お盆が明けたばかりの午後。
「こいこと。」編集部は、まだ少しだけ休みの空気を引きずっていた。
出勤しているのはナナとミユの二人。
パソコンは開いている。
一応、開いてはいる。
ただ、さっきからミユが真剣に向き合っているのは、コンビニで買ってきたアイスだった。
ミユ:「暑い……。休み明けって、なんでこんなに働きたくないんだろ」
ナナ:「休み前も似たようなこと言ってなかった?」
ミユ:「あのときは休み前だから働きたくなかったの」
ナナ:「じゃあ、いつ働くのよ」
ミユ:「秋かな」
ナナ:「ずいぶん先ね」
ナナは呆れながらアイスコーヒーを飲んだ。
ミユは棒についた最後のアイスを名残惜しそうにかじっている。
窓の外では、夏の日差しがまだ容赦なく街を照らしていた。
ミユ:「そういえばナナさん、お盆って何してた?」
ナナ:「実家に顔出したくらい。親戚が集まって、食べて、飲んで、帰ってきた」
ミユ:「なんかお盆っぽい」
ナナ:「あんたは?」
ミユ:「ほぼ家。あと夜中に怖い動画見て、トイレ行けなくなった」
ナナがカップを置いた。
ナナ:「怖い話、苦手なの?」
ミユ:「苦手っていうか……種類による」
ナナ:「種類?」
ミユ:「いかにも幽霊です!ってやつは意外と平気。白い服の女が立ってましたとか」
ナナ:「へえ」
ミユ:「でも、普通にありそうなやつは嫌」
ナナ:「たとえば?」
ミユ:「知らない番号から電話かかってくるとか。家に帰ったら何かの位置がちょっと変わってるとか」
ナナ:「ああ。日常に混ざってくるやつね」
ミユ:「そう、それ。逃げ場ない感じするじゃん」
ナナが少しだけ笑った。
その顔を見て、ミユの手が止まる。
ミユ:「……なに、その顔」
ナナ:「いや、ちょうどいい話を思い出しただけ」
ミユ:「聞かない」
ナナ:「まだ何も言ってないけど」
ミユ:「絶対イヤなやつじゃん」
ナナ:「大した話じゃないわよ。知り合いから聞いた話」
ミユ:「その『知り合いから聞いた』がもう怪談の始まりなんだよ」
ナナは無視して続けた。
ナナ:「大学進学で、一人暮らしを始めた男の子がいたの」
ミユ:「始めちゃったよ……」
ナナ:「で、お盆に実家へ帰省して――」
ミユ:「ねえ、今から仕事しない?」
ナナ:「さっき秋から働くって言ってたじゃない」
ミユ:「今日から心を入れ替える」
ナナ:「もう遅い」
逃げようとするミユを横目に、ナナは何でもない話でもするような口調で続ける。
ナナ:「実家からアパートに戻った日の夜ね。スマホにLINEが来たんだって」
ミユが渋々、ナナを見る。
ミユ:「……誰から?」
ナナ:「知らない女の人」
一拍。
ミユ:「やっぱ聞くんじゃなかった」
ナナ:「メッセージは一言だけ」
ナナは少し間を置いた。
ナナ:「――『おかえり』」

最初の「おかえり」
知らない女性から届いた、たった一言。
――おかえり。
ミユ:「……でも、それだけなら間違いLINEじゃない?」
ナナ:「本人もそう思ったみたい」
ミユ:「ほら。終わり終わり。いい話だった」
ナナ:「まだ始まったばっかりよ」
ミユ:「始まらなくていいのに」
その男性も、最初は特に気にしなかった。
表示されている名前にも心当たりはない。
アイコンは女性らしい後ろ姿の写真だったけれど、顔までは見えなかった。
電話番号を登録していた昔の知り合いかもしれない。
あるいは単純に、送り先を間違えただけかもしれない。
だから返信もしなかった。
そのままメッセージを閉じて、いつも通りに生活した。
やがて夏が終わり、秋になって、冬が来た。
そのLINEのことなんて、とっくに忘れていた。
そして一年後。
またお盆が来た。
男性は去年と同じように数日間だけ実家へ帰り、夜になって一人暮らしのアパートへ戻った。
荷物を床に置いて、エアコンをつける。
冷蔵庫から飲み物を出したところで、スマホが鳴った。
ミユ:「…………」
ナナ:「どうしたの?」
ミユ:「もう分かった気がする」
ナナ:「じゃあ言ってみて」
ミユ:「言ったら本当になりそうだから言わない」
ナナは楽しそうに笑った。
男性がスマホを見る。
去年の夏に一度だけメッセージを送ってきた、あの女性だった。
届いていたのは――
また、一言だけ。
「おかえり」
ミユ:「イヤだ」
ナナ:「早いわね」
ミユ:「だって一年後でしょ? しかも帰ってきた日に?」
ナナ:「そう」
ミユ:「偶然じゃないじゃん」
ナナ:「まあ、まだ偶然かもしれないけどね」
ミユ:「ナナさん絶対そう思ってないでしょ」
男性も、さすがに気味が悪くなった。
今度は返信することも考えた。
「誰ですか?」
そう打ちかけて――やめた。
なんとなく、返事をしたくなかった。
代わりに、そのアカウントをブロックした。
ミユ:「正解。絶対それが正解」
ナナ:「そうね」
ミユ:「……なんでそんな素直に同意するの」
ナナ:「別に?」
ミユ:「続きあるじゃん」
ナナは答えず、アイスコーヒーを一口飲んだ。
そして、さらに一年後。
お盆。
男性が実家からアパートへ戻った、その日の夜。
スマホが鳴った。
今度は知らないアカウントだった。
でも、届いた文章を見た瞬間。
誰なのかは分かった。
「今年も帰ってきたね」
ミユ:「ナナ」
ナナ:「なに?」
ミユ:「これ実話じゃないよね?」
ナナは少し考えるような顔をした。
ナナ:「さあ?」
ミユ:「その返し禁止!」

