その日。
こいこと。編集部に、一人の青年が現れた。
年齢は二十歳。
大学生らしい。
少し緊張した様子で、入口から顔を出す。
ヒロ:あ、あの……。ミユさん、いますか?
編集部が少し静かになる。
ユキノ:ミユですか?
ヒロ:はい。ちょっと相談があって……。
ユキノ:アポは取ってます?
ヒロ:アポ?
ユキノ:予約です。
ヒロ:いや……。
ユキノ:初対面ですよね?
ヒロ:はい……。
ユキノ:突然来たんですか?
ヒロ:はい……。
ユキノ:なるほど。
ヒロ:すみません……。
開始三十秒で帰りたくなっていた。
その時だった。
奥の席からワニオが顔を上げる。
ワニオ:人類ですか。
ヒロ:え?
ワニオ:人類ですね。確認です。
ヒロ:たぶん……。
ワニオ:入ってください。
ヒロは恐る恐る席についた。
ユキノはコーヒーを出す。
ワニオはお茶だった。
たぶんいつものお茶だ。
ヒロ:あの……。実はミユさんのファンで。
ヒロ:SNSとか記事とか見てて、相談聞いてほしいなと思って……。
ワニオ:なるほど。残念ですが。
ワニオ:ミユさんは現在不在です。
ヒロ:あっ……。そうなんですね……。
ワニオ:ですが。
ワニオ:代わりにワニがいます。
ヒロ:いや代わりになるかな……。
ワニオ:内容によります。
ヒロは少し迷った。
でも。
ここまで来て帰るのももったいない。
思い切って口を開く。
ヒロ:あの。
ヒロ:僕、恋愛経験がないんです。
ヒロ:彼女もいたことないし。
ヒロ:デートもしたことないし。
ヒロ:告白もしたことないんです。
ワニオは静かに頷いた。
そしてお茶を一口飲む。
ワニオ:なるほど。
ワニオ:今日は、恋愛経験ゼロ人類の相談ですね。
恋愛経験がないまま大学生になりました

ワニオ:では確認します。
ワニオ:恋愛経験ゼロとのことですが。何が一番困っていますか。
ヒロ:えっと……。全部です。
ワニオ:なるほど。人類らしい回答です。
ヒロ:いや本当に全部なんですって。彼女いたことないし、好きな人とデートしたこともないし、告白もしたことないし、手も繋いだことないです。
ワニオ:なるほど。
ヒロ:大学入ったら自然に彼女できると思ってたんですよ。でも気づいたら二年生で。
ヒロ:周りは普通に恋愛してるし、SNS見てもカップルばっかりだし。
ヒロ:自分だけ取り残されてる気がするんです。
ワニオは静かにお茶を飲んだ。
ワニオ:人類は二十歳前後になると。急に焦り始めますね。
ヒロ:焦りますよ。
ヒロ:だって恋愛経験ない男ってヤバくないですか?女性から見ても引かれそうだし、恋愛の話になっても何も話せないし。
ヒロ:正直、自信ないです。
少しだけ編集部が静かになる。
ヒロにとっては、ずっと抱えていた悩みなのだろう。
ワニオ:なるほど。では一つ聞きます。
ヒロ:はい。
ワニオ:恋愛経験がある人類は、全員幸せそうですか。
ヒロ:え?
ワニオ:全員モテていますか。全員恋愛上手ですか。
ヒロ:いや……。そう言われると違うかも。
ワニオ:ええ。
ワニオ:なのでまず。
ワニオ:恋愛経験がないことと、魅力がないことは別問題です。
ヒロ:……。
ワニオ:人類はそこを混同しがちです。
ワニオ:今日はその話をしましょう。
人類は“恋愛経験”を資格だと思いがちです

ヒロ:でも実際。
ヒロ:恋愛経験ない男ってマイナスじゃないですか?
ワニオ:人類はよくそう考えます。
ワニオ:恋愛経験を、資格や免許のように扱います。
ヒロ:資格?
