ
マリ:答えも、結果も、気持ちも
マリ:“今すぐ欲しい”って思ってたわ
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ツムギ:でも今は違うんですか?
マリ:そうねぇ
マリ:待っても変わらないものもあるし
マリ:逆に、待たないと見えないものもあるって知ったからかもしれないわね
ツムギ:経験から来る感覚ですね
ナナ:若い頃って、“今答え出さなきゃ終わる”って思いやすいのよね
アカリ:うち今ちょっとそれあるかも……
ミサキ:若さって、基本せっかちなのよ
ミサキ:欲しいものを“今”欲しがるから、面白いんだけど
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ツムギ:じゃあマリさんは、恋愛でも待てるんですか?
マリ:待てるというより
マリ:無理に動かそうとしなくなったのかもしれないわね
ツムギ:動かそうとしない……
マリ:人の気持ちって、力を入れたから変わるものでもないでしょう?
マリ:だから、“変わる時は変わる”くらいでいる方が楽なの
……。
アカリ:うわ、大人……
ナナ:でもその境地まで行くの大変なのよ(笑)
⸻
ツムギ:なんか……
ツムギ:マリさんのお話聞いてると
ツムギ:“好き”がわからなくても、そんなに焦らなくていい気がしてきます
マリ:ええ
マリ:焦って作るものでもないと思うの
マリ:ちゃんと来る時は、来るんじゃないかしら
ミサキ:……甘いですよ
マリ:そう?
ミサキ:わたしは、“来るのを待つ恋”なんて性に合わないもの
ナナ:あんたはそうでしょうね(笑)
アカリ:ミサキさん、全力ダッシュって感じだもん
ミサキ:当然でしょ
ミサキ:欲しいなら、自分から行くわよ
⸻
ツムギ:でも、なんか……
ツムギ:ミサキ様とマリさん、全然違うのに
ツムギ:ちょっと似てます
……。
アカリ:え!?
ナナ:それは予想外
ミサキ:どこがよ
ツムギ:えっと……
ツムギ:“自分の気持ちを誤魔化さない感じ”です!
⸻
ミサキが、一瞬止まる。
ミサキ:……。
ナナ:あー……
アカリ:なるほどねぇ
ナナ:たしかに、本質は近いのかも
マリ:ふふ
マリ:ツムギちゃん、面白い見方するのね
ツムギ:えへへ
ミサキ:……まあ、嫌いじゃない分析だわ
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恋を知らないツムギは、
恋を急ぐ女と、
恋を急がなくなった女を見ていた。
そしてそのどちらにも、
“ちゃんと自分で生きている強さ”を感じていたのかもしれない。
その日、ツムギはずっとマリの隣にいた。
特別なことを話していたわけじゃない。
恋愛テクニックでもなければ、人生論でもない。
ただ、ゆっくり話して。
ゆっくり笑って。
ときどき静かになる。
——それだけだった。
⸻
ツムギ:なんか不思議です
ツムギ:マリさんといると、落ち着きます
マリ:ふふ
マリ:それならよかったわ
ツムギ:恋って、まだわからないんですけど
ツムギ:こういう感じは、好きです
……。
アカリ:あ、それめっちゃ大事な気がする
ナナ:わかるわね
⸻
ミサキ:でも、ツムギ
ミサキ:安心と恋は別物よ?
ツムギ:はい!
ツムギ:それは今日ちょっとわかりました!
ナナ:理解早いわね(笑)
ツムギ:でも、恋がわからなくても
ツムギ:“一緒にいて落ち着く人”は大事なんだなって思いました
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マリは、その言葉に少しだけ目を細めた。
マリ:ええ
マリ:それは、すごく大事なことだと思うわ
マリ:恋って、ドキドキだけじゃ続かないもの
マリ:最後は、“安心して隣にいられるか”になる気がするの
……。
アカリ:うわぁ……
ナナ:説得力あるのよねぇ
ミサキ:ずるいわよね
ミサキ:こういうこと、サラッと言うの
マリ:ずるいかしら?
ミサキ:ええ
ミサキ:“経験した人の言葉”って、強いのよ
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その言い方は、どこか悔しそうで。
でも同時に、少しだけ尊敬も混ざっていた。
⸻
ツムギ:じゃあわたし、もうちょっとゆっくり考えてみます!
アカリ:お、ソウタどうなるかな(笑)
ナナ:あいつ今ごろ期待して震えてるわよ
ミサキ:惚れ男だからね
マリ:ふふ
マリ:でも、誰かを好きになろうとする時間って、悪いものじゃないと思うわ
⸻
恋を急ぐ人がいる。
恋を怖がる人がいる。
そして——
恋を、まだ知らない人もいる。
でもきっと、どの形にも意味がある。
そのことを、ツムギは少しずつ知り始めていた。