帰らなかった年
ミユ:「もうブロックしても来るんでしょ?」
ナナ:「別のアカウントからね」
ミユ:「じゃあどうすればいいの?」
ナナ:「その男の子も考えたのよ。本当に自分が帰ってきたのを見てるのかって」
ミユ:「……見てる?」
ナナ:「毎年、実家からアパートに戻った日にだけLINEが来る。だったら――」
ミユ:「あ。今年は帰省しない?」
ナナ:「そういうこと」
次の年。
男性は、お盆になっても実家へ帰らなかった。
旅行もしない。
友達とも会わない。
ずっとアパートにいた。
これなら「おかえり」と言われる理由はない。
夜になっても、何も来なかった。
ミユ:「ほら!」
ナナ:「なにが?」
ミユ:「来ないじゃん。やっぱりどこかで見てたんだよ。近所の人とか」
ナナ:「それはそれで怖くない?」
ミユ:「幽霊よりいい!」
ナナ:「そう?」
男性も少し安心した。
日付が変わる少し前。
そろそろ寝ようとした、そのとき。
スマホが鳴った。
ミユ:「……鳴るんだ」
ナナ:「鳴った」
また知らないアカウント。
メッセージは――
「今年は帰らないんだね」
ミユ:「もうやだ!」
ナナ:「大丈夫?」
ミユ:「大丈夫じゃないよ! 帰ってきたところを見てたんじゃないじゃん!」
ナナ:「そうみたいね」
ミユ:「じゃあ何を見てるの!?」
ナナ:「知らない」
ミユ:「そこを知らないまま話進めないでよ!」
男性は、その年のうちにアパートを引っ越した。
もちろん、新しい住所なんて相手には教えていない。
電話番号も変えた。
これで終わった。
少なくとも、男性はそう思った。
そして翌年のお盆。
新しい部屋で過ごしていた夜。
スマホへ知らないアカウントからメッセージが届いた。
ミユ:「……ナナさん、もう読まなくていいよ」
ナナ:「あと一言だけ」
ミユ:「その一言が絶対イヤなんだって」
届いたメッセージには、こう書いてあった。
「そこにしたんだ」
ナナはそこで話をやめた。
編集部が、急に静かになった。
ミユ:「…………」
ナナ:「終わり」
ミユ:「終わりじゃないよ」
ナナ:「終わりよ」
ミユ:「誰なの?」
ナナ:「知らない」
ミユ:「なんで居場所分かるの?」
ナナ:「知らない」
ミユ:「結局なんだったの?」
ナナ:「だから、知らないって」
ミユ:「一番イヤな終わり方じゃん……」
ナナは満足そうにアイスコーヒーを飲んだ。
ミユ:「今日ひとりで帰れないんだけど」
ナナ:「知らないわよ」
ミユ:「話した人に責任あるでしょ!」

ナナさん、最低です
夕方。
怪談を聞かされたこと以外は特に何事もなく、編集部の一日は終わろうとしていた。
ナナ:「じゃ、私そろそろ帰るわ」
ミユ:「え?」
ナナ:「なに?」
ミユ:「帰るの?」
ナナ:「帰るでしょ。仕事終わったんだから」
ミユ:「私まだ終わってないんだけど」
ナナ:「秋から働くんじゃなかったの?」
ミユ:「今日ちょっと働いちゃったの!」
ナナ:「知らないわよ(笑)」
ナナはバッグを肩にかけ、そのまま編集部を出ていった。
しばらくして。
窓の外が少しずつ暗くなってきたころ、ミユのスマホが震えた。
ナナからのLINEだった。
「おかえり」
ミユ:「…………」
すぐにナナへ電話する。
ナナ:「もしもし?」
ミユ:「ナナさん最低!!」
電話の向こうで、ナナが爆笑した。
ナナ:「あははは! ごめんごめん!」
ミユ:「全然ごめんと思ってないじゃん!」
ナナ:「だって絶対怖がると思ったから」
ミユ:「まだ編集部だし! おかえりでもないし!」
ナナ:「はいはい。早く仕事終わらせて帰りな」
ミユ:「もう二度とナナさんの怖い話聞かない」
ナナ:「また面白いのあったら教えてあげる」
ミユ:「いらない!」
電話を切る。
まったく。
人が本気で怖がっているのに。
ミユはぶつぶつ言いながら、パソコンを閉じた。
帰ろう。
もう外は暗い。
バッグにスマホを入れようとした、そのとき。
もう一度、震えた。
ミユ:「またナナさん……?」
画面を見る。
知らないアカウントだった。
メッセージは一件。
「まだいたんだ」
ミユの手が止まった。
編集部には、誰もいない。
窓の外には、いつもの街の灯り。
エアコンの音だけがしている。
ミユはゆっくりと、誰もいないはずの編集部を見回した。
そして――
スマホが、もう一度震えた。