ワニオ:ええ。
ワニオ:恋愛経験ゼロ。
ワニオ:レベル1。
ワニオ:恋人ができる。
ワニオ:レベル10。
ワニオ:結婚。
ワニオ:レベル99。
ヒロ:ちょっとわかるかも。
ワニオ:ですが実際の人類は、そんなゲームみたいに進みません。
ヒロ:まあ……。
ワニオ:二十歳で恋愛経験豊富な人類もいます。
ワニオ:三十歳で初恋の人類もいます。
ワニオ:高校から十年付き合って結婚する人類もいます。
ワニオ:三回結婚している人類もいます。
ヒロ:たしかに。
ワニオ:なので。
ワニオ:恋愛経験は、人生の進捗率ではありません。
ヒロは少し考える。
ヒロ:でも女性から見たらどうなんですかね。
ヒロ:恋愛経験ないって言ったら引かれたりしないんですか。
ワニオ:人によります。
ヒロ:それ一番困る答えだなぁ。
ワニオ:ですが事実です。
ワニオ:恋愛経験ゼロだから嫌という人類もいます。
ワニオ:気にしない人類もいます。
ワニオ:むしろ誠実そうと思う人類もいます。
ヒロ:そんな人いるんだ。
ワニオ:います。
ワニオ:人類は思ったよりバラバラです。
ヒロ:SNS見てると、みんな恋愛経験あるように見えるんだけどなぁ。
ワニオ:それは。
ワニオ:SNSに「今日も恋愛経験ゼロでした」と投稿する人類が少ないからです。
ヒロ:あっ。
ワニオ:恋愛で成功した話は投稿します。
ワニオ:付き合った話も投稿します。
ワニオ:ですが。
ワニオ:何も起きなかった日は、あまり投稿しません。
ヒロ:なるほど……。
ワニオ:つまり。
ワニオ:人類は、自分だけ遅れているような錯覚を起こしやすいのです。
問題は経験の有無ではなく、“何もしていないこと”です
ヒロ:じゃあ。
ヒロ:恋愛経験ゼロでも別に気にしなくていいんですか?
ワニオ:そこは少し違います。
ヒロ:え?
ワニオ:恋愛経験ゼロは問題ありません。
ワニオ:ですが。
ワニオ:恋愛したいのに、何もしていないのは少し問題です。
ヒロ:うっ。
ワニオ:刺さりましたか。
ヒロ:ちょっとだけ……。
ワニオ:ちなみに聞きます。
ワニオ:大学で女性と話しますか。
ヒロ:あんまり。
ワニオ:サークルは。
ヒロ:入ってません。
ワニオ:マッチングアプリは。
ヒロ:やってません。
ワニオ:友人からの紹介は。
ヒロ:ないです。
ワニオ:なるほど。
ワニオ:人類は時々。
ワニオ:家で待っていれば恋愛イベントが発生すると考えます。
ヒロ:いや、そこまでは……。
ワニオ:発生待ちですね。
ヒロ:そう言われると発生待ちかも。
ワニオはお茶を飲む。
ワニオ:例えば。
ワニオ:泳げない人類がいるとします。
ワニオ:泳げないことは問題ではありません。
ワニオ:誰でも最初は泳げません。
ヒロ:はい。
ワニオ:ですが。
ワニオ:泳ぎたいと言いながら、一度もプールへ行かない人類はなかなか泳げるようになりません。
ヒロ:あー……。
ワニオ:恋愛も少し似ています。
ワニオ:経験がないことが問題ではありません。
ワニオ:経験する機会を作っていないことが問題です。
ヒロ:耳が痛いなぁ。
ワニオ:大丈夫です。
ワニオ:恋愛相談に来る人類の八割くらいは耳が痛そうです。
ヒロ:そんなに?
ワニオ:ええ。
ワニオ:人類は。
ワニオ:行動すると傷つく可能性があります。
ワニオ:なので行動しません。
ワニオ:ですが。
ワニオ:恋愛したいなら、どこかで少しだけ勇気を出す必要があります。
ヒロ:……。
ヒロ:なんか今日。
ヒロ:思ったより真面目な話してるな。
ワニオ:ワニも時々は真面目です。
モテる男は、恋愛経験があるからモテるのか?

