スマホが鳴ったのは、昼休みの終わりだった。
何気なく画面を見る。
——コウスケ。
少しだけ、懐かしい名前だ。
タップしてメッセージを開く。
コウスケ
「今度飲まない?」
シンプルな一文。
でも。
それだけで、なんとなく空気が伝わる。
リク
「いいね、久しぶりに」
すぐに返信した。
コウスケとは、同い年で、ライターとしてのキャリアもだいたい同じくらいだ。
最初に知り合ったときから、変に気を使わなくていい関係だった。
仕事の話もするけど、どちらかといえばどうでもいい話の方が多い。
それがちょうどいい。
数回やり取りして、日程が決まる。
場所も適当。
時間もゆるい。
いつもの感じだ。
——ああ、こういうのでいいんだよな。
思わず、少しだけ口元が緩む。
特別なことは何もない。
ただ、気の合う相手と、適当に飲むだけ。
それだけでいい夜。
……そういうの、最近ちょっと少なかった気がする。
スマホをポケットにしまう。
午後の仕事に戻りながら、ふと思う。
たぶん、いい時間になる。

サシ飲みじゃなかった。ちょっとしたズレ
当日。
仕事を少しだけ早めに切り上げて、待ち合わせの店に向かう。
駅から少し歩いたところにある、よくある居酒屋。
気取ってないし、うるさすぎない。
こういうのでいい。
——今日は、そういう夜のはずだった。
店の扉を開ける。
店内は、ほどよく賑わっている。
奥の席から、コウスケが手を上げた。
コウスケ
「おー、リク!」
リク
「久しぶり」
そのまま席に近づいて——
一瞬、足が止まる。
……あれ?
コウスケの隣に、もう一人いる。
コウスケ
「あ、ユウヤも来てる」
軽い。
いつも通りのテンションで言う。
ユウヤ
「どうも」
リク
「どうも」
軽く会釈を返す。
ユウヤとは、何度か顔を合わせたことがある。
完全な初対面ではない。
ただ。
……ちょっとだけ、テンポが合わない。
コウスケ
「さっき連絡きてさ」
コウスケ
「せっかくだし来る?って」
悪びれた様子はない。
むしろ、自然な流れとして処理している。
……まあ、コウスケはこういうやつだ。
リク
「なるほど」
とりあえず座る。
三人。
別に多すぎるわけじゃない。
飲みとして成立しないわけでもない。
ただ。
なんとなく。
想像していた夜とは、少しだけ違う。
そんな感覚が、静かに残った。
「あと一人来る」が重なると、だいたい別の会になる
三人で軽く乾杯して、少しだけ落ち着く。
ビールを一口。
うん。
まあ、悪くない。
想像とは少し違うけど、まだ調整できる範囲だ。
コウスケ
「そういえばさ」
来た。
この入りはだいたい、何か来る。
コウスケ
「あと一人来るんだよね」
……。
ああ、来た。
そのパターンね。
リク
「そうなんだ」
声は平静。
内心も、まあ想定内。
ここまでは。
コウスケ
「新しく立ち上がるメディアの編集の人」
……ん?
コウスケ
「ちょっと話したらさ、リクのこと紹介したくなって」
コウスケ
「仕事つながるかもじゃん?」
善意だ。
100%善意。
一切の悪気なし。
むしろいいことしてると思ってる顔だ。
……うん。
分かる。
分かるんだけど。
あれ?
これ、何の会だっけ?
さっきまでの頭の中を確認する。
久しぶりに、気の合うコウスケと、ゆるく飲む。
——そのはずだった。
今は。
ライター三人+編集者。
……。
軽い打ち合わせでは?
ユウヤ
「最近どういう仕事やってるんですか?」
来た。
仕事トーク。
しかも“軽く広げるやつ”。
リク
「えっと、まあ…最近は——」
答えながら、少しだけ思う。
ああ。
これ、あれだ。
飲みっぽい何かをした仕事の場。
そのとき。
入口の方でコウスケが手を上げた。
コウスケ
「あ、来た来た」
……来た。
四人目。
席に座るなり、名刺が出る。
自己紹介が始まる。
グラスはある。
でも空気は、完全にそっちじゃない。
話題は自然に仕事へ。
最近の案件。
媒体の方向性。
今後の可能性。
……。
ああ。
なるほど。
コウスケは、いいやつだ。
間違いなく。
ただ。
たまに“いいやつすぎる”。
グラスを持ちながら、僕は小さく思った。
今日は。
そういう夜らしい。