ヒロ:でも結局。
ヒロ:モテる人って恋愛経験あるじゃないですか。
ヒロ:だから余裕があるし。女性の扱いも慣れてるし。
ヒロ:やっぱ経験ないと不利なんじゃ……。
ワニオ:人類はよく勘違いします。
ヒロ:勘違い?
ワニオ:経験があるからモテるのではありません。
ワニオ:経験するために動いた人類が、結果として経験を積んでいるのです。
ヒロ:あ。
ワニオ:順番が逆です。
ヒロは少し考え込む。
ワニオ:例えば。
ワニオ:現在モテている人類がいたとします。
ワニオ:その人類も最初は初心者です。
ヒロ:まあ、そうか。
ワニオ:最初のデートで緊張します。
ワニオ:変なLINEを送ります。
ワニオ:空回りします。
ワニオ:失敗します。
ワニオ:そして反省します。
ワニオ:人類は、その繰り返しで少しずつ成長します。
ヒロ:なるほど……。
ワニオ:なので。
ワニオ:モテる人類とモテない人類の差は、才能より行動回数だったりします。
ヒロ:耳が痛いなぁ。
ワニオ:本日二回目です。
ヒロ:カウントしてるの?
ワニオ:ええ。
ワニオ:ちなみに聞きます。
ワニオ:好きな人はいましたか。
ヒロ:いました。
ワニオ:話しかけましたか。
ヒロ:ほぼ話してません。
ワニオ:なるほど。
ワニオ:告白しましたか。
ヒロ:してません。
ワニオ:連絡先は。
ヒロ:聞いてません。
ワニオ:なるほど。
ヒロ:その“なるほど”やめてもらっていいですか。
ワニオ:つまり。
ワニオ:失恋していないのではありません。
ワニオ:挑戦していないのです。
ヒロ:うっ。
ワニオ:本日三回目です。
ヒロ:だからカウントするなって。
編集部の奥でユキノが少し笑っていた。
ワニオ:安心してください。
ワニオ:恋愛経験ゼロ人類の多くは、能力不足ではありません。
ワニオ:ただ。
ワニオ:失敗が怖くて、最初の一歩を踏み出していないだけです。
ヒロ:……それは、あるかもしれない。
最初の恋愛は、だいたい下手です
ヒロ:でも。
ヒロ:もし今から恋愛できたとしても。
ヒロ:絶対失敗する気がするんですよね。
ワニオ:ええ。
ヒロ:ええ?
ワニオ:たぶん失敗します。
ヒロ:励ます気あります?
ワニオ:あります。
ワニオ:ですが事実も大切です。
編集部の奥でユキノが吹き出しそうになっていた。
ワニオ:人類の最初の恋愛は、だいたい下手です。
ワニオ:緊張します。
ワニオ:空回りします。
ワニオ:余計なことを言います。
ワニオ:LINEで悩みます。
ワニオ:返信速度を気にします。
ワニオ:既読を見て落ち込みます。
ヒロ:全部やりそう。
ワニオ:人類なので。
ヒロ:便利な言葉だなそれ。
ワニオ:例えば。
ワニオ:ミユさんも失敗します。
ヒロ:えっ。
ワニオ:かなりします。
ヒロ:かなりなんだ。
ワニオ:ミサキさんも失敗します。
ワニオ:ただ失敗を失敗だと認めたがりません。
ヒロ:なんかわかる気がする。
ワニオ:ユウカさんも失敗します。
ワニオ:見えにくいだけです。
ヒロ:へぇ。
ワニオ:つまり。
ワニオ:恋愛経験がある人類は、失敗しない人類ではありません。
ワニオ:失敗した後も、人類を続けた人類です。
ヒロは少し黙った。
ヒロ:なんかそれ。
ヒロ:思ってたより救われるかも。
ワニオ:恋愛経験ゼロ人類は。
ワニオ:失敗を恐れすぎる傾向があります。
ワニオ:ですが。
ワニオ:最初の恋愛で完璧を目指すのは、初めて自転車に乗る日にツール・ド・フランス優勝を目指すようなものです。
ヒロ:それは無理だ。
ワニオ:ええ。
ワニオ:なのでまずは。
ワニオ:転ばないことではなく、乗ってみることです。
ヒロ:……なるほど。
ワニオ:ちなみに。
ワニオ:転ぶ確率は高いです。
ヒロ:最後に不安にさせるのやめてください。
最初の一歩は、もう踏み出している
ヒロ:なんか。
ヒロ:少し気が楽になりました。
ヒロ:でも結局、何から始めればいいんですかね。
ワニオ:人類はすぐに最終目標を見ます。
ヒロ:最終目標?
ワニオ:彼女を作ることです。
ワニオ:ですが。
ワニオ:まずは女性と普通に話すことです。
ヒロ:そんなレベルから?
ワニオ:そんなレベルからです。
ワニオ:人類は時々。
ワニオ:「彼女が欲しい」と言いながら、女性と話していません。
ヒロ:耳が痛い四回目だ。
ワニオ:記録更新です。
ヒロ:嬉しくない。
ワニオ:恋愛経験ゼロは問題ありません。
ワニオ:ですが。
ワニオ:行動経験ゼロは、少しもったいないです。
ヒロ:……。
ワニオ:今日。
ワニオ:ヒロさんは編集部に来ました。
ヒロ:はい。
ワニオ:初対面の人類ばかりでした。
ヒロ:めちゃくちゃ緊張しました。
ワニオ:ですが来ました。
ヒロ:まあ……。
ワニオ:それは立派な行動です。
ヒロ:え?
ワニオ:恋愛経験ゼロ人類の中には。
ワニオ:相談したいと言いながら来ない人類もいます。
ワニオ:話したいと言いながら話さない人類もいます。
ワニオ:好きと言いながら動かない人類もいます。
ワニオ:ですが。
ワニオ:ヒロさんは来ました。
ヒロ:……。
ワニオ:その行動力は、恋愛でも役に立ちます。
その時だった。
編集部のドアが開く。
ミユ:ただいまー♡
ミユ:って、誰!?
ヒロ:あっ。
ミユ:えっ、もしかして相談の人!?
ユキノ:そう。
ユキノ:ミユに会いに来た大学生。
ミユ:ええっ!?
ミユ:ごめんね!?
ミユ:今日たまたま外出してて!
ヒロ:いえ。
ヒロ:大丈夫です。
ミユ:ワニオ変なこと言ってなかった?
ヒロ:いや。
ヒロ:思ったより真面目でした。
ミユ:思ったよりなのね。
編集部に少し笑いが起きる。
ミユ:でもさ。
ミユ:いきなり来るのはびっくりしたけど。
ミユ:その行動力は大事かも。
ミユ:恋愛って結局。
ミユ:勇気出した人から景色変わるしね。
ヒロは少し照れながら笑った。
ワニオ:本日の結論です。
ワニオ:恋愛経験がないことは問題ではありません。
ワニオ:恋愛を諦めてしまうことの方が、少しもったいないです。
ヒロ:……ありがとうございます。
ワニオ:どういたしまして。
ヒロ:正直。
ヒロ:ミユさんに会えなかったのは残念ですけど。
ヒロ:ワニオさんでよかったです。
ワニオ:珍しい感想です。
まとめ

恋愛経験がないことは、恥ではありません。
人類は時々。
恋愛経験を資格やレベルのように考えます。
ですが。
恋愛経験がある人類も、最初は全員初心者でした。
大切なのは。
経験の有無ではなく、少しずつ行動することです。
女性と話してみる。
誰かを食事に誘ってみる。
断られる。
落ち込む。
また挑戦する。
人類はだいたい、その繰り返しです。
恋愛経験ゼロは問題ありません。
恋愛を諦めてしまうことの方が、少しもったいないです。
ワニオ:なお。
ワニオ:編集部へ来る際は、できればアポを取りましょう。
ヒロ:気をつけます。