善意のあとに残る、ちょっとしたモヤモヤ
店を出る頃には、いい時間になっていた。
悪い会じゃなかったと思う。
話もそれなりに弾んだし、仕事として見ればプラスだったのかもしれない。
名刺も交換したし、今後につながる話も少しあった。
……うん。
全部、間違ってはいない。
ただ。
駅までの道を歩きながら、ふと考える。
今日のこれって。
僕が期待していた時間だったかというと、少し違う。
最初は、もっと気楽なものを想像していた。
コウスケと、どうでもいい話をして。
最近どう?とか言いながら、適当に飲んで。
それだけでよかった。
……たぶん。
コウスケに悪気はない。
むしろ、完全に善意だ。
紹介すれば、何かにつながるかもしれない。
そう思ってくれたんだろう。
それは、ありがたいことだと思う。
でも。
だからこそ、少しだけ言いづらい。
今日は、それじゃなかったんだよな。
改札を抜ける。
人の流れに乗りながら、ぼんやり考える。
コウスケって、昔からこういうところあった気がする。
場を広げるのがうまいというか。
人を繋げるのが自然というか。
それ自体は、いいことだ。
たぶん、すごく。
でも。
今日は、少しだけ。
シンプルな夜がよかった。
駅のホームに立つ。
電車が来るまでの短い時間。
なんとなく、息を整える。
こういうとき。
僕はだいたい、同じことを考える。
責めるほどじゃない。
でも、納得しきれない。
この感じ。
……うん。
今夜は誠実めしが必要だ。
今夜の誠実めし|だし茶漬けで、静かに整える

帰宅。
部屋の電気をつけると、急に静かになる。
さっきまでの店のざわつきが、少し遠くなる。
靴を脱いで、バッグを置く。
……。
なんとなく、キッチンに向かった。
冷蔵庫を開ける。
特別なものはない。
でも。
こういうときは、だいたい決まっている。
だし茶漬け。
鍋に水を入れて、火にかける。
出汁パックを入れる。
じわっと、香りが立ち上がる。
さっきまでの空気とは、まるで違う。
やさしい匂い。
肩の力が抜ける。
ご飯をよそう。
軽めに一杯。
その上に、少しだけ塩をふる。
シンプルでいい。
湯気の立つ出汁を、そっとかける。
さらさら、と音がする。
それだけで、少し落ち着く。
刻み海苔をのせて、完成。
椅子に座る。
部屋は静かだ。
リク
「いただきます」
一口。
……。
やさしい。
味が強すぎない。
でも、ちゃんとある。
さっきまでの会話の余韻が、少しずつ薄れていく。
今日のことを思い出す。
コウスケの顔。
悪気のない感じ。
むしろ、いいことをしたと思ってる表情。
……うん。
やっぱり、いいやつだと思う。
間違いなく。
でも。
もう一口、茶漬けをすする。
その温度が、ゆっくりと落ち着かせる。
自分のペースで飲みたかったな。
それも、たぶん本音だ。
誰が悪いわけでもない。
ただ、少しだけズレただけ。
そのズレを、そのままにしないために。
こうやって整える。
最後にもう一口。
静かな夜。
余計なものが少しずつ抜けていく。
……うん。
たぶん、これでいい。
「予定外が一番疲れるのよ」って、ナナは言った
数日後。
ナナに呼び出されて、店に来ていた。
ナナ
「飲むわよ」
いつも通り、理由はない。
席に着いて、ビールを頼む。
乾杯。
一口飲んで、少しだけ間ができた。
なんとなく、その流れで話してしまう。
リク
「この前、コウスケと飲んだんですけど」
ナナ
「ふーん」
リク
「最初は二人のつもりだったんですけど」
リク
「気づいたら、ユウヤがいて」
ナナ
「あー、増えるやつね」
リク
「で、さらに編集の人も来て」
ナナ
「最悪じゃん」
即答だった。
リク
「いや、悪い人たちじゃないんですけど」
ナナ
「誰も悪くないのが一番だるいのよ」
……。
妙に納得してしまう。
ナナ
「で、仕事の話になったんでしょ?」
リク
「まあ、自然と」
ナナ
「飲みで仕事の話なんて、しないわよ」
ナナはビールを一口飲んで、続けた。
ナナ
「人増やすならさ」
ナナ
「あんたに一言くらい聞くべきよ」
ナナ
「勝手に増やすとか、意味わかんないでしょ」
リク
「たしかに……」
ナナ
「予定外の人いると疲れるじゃん?」
また、核心を突く。
ナナ
「こっちは“このテンションで飲む”って決めて来てんのよ」
ナナ
「そこに知らん要素入れられると、全部ズレるの」
……ああ。
それだ。
ずっと引っかかってたのは、それだった気がする。
ナナ
「新しい仕事につながる?」
ナナは肩をすくめた。
ナナ
「知らん」
ナナ
「そんなもん、昼にやりなさいよ」
雑で、でも正しい。
ナナらしい結論だった。
僕は少しだけ笑った。
リク
「たしかにそうですね」
ナナ
「でしょ」
ナナはそれ以上、深掘りしない。
ただ、普通に飲む。
どうでもいい話をして、笑って。
気を使う必要もない。
何かを求められることもない。
グラスを持つ。
もう一口。
……ああ。
こういうので、よかったんだ。



